魔神降臨!
しばらく歩かされた。学校から出て、三〇分ほどは歩いている。巧は行ったこともない団地の、空き地に辿り着いていた。
「まだ名乗ってなかったな。俺は一角徹也だ。三年で、受検シーズンまっただ中ってわけ」
「僕は、藤堂――」
「藤堂巧くん、だろ。調べさせてもらったよ。つってもクラスの名簿を見ただけだ」
「なるほど」
巧は少し苛立って、思わず顔を背けてしまった。一年と三年、学年の上では上下関係はうまれてしまうが、それでも三歳と離れていない。それくらいの歳の差しかないのに一方的に君づけして呼んでくる神経は何なのか。理解はできないが、しかし同じことをクラスメイトのイケメン枠の男子にもやられたことはあった。
同じ枠の人間であれば、年齢が違っていても同じことをしてしまうということなのか。そういう意味では人間も類型的な動物に変わりはない。巧は内心、徹也を嘲笑していた。
「さあ到着だ。ここは俺の秘密基地、ってところかな。広くはないけど、ま、入れよ」
「入れって、何もないじゃないですか」
空き地には何もなかった。看板すら何も立っていない完全なる空いた土地で、雑草だけがそこにある。面積はそれほど広くなく、団地の中の公園程度。ひょっとしたら公園にするために確保された土地が、団地住民の要望によって計画中止に追い込まれ、放置されているのかも知れない。
そんなただの空き地を前にして“秘密基地に入れ”などという徹也はひょっとしたら気が狂っているのか? そう思った次の瞬間だった。徹也が肩にさげたスクールバッグからリモコンを取り出し、ボタンを押した。空き地のちょうど真ん中が盛り上がり、四角形に区切られていく。つづけてドアが展開し、階段が露わになった。
「秘密基地らしいだろ?」
徹也は悪戯っぽい笑顔を向けてきた。まるでガキみたいだ。
階段を降りた先は殺風景な施設だった。コンクリートの打ちっ放しになっている壁と床には塗装もシートも何もなく、古ぼけた蛍光灯の明かりが室内を白く照らしている。地下室だから窓のひとつもないのは当たり前だが、居心地は良くない。実験室か牢獄を思わせる、ただ不気味なだけの場所だった。巧は引き返したい衝動に駆られたが、かといってどんどん歩く先輩の背中にわざわざ声をかけるのも億劫だった。
どうせ何を言っても言葉を返されて、結局は屈服させられるだけだ。スクールカースト上位層に属する人間は結局みんな同じだということを、一年生の半ばを底辺として過ごした巧はよく知っている。
徹也はやがて何番目かのドアの前に立つと、ノブをひねって押し開く。その部屋に徹也が一歩踏み入れると照明が自動点灯し、やはりコンクリートの打ちっ放しであるほかには何の特徴もない、いかなる調度も配置されていない完全なる空き部屋がみえた。
そこに巧が入室するとドアがひとりでに閉まり、ガチャ、と音がなる。オートロックなのだ。
「さて。これで二人きりだな」
徹也はスクールバッグを部屋の隅に置いた。巧もそれに倣い、二人は部屋の中央で向かい合う。
「で、何です? あいつらから離してくれたのはありがたいですけど、僕に何の用事があるんですか」
「用事がなかったら助けちゃいけないのかよ」
「あなたが本当にそんな先輩なら、僕は、とっくに助けられていたんじゃないですか」
緊張で声はかすれたが、それでも言い切った。無償のものなどあの学校の中には存在しない。ましてや初対面の先輩が何の見返りもなく助けてくれるなどありえないのだ。何か裏があるに決まっている。巧は学校生活の冷たさを、もう嫌というほど知り尽くしていた。
徹也はそんな巧をみて、すっきりした笑みを浮かべた。
「なるほどな。この世の道理はわきまえてるってわけだ。それくらいの優秀さ、見せてくれないと張り合いがなかったが、ちょうどいい」
「張り合い?」
「ああ。これから俺は、お前を倒す……“追跡者”の器となってしまったお前をな」
「追跡者の、器? ゲームの話ですか、先輩」
「昨日のことだ。お前は何だと思っている? まさか夢だと思ってくれているんなら、それは俺の能力のおかげなんだよ」
「昨日の、こと……?」
「お前は窓から飛び降りて、運悪く死んじまった。理由はわからないが、まあ知ったこっちゃない。そして、これも何故だかわからないが、お前は死の間際に追跡者に取り憑かれた。それも不死の力を持つ、一番面倒な奴にな。お前はいつ魂を追跡者に消されてもおかしくない状態だ。非常に危険と言って良い。だがな、安心しろよ。バケモノ人間はお前だけじゃない。この俺も、お前と同じだ」
徹也は言い切ると、右腕を天高く掲げ、パチンと鳴らした。瞬間、その肉体に変異が認められた。着用していた制服が消え、靴さえも消えた。肌色が反転するように白くなり、青色の線が各所に刻まれる。口と鼻は消え、仮面のように真っ白になった顔面に蒼い瞳が灯る。最後に三〇センチほどの角が額から生え、鬼とも聖騎士ともつかない人型の化物がそこに現われた。
「これは!」
「見覚えがあるよな、この姿に。そう、お前が昨日体験したことはぜんぶ現実だった。お前の死を含めて、ぜんぶが、だ」
「そんなはずは! だって僕は、今も生きて――」
「そうだ。お前は生きている。追跡者に取り憑かれたことによって」
「でもあれは夢ですよ。だって、今日鏡を見たときも」
「夢。それが俺の能力だ。一角獣の戦士、ユニコーンの封印騎士となった俺の権能なんだよ」
「ユニコーン……?」
「幻覚をみせてやることができる。お前が昨日保健室で眠っていたのも、俺の力だ。昨日起こったことを教師や生徒たちがもれなく忘れているのもぜんぶ俺の能力だ。お前は死を超越する力をもっているが、俺は認識というものを超越する能力をもっている。こう言えば、少しはわかるかな」
「そんな、馬鹿な」
「その通り。これは馬鹿げた力だ。だから、何の制御もできない奴がいつまでも持っていちゃいけない。過ぎた力は、世の平穏をかき乱す前に摘み取っておかなきゃならないってわけだ」
徹也――封印騎士“ユニコーン”はいつの間にか剣を握っていた。そんなものは部屋のどこにもなかった。出現させたのだ。まるでヒーロー物の主人公のように。
なら僕は、ヒーロー物でいえば敵役の“怪人”なのか。
巧は己の両手をみた。ちゃんと肌色をしている。僕はただの人間でしかない。怪人どころじゃない、ただの通行人だ。そのはずだ。そうでなければ今朝も抵抗できないままいじめを受けたことと釣り合いがとれない。いじめという辱めをうけた上に、どうして怪人扱いされなければならない?
それに追跡者というやつに取り憑かれていたのなら、僕がバケモノの力を持っているというのなら、何故いじめの最中にその力が起動しなかったのか。何もかも納得いかない。ふざけている。
「悪いがこれからお前を殺す。それが俺の仕事だからな」
相手は剣を構えた。そこまでは認知できた。だが、その次からは記憶が飛んだ。それは痛みを認識するまでもない、鮮やかな死だった。
※
流石に剣を構えただけで人が死ぬわけがない。一角徹也は巧に幻覚をみせただけだった。
生物の認識能力を自在に上下させ、あらゆる幻覚を見せることができるのがテイマーナイト・ユニコーンの力だ。剣を構えることで相手に注意を向けさせ、その隙に死の幻覚を送り込む――巧の脳や体の細胞に“自分は死んだ”という認識を与えたのだ。
斬殺してやってもよかったが、巧の素性を調べているうち、いじめられていることがわかった。普段から苦しんでいる奴に、さらなる苦痛を与えることは徹也にはできなかった。
だがこれは任務でもある。学校の課外活動とはわけが違うのだ。だから、最終的には命を奪わなければならない。苦しませずに殺す。それが徹也の決意だった。
「さあこいよ。追跡者……!」
巧の意識は死の幻覚によって昏睡状態にある。そして全身の細胞が死を認識しているため、総合的には仮死状態に陥っている。巧に宿った不死の追跡者が顕現するための条件はこれで、すべて整ったことになる。
徹也は構えをとった。しかし相手の反応は、想定通りに迅速だった。
仮死状態となったはずの巧の体が突然動いて、しかしまるで魂がぬけたように、倒れようとする。だが体が前に揺れたその直後、紫色の炎が全身を覆うローブさながら巧の周囲に発生し、それは一瞬で紫色から黒色へと変貌。黒く燃え上がった暗い炎が繭のように閉じあわさって、巧の姿を覆い隠そうとした。
「させるかよ!」
このままでは追跡者が巧の肉体を依り代にして物質世界に顕現してしまう。その前に葬り去る必要がある。徹也は構えを解き――部分解封を解除、とっておきの一撃――封撃幽殺を繰り出した。
パニッシュストライクとはテイマーナイトが己の内に封印した力を部分的に解放する儀式“チャージリリース”を経て撃ち出される、いわば必殺技である。テイマーナイト・ユニコーンの場合、幻覚を与えることによって炙り出した認識の中核……つまり敵の魂を直接、手にした一角剣で刺し貫く大技“霊魂貫通”。
敵の鎧の強度や回避能力といった厄介な特性のすべてを無視し、敵の魂を直接刺し貫いて破滅させることができる、実に強力無比な一撃だ。認識の中核部分である巧の霊魂をユニコーンの権能によって明確に視認できる徹也にとって、それはお遊びの射的よりもずっと簡単な作業に等しい。
実に安易な存在抹消。命なんて、その程度のものでしかない。
「終わらせてやるよ、お前の人生」
右腕を鮮やかに伸ばし、剣の切っ先で巧の霊魂を刺し貫く。
しかし。
その、直前。
霊魂に剣の切っ先が触れようというその寸前だった。繭の如き黒色の炎が突如展開し、それは翼となって巧の背中から放出される。
いや、それは藤堂巧などではなくなっていた。追跡者――それも、その性質から考えられる予測が的中していれば、中位の“侯爵”。
「我輩こそは、侯爵・フェネクス。ようやくの顕現、邪魔されるものかよ」
声とともに、影の中から伸びた手が徹也の繰り出した剣を握りこんでいく。影の手はやがて本体の手と重なり、刹那、剣が折られた。
「あと一歩で、間に合わなかったか……!」
背筋に冷たい予感が突き刺さった。徹也は即座に一歩、退いた。直後だった。侯爵の背中から迸る黒き炎の羽ばたきが眼前を通り過ぎていく。 退くタイミングが少しでも遅ければ丸焼けになるところだった。
折られた剣に力を込め、刃を再形成した――新たな刃が、まるで本物のユニコーンの角のように再生する。
剣をふたたび構え、徹也は侯爵フェネクスに向かい合う。ここからは殺し合いだ。それも人類の存亡を賭けた決戦の、その最前線での死闘である。
「いつもやってることだ。そうだろう? なあ」
己に言い聞かせ、一歩、その脚を踏み出した。剣の間合いに敵を入れ、構えを解く。
一角剣が一閃した。