力がなければ自由になれない。
徹也に腕を引かれた。強い力だった。強すぎて肩が外れるんじゃないかというほど、無理矢理引っ張られた。大和田猛を思わせた。
巧は舌打ちしていた。
すぐにその手を払い、睨みつける。徹也は外向きの笑顔を保ちながら、ちょうど巧にだけ聞こえる声音で言った。
「バケモノ、話があるって言ってんだよ。こい。誰がテメエの手に触りたいと思うかよ、クソ野郎」
笑顔のまま胸を小突かれ、背を向けられた。
「何だよ」
着いていく道理はない。そんなに暇じゃないのだ。舞香に話があるから立ち上がった。お前に会うためじゃない。
だが、『バケモノ』。この言葉がびっかかる。力を使って猛を始末したことが、もしかしたら徹也には見破られているのかも知れない。だとすれば放置していい相手でもない。最悪の場合口封じの必要もある。
(クソが)
巧は舞香よりも徹也の件を処理するのが先だと判断した。
階段を降り、靴を履き替え、校舎裏に連れ出された。これも猛と同じやり口だった。校舎裏でサンドバック代わりに弄ばれるのは、かつての慣習だった。まだ現実を打開する術を持たなかったころの最低な記憶が、この校舎裏には刻まれている。
それを知らずにやっているのか、知っていてあえてそうしているのか。どちらにせよ、こいつは僕の神経を逆なでしている。ムカつく奴だ。
「お前がやったんだろ、なあ」
校舎裏に辿り着いた瞬間、徹也は外向きの表情を一切崩し、彼の本性ともいうべき乱暴な言葉を、大声で言い放った。
やはり、それも猛と同じだった。女子たちの前では紳士ぶるくせに、僕の前では凶暴な本性をさらけ出す。見下して良い相手には口調がぞんざいになるのだ。いつも自分に対して嘘をついている、それはクズ野郎共通の特徴だった。
「何なんですか、そのしゃべり方。僕は、そんな口の利き方をしていい人間って枠に、入れられてるんですか。教室の時とは、違いすぎますよ」
決して流暢な言葉とはいえなかったが、言い切った。徹也は即座に「ハッ」と一笑に付した。
「人間を殺したバケモノがよく言うぜ。お前がやったこと……クラスメイトをその力で殺したことは、お前が考えている以上に重い意味をもってんだよ。とりあえず、俺のメンツは丸つぶれになった」
「メンツ?」
「ああ。この地域は俺の守護範囲だ。俺に与えられた仕事だったんだよ、この地域一帯の保護は。だが、人死にが出た。俺の失態になる。事実はもう変えられないし、起こっちまったことは、どうしようもない。だがな」
徹也は拳をかたく握りしめ、瞬発的に突き出してきた。巧は、避けた。
「危ないですよ」
「避けた……いじめに屈してた奴に、避けられるはずがなかった。ってことは、力はすでにお前の体に染みついちまってるってわけだ。人を殺しても反省せず、普通に学校に行ってるのがそもそも異常なんだ、その体もすっかり異常に染まってるな。正真正銘のバケモノになっちまったんだな、お前」
「化物ですか。でも僕は、あなたたちの方がよっぽど、怖いですよ」
「何?」
「そうじゃないですか。人を勝手に見下して、いきなりぞんざいな口調でしゃべってきたり……さっきまでは、女子たちの前では紳士ぶってたくせに。それがうってかわって、いきなり殴ろうとしてきたり。先生に対しては絶対にしないようなことを、僕にやってきて。それで、人を化物って決めつけて。化物は、本当は、どっちなんですか……!」
「ごちゃごちゃうるせえな。そんな倫理の授業みたいなことは言ってねえんだよ俺は。物理的に、はっきりとわかる簡単なことだ。お前はバケモノになりつつある。完全にそうなっちまう前に、俺が処分してやろうって言ってんだよ」
「処分? いきなり」
「これは仕事なんだ。遊びでもなければ、生温い教師の授業でもない。言葉で理解しないってんなら、今ここで、刈り取らせてもらうぞ。お前の中の、バケモノの芽を!」
徹也は素早く拳を構え、突き出してきた。今度は、避けず、掴んだ。巧は五指を開いて徹也の拳を引き受け、掴んで握り、押し返した。徹也は一瞬怯んだようにみえたが、すぐに顔を引きつらせた。
笑っていた。狂人のような、恐ろしい笑顔だった。
「そうこなくっちゃな。張り合いもなけりゃ、俺の力を使う意義もねえ。いいぜ、来いよ。転身!」
転身――その声とともに、徹也は片手を天に掲げて指を鳴らした。その両目が見開かれ、直後、肉体に変化が生じる。
着用していた制服が消え、靴も消えた。肌色が反転するように白くなり、青色の線が各所に刻まれる。口と鼻は消え、仮面のように真っ白になった顔面に蒼い瞳が灯る。最後に三〇センチほどの角が額から生え、鬼とも聖騎士ともつかない人型の化物――封印騎士“ユニコーン”がそこに出現した。
お前こそ化物じゃないか。だが、目の前に現われた脅威には対処しなければならない。対処できなければ、おそらく殺される。相手はいじめを仕掛けてきた猛よりもヤバイ奴――正真正銘の化物なのだから。
「何が仕事だ。そっちから仕掛けてきて」
「黙れバケモノ。殺してやるよ」
言葉と同時に剣が突き出された。まったく見えなかった。相手は、いま敵になった。こちらも力を使わなければならない。
「そっちだ。そっちが僕を、化物にしてるんだ」
猛がいじめてこなければ、底辺以下の存在にはならなかった。福原がちゃんと対応していれば、モンスタークレーマーの息子だなんて言われなかった。そして今徹也が敵として現われたりしなければ、僕は普通の高校生のままでいられたはずなのに。
どっちが悪いのか、教えてやる必要がある。
だがどうやって力を発現させればいいのか、巧にはわからなかった。
為す術はなかった。されるがまま、巧は“ユニコーン”に襲撃された。
剣で肩の関節を貫かれ、腕が使い物にならなくなる。痛みを感じている間に反対の肩も貫かれ、次は右足が切り裂かれた。膝から下が切断され、ぼとりと嫌な音がした。見れば自分の右足が、左足の近くに落ちていた。それを見ている自分もまた、やがて体勢を崩して倒れ始めた。
「!」
すべて痛みを感じる前に起こった出来事……一秒にも満たない、一瞬間のうちに成されたことだ。
地面に倒れ伏した瞬間、切断された右足の腿から鮮血が噴き出す。血はいつもどおり心臓というポンプから押し出されている。肉体は足そのものが切断されるなど夢にも思っていない。つまり、血は止めどなく流れていく。
「ああああああああ!!!」
巧は思わず絶叫した。だが、それは誰にも届かない。“ユニコーン”の力は幻影。すでに周囲には結界も同然の幻影空間が展開されている。外からみれば校舎裏には誰もいないように見えるのだ。もちろん声も聞こえないようになっている。
「悪く思うなよ。お前がバケモノになっちまったのが、ことの発端だ」
誰の助けもこない。いじめと同じだが、しかし敵は遊びでやってはいない。生徒のいじめより危険な、殺しを仕事と言えてしまう狂人の手際は実に見事だった。
痛みにすべてが支配されて、何も考えることができない。
「すぐ楽にしてやるよ。終わりにする……“ソウル・ペネトレイター”!」
敵の声が聞こえてくるが、聞き取る余裕もない。それが言葉なのかどうかも判断できないし、そもそも判断するための思考が機能していない。
すべてが痛みによって塗りつぶされている。五感のすべてが痛みを感じるためだけのものに成り下がっている。痛みという肉体からの警告に、人生のすべてが支配されているのだ。
感覚も思考も働かないなかで、しかし巧は直感することはできた。それは閃きだった。脳に電気信号が走り、巧の直感という情報を意識へと送り届ける。
一瞬のうちに、巧は閃きによって現状を分析した。自分のすべてが痛みによって支配されてしまうこの現象は、なにも初めて体験したことではなかった。ごく最近味わった、自殺の痛みと同じなのだ。
死に損なってしまったがために、頭が割れたときの痛みを感じる羽目になったあの長く苦しい時間。身の内に収まりきらない大きすぎる痛みに自分のすべてを奪われることは、辛いなんていう言葉でも足りないほどの、永遠の苦しみを引き起こした。
どうして僕がこんな目に遭わなければならない? こんな痛みに僕のすべてを奪われなければならなかった理由がどこにある? 敵――徹也は、力をつかって殺人をしたのが悪いと言ってきた。だが、それもいじめで学校生活のすべてを奪われた報復に過ぎなかった。人生の時間を奪われたから、同じように奪ってやっただけだ。
これまで痛みを十分味わってきたのに、今も痛みに自分のすべてを奪われるこの刑罰は、少なくとも不当ではないのか。一方的に裁くことこそ、罪ではないのか。
しかし、痛い。痛すぎる。もう殺してくれと、そう思わせるほどに痛かった。
閃きは怒りを呼び起こした。激情が巧の心に走った。殺してくれ? 違う、僕が死ぬのは違う。
痛みが憎かった。痛みを与えた敵が憎かった。憎しみが怒りを増幅し、それは炎となって巧の心を焼き焦がし、やがてその全身までもを焼き尽くしていった。
「あああああ!!!」
巧は叫んだ。この怒りは僕のものだ。この体は僕のものだ。なら、この力だって――化物なんて知らない。痛みに負けてなんていられない。これは僕の力だ。これは僕の人生を切り拓くためのものだ。罰を受けるための、罪なんかじゃない。
「転、身っ!」
見よう見まねだが、敵ができたこともできないようなら、そもそも勝つことはできない。敵に勝ちたいなら、敵を超えなければならない。それ以前に同じ地平に立たなければならない。当たり前のことだろう。
できるかどうか、その不安に取り憑かれるまでもなかった。怒りのまま、その心を燃やしたまま、巧は立ち上がり、その右腕を天に掲げた。
右足は切断されたはずだったが、立つことができた。そんなことはどうだってよかった。それよりも全身が熱かった。痛みを忘れるほどに熱かった。我が身を焼き尽くす紫色の炎を、巧はその目で見ることができた。それほどに怒りと憎しみの炎は大きく燃え上がり、まるで翼のように広がっていった。同時に炎は羽衣のように全身を包み込んでいる。
痛い上に、熱すぎる。このままでは死んでしまう。死んでなるものか。
巧は己の意志で右手を動かし、紫色の炎――不死の獄炎を自ら振り払った。
瞬間、視界に敵の剣が捉えられた。
「終わりだ!」
敵の覇気のこもった一喝が聞こえた。それで決死の一撃が繰り出されているのだとわかった。
巧はもう痛みを感じなかった。ただ熱かった。だが痛いよりはマシだ。この意志も、思考も、肉体も、今は完全なる自由のなかにあった。今こそ思う通りに動くことができる。
思う通りに、自らの意志で、巧は敵の刃を握って止めた。敵の驚きと恐怖とが刃越しに伝わってくる。
「馬鹿な、このタイミングで……俺の、剣筋を!?」
「終わりにするって言ったよなお前。さっきは」
巧は笑った。笑いながら、剣をへし折ってやった。もう痛みなど、誰にも与えられるものか。この自由を奪うことはもう二度と許さない。何人たりとも、この人生を奪うことを決して許さない。
だから手始めに、立ちはだかる狂人を排除するのだ。
「間違っているのはお前だ。お前が僕にしたことを味わわせてやる。僕の一番やりたいことを、いま……お前にやってやるよ!」
巧は叫び、拳を突き出した。