表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/53

これは誰の人生?

 侯爵フェネクスは、不完全ではあるが確かにこの世界に降臨した。いまは藤堂巧という人の姿を借りて顕現しているに過ぎないが、やがて巧の意識を抹消し存在ごと乗っ取ることに成功した暁には、フェネクスは真の姿となってこの現実に舞い降りるはずだ。


 藤堂巧が変身したテイマーナイト“フェニックス”の状態は、いわば鳥人といった見た目をしていた。毒を連想させる黄・紫・赤のまだら模様の肌に、尖った指、炎の輝きを灯した瞳と、頭部には鶏冠か翼を思わせる左右一対の黄色の突起。


 いま、その姿はより禍々しく変貌している。全身には黒を基調に紫色の装飾をあしらった軽装の鎧が装着され、左右対称だった頭部の突起にいたっては結合してシルクハットのようになっている。サーカスの支配人にもみえる偉ぶった風情は実に侯爵の位階にふさわしいといえるが、無論、人類の守護者を追いかけ回して破滅に導こうとする“追跡者”の侯爵など、偉くもなんともないただの脅威存在だ。


 一角徹也――テイマーナイト“ユニコーン”は、敵の顔面――“鬼面(マスク)”と呼称される仮面状の構造物を表出させたその顔を睨みつけ、剣を一閃した。


「倒す!」


 マスクを着けている間は、まだ追跡者は仮の姿のままである。だが追跡者がマスクを自ら取り外したその瞬間、本来の顔があらわれるとも言われている。その前にマスクを切断することができれば仮顕現を中断できる。徹也はそれを知識として把握していたし、実際に多くの追跡者をこの世界から退散させてきた。


 まずはマスクを切り裂き、藤堂巧という人間の状態に戻す。それが目下のやるべきことだ。


「その剣、二度折ってやらねばわからぬか?」


 敵――テイマーナイト“フェニックス”(仮称:魔人態(フェネクスフォーゼ))は、幻覚のように反響する声を放つと、背中に生やした黒炎の翼をはためかせた。


 まるで挟み撃ちだ。左右から漆黒の炎翼が迫ってくる。すでに前進を開始していた徹也は、後退して避けることができない。したがって、バレエダンサーのように素早くターンして右からの翼をやり過ごした。だが、時間差で迫ってきた左からの翼は避けられなかった。


 封印騎士(テイマーナイト)とは、己のうちに追跡者を飼い慣らし、その力だけを発揮する高度な技術を会得した者を指す英雄だ。ユニコーンの力を全身に宿し表出させている今の徹也は人間を超えた力をもっている。だが、それでもなお追跡者の炎は脅威だった。


「切り裂く!」


 それまでフェネクスのマスクに向けていた刃を翻すと、迫り来る炎翼を切り裂いてみせた。徹也の眼前で炎が左右に引き裂かれ、やがて消滅する――そこから、フェネクスのマスクが突然現われた。


「何?!」


 大胆にも敵の方から仕掛けてくる。炎の翼による挟撃は、端から目くらましだったというのか。


「フン!」


 フェネクスの拳が突き出された。速い。腹に一発、ジャブをくらった。全身の酸素が口から出ていくのではないかと思うほど、徹也は思いきり息を吐かされた。


「くはッ」


 思わず剣を取り落とした。さっきは折ってやるといったくせに、敵は剣には目もくれずこちらの体を狙ってきた。実に追跡者らしい、狡猾な手口だった。ずる賢いといっても良い。だが、だからこそ強い。


 即座に体勢を立て直す。敵は人智を超えた存在だが、徹也もまた同じ力をとり扱う。ならば力量に差はない。そのはずだ。拳を握り、構える。直後に突き出すと、ちょうど向かってきた敵の拳の真正面にブチ当たった。


 拳と拳の衝突。力試しだ。


「なッ!」


 刹那、徹也は全身に熱さを感じた。拳が衝突した瞬間、すでに徹也は炎の翼に包囲されていた。拳は囮、見せかけの攻撃に過ぎなかったのだ。本命たる漆黒の炎が徹也の全身を舐め、焼き焦がす。


「視野が狭くては戦えぬぞ。これを教訓に、冥土では優秀な戦士として我らに仕えるが良い」


 いつのまにか耳元まで近づいていたフェネクスのマスクがそう囁いた。全身に熱波を受け、徹也は両の足が浮いていくのを自覚した。炎の翼に全身を絡め取られ、宙に横たえられているのだ。


 しかし徹也はその事態に対処する余裕さえもなかった。全身が熱い。そして、何より自由が利かなかった。


「馬鹿な、この俺が……!」


 熱い。痛みは感じなかった。体中が熱くて仕方がないのに、赤ん坊のように抱き上げられている体はまったく思う通りに動いてくれない。術中にハマった。気付いた瞬間、悔しさで心までもが熱く焦がされていく。


 身も心も焼かれていく。徹也は次第に意識を失っていった。


(待て、待てよ。俺は絶対に、敗北してはならないのに……!)


 涙で視界が滲んでいく。確かに追跡者フェネクスの醜いマスクが見えていたはずなのに、いまは何故か故人となった妹の泣き顔がいっぱいに映っていた。


 かつて追跡者によって、その存在ごと奪われた妹。もう二度と同じ事件は起こさせない。そう誓って、奴らを滅ぼす戦士になったはずなのに。


 過去の幻影に手を伸ばすことさえ許されず、徹也は滲んで歪んだ視界が暗くなっていくのをただぼんやりと眺めるしかなかった。



 侯爵フェネクスにとって、それは晴天の霹靂だった。


 ニンゲンなど他愛もない。いくらユニコーンの力を得ているからといって、その中身は幼体から成体になりかわっている途中の状態にすぎない。ニンゲンの言葉でいうなら、まだ高校生のガキだ。


 文字通り子どもの手をひねるようなもので、これを撃退するのに少しの手間も時間もかからなかった。意識を失ったらしいユニコーンを放り捨て、炙られて全身を煤まみれにしたその命を奪い取るべく、フェネクスはその手を首に伸ばしていく。


「ふむ。いま解放してやるぞ、我が同胞、アムドゥシアス公よ」


 マスクをぐにゃりと歪め、勝利の愉悦に浸ったままニンゲンの首を折る。何のことはない簡単な作業だ。


 簡単すぎて、まさかそれが妨げられるなどとは夢にも思っていなかった。


 つまり、そのとき追跡者フェネクスは油断したのだ。


「何?」


 ユニコーンの首に触れようとしたその瞬間だった。急に、突然、何故かは知らない。全身が一切動かなくなった。フェネクスは一瞬、我が身を疑った。


(侯爵たる我輩が、干渉を受けている、だと?)


 とにかく動けないのだ。だが、周囲に他のニンゲンや同胞がいる様子もない。ならばこの干渉はどこからもたらされているのか。


 それは、なんとフェネクス自身による干渉だった。


『こいつじゃない。僕が、殺したいのは……』


 幻聴のように、それはフェネクスの魂の奥深くからわき上がってくる。呪詛の声だった。


(何だ?)

『僕が殺したいのは、こいつじゃない。大和田、猛だ』


 呪詛の声と同時に、その内容もまたフェネクスの魂に注がれていった。


 はじめての殺しという唯一無二の機会を捧げるのはこいつじゃない。こんな薄っぺらい奴じゃない。大和田猛という同級生、そいつこそ、僕がこの人生ではじめて殺したいニンゲンだ。それ以外は、認めない。


 深い呪詛だったが、追跡者にとっては実にくだらないものだった。単なる執着に過ぎない。まったく理解できなかった。


(こいつを殺してから、そいつもやればいい。だから今は我輩の好きにさせろ)

『ダメだよ。絶対、ダメだ。僕はこんな奴に興味はない。もっと、酷い方法で殺したい奴がいるんだよ。そいつに金とか、権利とか、色んなものを奪われてきたんだ。殺したいやつを決める権利までどうして今さら、奪われなくちゃいけないんだ!』


 魂の奥深くから響いてくる、大きな呪詛のうねり。


 侯爵フェネクスの魂は大いなるうねりに飲みこまれ、即座に沈黙した。



 徹也の全身は不可視の拘束から解放され、コンクリートの床に背中から落ちた。そのとき、徹也の視覚も回復し、過去の幻影からも解放され、再び現実をその瞳に映す。


「寸前、か……」


 殺されずにはすんだ。どうやらフェネクスの魂は眠りにつき、藤堂巧の意識が表に出てきたようだ。その証拠に、マスクと漆黒の鎧は消失し、頭部をハットのように覆っていた巨大な器官も、正面から割れて左右一対の突起に戻っている。


 毒々しいまだら模様の怪人――テイマーナイト“フェニックス”(通常形態(アイデンフォーゼ))に回帰したということが、フェネクスの意志が消えた動かぬ証拠だ。


「恩に着るぜ、巧くんよ」


 滲んだ視界のなかでこちらを見下ろす“フェニックス”の姿をみて、思わずそう呟いた時だった。直後、徹也は腹に衝撃を感じた。


 思いきり、蹴られたのだ。


「勘違いするなよ」


 フェニックス――藤堂巧は、はっきりとそう告げた。


「なんだ、お前?」

「猛を殺したかったから、解放したんだ。もし猛を殺してたら、僕はお前に容赦なんてしなかった」

「なんだと?!」


 徹也は怒りに火が点き、叫んだ。それだけで全身に痛みが走った。


「クッソ!」


全身火傷に打撲を患っているいまの状況では、叫ぶだけでも精一杯だったらしい。


 さらに一撃。喉からさらさらした何かがこみ上げて、こぼれる――吐血だった。今度は胸が蹴られたのだ。自ら吐き出した鮮血をみて、徹也は一瞬意識を飛ばされた。さっきまでフェニックスが見えていたはずなのに、急に視界がとんで灰色の天井に切り替わる。仰向けにさせられたのだ。


「僕は、これで、やっと……」


 呪詛めいた声が遠くで聞こえた。声はどんどん遠ざかっていく。


「待ってろ、猛。大和田、猛。いま行くから」


 声は次第に遠くなり、ドアがブチ破られる大きな音がした。その音さえ、いまや徹也には遥か遠くで聞こえたような気がした。


 待て。


 そう呟くことさえできなかった。叫ぶことはおろか、普通に声を発することにも苦痛が伴う。その苦痛をどうにかする気力を、徹也はついにもてなかった。


 立ち上がることなど到底できない。徹也はうずくまったまま、痛みに屈する己の弱さに、しばらく向き合いつづけた。


 何故か意識はいっこうに失われない。今度は妹の泣き顔が蘇ってくることもなかった。ただ現実のなかで、痛みと寒さに震えるだけで。


 ユニコーンから生身の人間に戻ったことさえ気付かぬまま、徹也はひたすら凍えていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ