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これが人間。

 あまりに強烈な光を直視すれば網膜が焼かれて脳も焦がされる――それは巧という人間が勝手につくりあげたイメージであり、言ってしまえば空想でしかなかった。


 現実はそうではなかった。何も見えなかった。あまりに強烈な白光を、人は認識することができない。視界が真っ白に塗りつぶされ、それは視神経を傷つけることもなければ、体にあたたかさを与えることもなく、ただの虚無感を心に投射しただけだった。


 無味乾燥な現象。つまらない現実。徹底した不干渉……それがアマテラスの答えだったのだ。


「じゃあどうして、邪魔だけしたんだよ」


 つい口から呪詛が漏れた。だが心の底からの言葉だった。あと一撃でバエルを鎮められた。なのに何故、その直前に火葬したこの身を蘇らせるようなことをしたのか。


 アマテラスの答えは簡単だった。


――私が気にくわないからです。あなたには、そんな風に勝って欲しくない。


「何が?」


――あなたはこの日ノ本の民。私に照らされる以上、私の意に沿うように生きて貰わなければ困ります。民に滅びを促す最上位の追跡者を鎮めるのであれば尚更のこと。


「意味がわからない。これは僕の戦いだ!」


――そして、私の日ノ本を守るための戦いです。あなたは追跡者の力を使っているから、今さら私の英雄にはできません。ですが、それに準ずる戦い方をして貰う必要はあるのです。日ノ本の守護者として。


「ふざけるな!」


 フェニックスは叫んだ。だがどこを睨もうとしてもアマテラスの姿は見えなかった。とてもこの世のものではない、世界のすべてを塗りつぶす圧倒的な光の中だ。幻聴も聞こえる。なのにその御姿だけが目に見えない。


 睨むことができなければ、憎みきることもできない。フェニックスは拳を震えるほどに堅く握りしめたが、それだけに終始する。


「ふざけるな……!」


 炎の涙が流れた。世界に赤黒いフィルターがかかっていく。悔しかった。腹立たしかった。なのに憎むべき存在――人を道具にすることに手慣れている大いなる者は、どこにも確認できない。


『これが現実だ、フェネクスの依り代、藤堂巧よ』


 別の幻聴がした。空中に浮かんだまま首をそちらに向ける。空中浮遊するバエルが、亀裂の入った仮面から血のような憎悪が滴るのも構わず、フェニックスに語りかける。


『この世界は常に利用する者と利用される者に分かれているのだよ。貴様が人生を滅茶苦茶にされたという、いじめという社会的な生け贄行為もまた、その道理のもとに成立している。太古の昔から人は何も変わらない――せっかく開発した農耕技術が、終わらない日照りのもとに朽ち果てていくのを防ぐために、大いなる者として我を生み出した、あの遙かな昔からずっとな』


「何の話だ……!」


『古代人は我のためにと勝手に人柱を用意し、海に沈めることで平和を保ってきた。我がそんなものを望んだことなど一度もなかったのにな。人はそうやって理性と本能のバランスをとり、身勝手な平和を保ってきた。人柱、生け贄、いじめ。すべては過去から繋がっていることだ。お前のような社会の爪弾きが生け贄にされることなど、何も珍しいことではなかった』


「何の話をしているんだ? お前は追跡者だ。人に蹴落とされて、大いなる者から転げ落ちたくせに」


『その通り。だから、我は貴様と同じなのだよ。人は他者を平然と蹴落とす。犠牲にする……あらゆる自然、家畜や奴隷、そして我のような存在さえも使い捨てにする。貴様も使い捨てにされようとした。それに抗うために、そんな人の社会の過ちを糾弾するために、我らのような悪しき者の力を欲した。そうだろう? 貴様の敵は我ではない。前から言っている通りだ。幸い我らが倒すべき敵の代表はいま、向こうからやってきてくれている。そうではないか? 藤堂巧、我が同胞の依り代よ』


 バエルはフェニックスから視線を転じ、その向こうにいる何者かに虚な眼を向けた。純白の閃光の中心――光の根源ともいうべき場所に。


「バエル、お前には、まさか……アマテラスが見えているのか?」

『左様。我らは追跡者。その眼は大いなる者を捕捉する。我が指示に従えばアマテラスを葬ることもできる。どうだ? アマテラスを葬ればこの国は貴様のものになるといっていい。追跡者の王として、フェネクスの依り代よ、貴様にこの国を支配させてやってもいい。その代わり確実に仕留めるのだ。悪い取引ではないだろう』


「成功すれば、確かに僕は誰にも邪魔されずにお前を殺せるようになるからな。悪い話じゃない」


『この国を支配する大いなる者が鎮められたとあれば、我が配下も次々とこの国に乗り出してくるだろう。貴様はその指揮を執らねばならない。我を殺している暇もないだろう。ここは手を携えようではないか、藤堂巧』


 バエルの幻聴は淀みなく響きつづける。 対してアマテラスは黙して語らない。姿さえも見せない、最初の姿勢を貫きつづけている。状況が変わりつつあるにもかかわらず、だ。


 フェニックスは判断する。バエルの言葉におそらく嘘はない。断じて信用できる相手ではないが、バエルはアマテラスを葬り去る千載一遇の機会を勝ち獲るべく、持てる手を余すことなくさらけ出してくるだろう。その点で、バエルに裏をかかれる可能性は低い。そのはずだ。


 バエルの提案に頷けば、確かにアマテラスを打ち倒すことができる。この国の支配権が手に入る――やはりバエルの言葉に嘘はない。それに、決して悪い話ではない。いじめなんてくだらない慣習を排除し、誰もが正しく平等に生きられるような世界を造り上げることだって、もしかしたら可能かも知れない。夢は、膨らみ続ける。


 フェニックスはバエルをみて、アマテラスがいるのであろう純白の閃光の方をみた。アマテラスはバエルの言葉に反論することもなく、ずっと息を潜めている。


 その沈黙が何を意味するのか。フェニックス――巧には、何故かわかるような気がした。


「二対一……いじめは、やっぱり、良くないな」


 独りごちると、巧――フェニックスは己の胸に手をあてた。そして、紫炎の翼をはためかせる。熱波が生み出され、周囲一帯を灼熱の無間地獄に変化させた。熱波が大気を揺らめかせ、蜃気楼が世界の歪みを明前と暴き出す。


 バエルは強烈な熱波から逃れるべく、竜巻を起こして上昇する。対してアマテラスはなおも動いていないのか、放出する純白の閃光を微塵も揺らがせはしない。


「アマテラスも、お前も、どっちも気に入らない。どっちも邪魔だ。でも、僕はまずお前を殺したいんだよ、バエル。僕を殺しかけて、僕を嘲笑して、僕の命を好き勝手にできると思い込んでいる、お前を」


 憎しみが、眼から発する紫黒の炎となって発露し、暗く彩られた視界のなかで追跡者バエルを睨めつける。誰の命令でもない。やりたいからやる。故に、始末したいから始末するのだ。


 手を携えてアマテラスを抹殺し、この国を正しく支配する。甘い誘惑だが、ようは徒党を組んで相手を追い込むということだ。それはつまり、担任も味方につけて徒党を組んで僕の一家を追い込んだ、大和田たちと同列の、あの卑しい存在に堕ち果ててしまうことと同じになる。バエルのいうとおりの、ただのニンゲンのひとりに危うく成り下がるところだった。


「僕は、お前が古代からずっと見てきたようなただのニンゲンにはならない。人柱とか、生け贄とか……いじめで満足するような奴なんかには、絶対にならない!」


 決意は何も変わらないし、変えるつもりもない。人生をこの手で切り拓く。そして邪魔者は排除する。不断の法則にしたがって、フェニックスは己自身を己の心で動かした。誰かに惑わされることなど、ありえない。


「殺す!」

『愚かしいな、貴様は』

「お前がいうほど、僕はバカじゃない!」


 愚かではない。だから都合の良い口車には乗らない。僕はまわりの馬鹿なニンゲンとは違う。生け贄を欲さずに人生を謳歌できる自信がある。誰も踏みつけにすることなく平和に生きられる自信がある。必要もないのに誰かを傷つけること――動物的な争いの本能に支配されることなど、汚いことだと知っているから。


 こんなニンゲンもいる。いや、これが人間だ。バエルにそのことを教えてやるのだ。フェニックスは拳を握り込むと、再び翼をはためかせて加速した。竜巻に乗って天に昇るバエルは、白い光の根源に向かっている。アマテラスを自らの手で葬るつもりなのだろう。


 こちらを愚か者だと煽っておいて、本当は眼中にもない。事実、バエルは雷雲や冷気を空に発生させ、トラップのように張り巡らせて配置することでフェニックスが最大速度を出せないようにしていた。甘い言葉で誘っておいて、そのくせ断られることを想定していたというわけだ。そうでなければこんなに迅速に、かつ精確な動きをとりつづけることはできないだろう。


 ヒトを信用せず、むしろたぶらかし、利用することに慣れすぎている。結局のところ、大いなる者も追跡者も、僕の目からみれば何も変わらない。


 ならば、どっちを倒しても同じこと。同じであれば、より脅威となる方を潰す。当たり前のことだ。


「そんなんだから、誰にも信じられなくなるんだ」

『違うな。ニンゲンが我を捨てたから、我もまた、突き放したのだ……!』


 静かで、重い反駁が返ってきた。だがそれでもバエルはフェニックスには目もくれなかった。そのうちに先に配置されていた冷気と稲妻がフェニックスに到達する――アマテラスしか、獲物しか、もうその虚な眼には映っていない。


 フェニックスは歯を食いしばった。怒りに心がどうにかなりそうだった。わかりきったトラップで僕を仕留められるとでも思っているのか。


「僕をそこまで舐めたこと、後悔させてやる!」


 迫る冷気、いや大気の氷壁を、炎翼の熱波で吹き飛ばした。全身を高速で宙返りさせることで前方に熱波を飛ばし、氷壁を蒸発させて冷気ごと消滅させたのだ。急速に温められた冷気が気体の状態を保てずに液体となって、局所的な雨となったその間に、フェニックスは横に体を回転させてその場を離れ、稲妻を降らしつづける雷雲をやり過ごした。


 だが、前進は確かに妨げられたことになる。高度は今や圧倒的にバエルが先んじており、あいつはもうすぐアマテラスのもとへ達してしまう。


 無論、アマテラスが為す術もなく敗れることなどありえない。おそらくバエル如き追跡者を撃ち落とす方策のひとつやふたつ、用意しているに違いなかった。それこそ、この空のどこかにウカノミタマやその眷属である妖狐が潜んでいてもおかしくはない。


 だがアマテラスは相変わらず何も言ってこないし、何かの準備をしている素振りも見せない。不干渉を貫き、何も感じられない白いだけの光を変わらず放射しつづけ、世界をくっきりと照らしている。


 それだけだ。何の熱も感じない白いだけの光など、あってもなくても同じことだ。そんなものに照らされなくても、フェニックスは鮮明にバエルを捕捉できる。


 とはいえ、何も言わないから、あるいは、何もしないから、だからこの現実を肯定しているというのは、違う。断じて違う。そのことを、フェニックスは痛みを思い起こすほど、よく知っている。


 それを世界に示すため、バエルからアマテラスを守る必要がある。


 フェニックスはバエルを睨み、その乗り物と化している巨大な竜巻を見据えた。追跡者を天に押し上げる巨大な回廊の柱のようなそれを、フェニックスは打ち崩しにかかる。


 無我夢中で突っ込んでいった。


 バエルを追い越すことはもうできない。せめて追いつくためには、バエルの加速を妨げる必要がある。足を引っ張るのだ。先ほど邪魔されたのと、同じことをやり返すのだ。敵の乗り物を壊す。それはレースにおいてはもっとも簡単でもっとも効果的な手法だった。


『気が触れたか? やめておけ。これは我が権能で直々に生み出した気象だ。貴様にはどうすることもできない』

「取引をもちかけてきた割に、僕の力を信用していないんだ。やっぱりお前は殺すべき存在だな。気に入らないんだよ」

『ならば死ぬがいい。自ら、愚かな行為に手を染めて』


 バエルはしかし、まっすぐ天に昇りながらも一度だけ、下方をみやった。フェニックスの位置を確認して、すぐに上をむいた。そのわずかな視線を、フェニックスは見逃さなかった。


 見られたということは、当然捕捉されたことを意味する。バエルにとってその時間は一瞬でいいということだろう。いずれにせよ敵にこちらの動きが一度でも見られた以上、バエルも次の手をうってくるはずだ。あるいは天に至る加速力を、さらに強めてくるかも知れない。


 そうなれば追い越すことは、いよいよ難しくなる。フェニックスは、天に昇りながら歯を食いしばった。


「やるだけやる……もう何も怖くない。死ぬことが怖くないなら、失敗なんて、もっと」


 呟き、フェニックスはバエルの竜巻に接近する。遠くからでは細い縄のようにしかみえなかったが、いざ近寄ってみると巨大なタワー状の建造物のような、壮大なサイズ感が判明した。さながら天に至るために積み上げられた、古代の巨塔だった。


 それを崩したことで天に至る道は閉ざされ、人は人の領分でしか生きられなくなった。


 今はそれが追跡者の逸話になる。いや、そうしてやらなければならない。大いなる者を穢させるわけにはいかないのだ。これから堕とす相手が、もとは大いなる者・バアルであっても、今は最高位の序列をもった第一位の“王”であったとしても……バエルが天に至ることを許してはならない。


 何より、気に入らない。それ以外の理由が見当たらない。だがそれで良い。邪魔だと思うから排除する。それ以外の理由も、要らないだろう。


 フェニックスは翼を水平に広げ、大きくひき伸ばした。そして竜巻を横切った。炎の翼で壮大なそれを遮り、切断した。やがて竜巻は折れてその形象を損って、徐々に霧散していった。もとより天候操作によって無理矢理生み出された虚像の竜巻だ。それはあっけなく消え去り、バエルの加速もすぐに止まった。


 これは足の引っ張り合いだ。だが、競争なんてそんなものだろう。だから学校の教室というものがずっと嫌だった。


 フェニックスは大きな翼をはためかせて加速した。上昇し、バエルと同じ高みに辿り着く。今にも散々に砕け散りそうなその仮面と向き合い、フェニックスは今こそバエルを真正面から睨めつけた。


「お前だ、バエル。お前が僕を嗤った。見下した。命を奪うことで、僕の人生を邪魔した。今度こそお前を滅ぼして、僕は僕の人生を切り拓く」


 宣告し、拳を握った。漆黒の炎を纏わりつかせた鉄拳を、今度こそ何の迷いもなく繰り出した。

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