ゴング。
一角徹也には妹がいた。十五歳の、二つ下になる小生意気な妹だ。
追跡者に殺された。享年十五歳。満面の笑み――遺影の写真は確か修学旅行の記念撮影から切り抜いてきたものだったか。葬儀のとき、徹也はしかし妹の別れに向き合うことができなかった。
妹が襲撃されたとき、徹也は意識を失っていた。そして妹が死んだその瞬間に徹也は意識を取り戻した。あふれる血の黒さ、生臭さと、冷たさと温かさが混在した遺体の、あの異様な感触によって目を醒ました徹也は、事実と絶望を目にした。
得意げに妹をお姫様だっこしていた俺。さっきまでは妹とふたりで図書館に向かっていたはずなのに。あの小生意気な妹がお姫様だっこになんて応じるはずはないし、妹を女子ともみなしていない俺もまさか抱き上げようなどとは考えないはずだ。
それなのに冷たくなりつつある妹の遺体を抱き上げて笑っていたのは、俺自身だった――それが徹也が思い知った事実だった。
俺が殺した。だから葬儀に行きはしても、最後の最期に向き合うことなんてできるはずがない。
追跡者を憎んだ。友人はおろか家族にも先生にもいえない罪の自覚は、組織のメンバーにならうちあけることができた。偶然とはいえ追跡者をこの身に宿してしまった罪、知らずのうちに体を乗っ取られて妹を殺してしまった罪。そして今ものうのうと生き、自殺しようとも思ってなどいない罪……罰を怖がっているずる賢い自分を嫌って生きてきた。学校ではイケメン・優等生・文武両道を貫いているが、どれも仮面に過ぎない。
追跡者の力を制御し、利用し、そして世に降臨する数多の追跡者どもを鎮めるために戦う“課外活動”こそ、徹也にできる最大の罪滅ぼしであり、嘘偽りのない本当の自分を保っていられる唯一の場所だった。
ヴィトは最高の師匠だった。凡俗でくだらない奴ばかりの学校教師とは対極をなす、人生の恩師と認められる唯一の大人だった。多くを教わり、これからも多くを学びたいと思った。この最高の師の下でなら、いずれは罰を受けいれられる強い自分をつくることができると、そう確信していた。
そのヴィトもまた死んでいった。なら俺は、どうやって俺をつくっていけばいい? はたして、誰が俺を強くしてくれる?
わからなくなった。徹也は二度目の絶望を味わった。
ヴィトが死んだ瞬間、妹を殺された時の――いや、今ならこう思う――俺が妹を殺してしまった時の、あの痛みが蘇った。そして、妹を殺してしまった時には何故か感じなかった、熱い怒りが全身を貫いた。
お前だけは俺が殺してやる。そんな最低な、しかし異様に明確な使命感が、目指しやすいほどに確固とした目的意識をもって、徹也の心を衝き動かしてそのすべてを支配した。
なのに何故俺は、いま、お前を助けているんだろう。
一角徹也は――ユニコーンは今、天から堕ちてくるフェニックスを見上げ、スコープ状の器官で隠したその目を、まずは細めた。
※
『巧よ。お前の人生を切り拓くんだろう? 我輩とともに』
幻聴で目が醒めた。
(フェネクス……?)
問いかけようとして、心の中には何もいないことを自覚した。問いかける先を失ってその言葉をつぐんだ巧は、バエルがすでに消滅している現実を認識し、虚しさとともに地へと降りていった。
(僕は何もできなかった。何も果たせなかった……僕の力では、何も)
バエルの巨大な拳に握りつぶされるのではないか。そんな死の恐怖が思考力を奪い、その隙を突くようにもたらされた強烈な幻覚作用によって、巧はさきほどまで意識を失っていた。
目が醒めたらすべてが片付いていた。打倒すべき敵は消え、死は遠ざかり、恐怖を感じる必要もない平穏がそこにあった。同時に、何事かを立派に成し遂げたのだという喜びも何もない、無味乾燥でつまらない、そればかりか虚しいだけの現実が、目の前に広がるだけになった。
自らで諸問題を片付けたわけではない。誰かによって綺麗に片付けられた、誰かの功績の上に成り立っている……いわば他者の人生のなかに用意された鳥かごの中で、僕はいま生活を始めようとしている。
バエルを鎮めるのは明らかに僕の役目だった。アマテラスに呼びかけれたのも僕だった。力をもっていたのも僕だった。なのに、何も成し遂げられなかった。
「お前か」
退屈なだけの虚しい地平に、すでに先に立っていた一本角の怪人を、フェニックスは見下しながら睨みつけた。まるでその身を正義の騎士に偽装した、純白の体表。白騎士を模した全身の器官のその配置の仕方は、イケメン優等生を演じる一方でいじめを止めようともしなかった、あの“先輩”にはお似合いの偽善っぷりだ。
見れば、笑いすらこみあげてくる。
バエルに握りつぶされる直前、幻覚で世界を歪めて一瞬の隙を作り出したのは誰でもないこの男の成果だった。そして追跡者フェネクスは、幻覚によって巧の意識が眠るのを利用して肉体の制御権を獲得し、バエルを鎮めるという絶対の成果をうちたてた。
幻覚でフェネクスがしゃしゃり出てくることを想定していたとしたら――想像するだけでも腹立たしいが、一応は成績優秀・文武両道の先輩であるこの男ならば、それくらいの策略をもって現実に対処してもおかしくはなかった。もしそうなら、一角徹也という男は巧ではなくフェネクスにバエルを討伐させるために動いたということになる。
(フェネクスを……僕の力を利用して、お前が成果を出したっていうのか。なあ)
口には決して出したくない言葉が、怨嗟となって心に沈んでいく。暗い澱をためこんでドロドロになった憎しみが心に生まれ、フェニックスの瞳に炎の輝きを取り戻させた。紫黒の炎が瞳に灯り、また背中から翼となって迸ると、しかしゆったりとその足を地につけた。
スタッ、と小気味よい音さえ立てて、夜の工場敷地の、砂利の地平に降り立ったフェニックスは、片手に一角剣を握ったユニコーンと対峙した。
「またお前か、先輩面した、お前か」
「よぉ藤堂巧。無様な戦いだったな。勝てるものも勝てなかった。だから、手を貸してやったよ」
「何だと?」
「ホントのことだろ。間違いなくお前は、この国を支配する、最上位の大いなる者に守られていた。その力を注がれていた……なのにお前は油断して、バエルの力の発動も読み切れず、まんまとハマった。あれが無様でなくてなんだ、この雑魚が」
「だから、僕の戦いを汚したっていうのか」
「ボクの戦い? 笑わせるな。追跡者の撃退は俺たち組織の使命だ。国家、いや、人類の存亡を賭けた壮大な防衛戦なんだよ。お前の自己満足なんて知ったこっちゃないぜ。結果は上々、勝利の宴が開けるレベルだ。組織の使命は見事に果たされた。あとは、お前の機嫌だ。自分の機嫌くらい自分でとれよ、赤ちゃんじゃないならな。戦いは終わったよ」
「ふざけるな」
戦いは終わった。その通りだ。だが、気にくわなかった。同時に信条のうえでも、現状のこの世界を認めるわけにはいかなかった。他人の成功の上で生きることは、他人の人生のなかを生きるということだ。僕は僕の人生を切り拓き、そこで生きていくと決めた。その信条に、決意に、反して生きるつもりなんて毛頭ない。
これから始めなければならない。戦いは終わったと嘯いて僕の人生の地位を無様なまま固定しようとする言葉なんて否定して、覆して、これから僕が自由に生きるための権利を獲得するための戦いを、始めなければならない。
フェニックスは拳を握り、構え、その一歩を踏み出した。地を蹴って肉薄すると、ユニコーンを襲撃する。
「ブチ倒す……いや、ブチ殺す。お前なんて!」
「終わった戦いに水を差すのか。やっぱりお前は追跡者だ。平和を乱し、調和を崩し、世界に争いをもたらすケダモノだ!」
ユニコーンもまたすでに握っていた剣を構えると、斬撃で応じた。
「討伐してやるよ。バケモノ!」
「化物はお前だ。他人を平然と踏みつけにできる、お前だ!」
「黙れぇ!」
人間の身体能力を超越する二人の魔人は、文字通り一瞬で接近を完了させるや、次の瞬間、衝突していた。




