表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/53

心の中で昇りつづけた太陽。

 どうすれば最高の追跡者、バエルに勝てるのか。方法はすでに知っていた。妖狐の力を借りていた間に一度だけバエルを瀕死の状態に追い込んだ。この経験はもちろん巧の記憶に明確に刻まれていた。その次の段階ともいえる大いなる者・バアルを鎮めたときの経験も総合して、確実に勝利できるプランはすでに練ってある。


 あとは実行するだけでいい。巧は――フェニックスは、まずはフェイクの拳をバエルに叩き込む。


 狙いのつけた拳はバエルの顔面を捉えた。が、バエルは隆々とした腕をしならせると、拳で応じた。敵のその所作もフェイクであることは明白だった。周囲の大気が冷気を帯び始め雪の結晶になっていく。氷漬けにしたいから、拳で注意をひいているのだ。


 フェイクにはフェイク。食えない奴――フェニックスは自ら手の内を明かす。背中の翼を巨大化させ、紫炎でできたそれをはためかせた。熱波が周囲の大気を灼くことで、一切の冷気は払われる。


 代わりに、炎の翼でバエルを灼く機会は損われた。ならばフェイクとして放った拳が、今度は本命の役割を果たすことになる。


 遅れて、拳と拳が衝突する。腕の太さが示すとおり、腕力ではバエルに分があった。真正面からぶつかりあえばフェニックスが押し負けてしまう。故に、衝突の直前に身を翻した。翼をはためかせてふわりと浮き上がったフェニックスはバエルの拳を中空でかわすと、その鋭利な爪の生えたつま先で、今度はバエルの胸を狙う。


 蹴ると同時に貫いた。


 爪が胸を抉って背中に達し、貫通する。人間ならば即死だが、追跡者はこの程度では滅びない。フェニックスは浮いた片足でもうひと蹴り喰らわせるや、その衝撃で貫通した爪を引き抜き、さらに宙返りして距離をとる。


 と、不意に視界がふさがれた。氷だった。急速に発達した冷気が薄い氷の壁をつくり、目隠しの役割を果たしている。


「小癪だ」


 敵の企みを一笑に伏すと、フェニックスは左右の炎翼をそれぞれ異なる方向にはためかせることで横に一回転し、氷の壁を焼き払う。まるで風車のようだ。その回転でさらに加速したフェニックスは、再びバエルへの接近を試みる。


 不意に、雷鳴が迸った。局所的な雷雨が発生し、稲妻がまるで狙撃銃のようにフェニックスの胸を射ぬいた。完全な追跡者ではなく、あくまで巧という人間の体を依り代にしているフェニックスにとって、外傷は死に直結する致命的な損害になりえてしまう。


 フェニックスはしかし、その前からすでに死んでいた。


 胸を稲妻で貫かれ、灼かれてもなお加速しつづけるフェニックスをみて、バエルは首を傾げた。そして、笑いはじめた。


『貴様、まさか……もうこの世にはいないというのか?』

『それでいいんだ。この方法でならお前を打ち破れることは、もう知っているから』


 炎翼をはためかせて空を飛んでいたその間、自らの翼でフェニックスは己の肉体を焼き払っていた。風車のように一回転したその時、紫黒の翼の炎熱はバエルの氷壁を溶かすと同時に、主の体を火葬していたのだ。


 熱波による蜃気楼、そして炎翼でその身を覆っていたフェニックスの飛行体勢。すべてが連関することで、死を生にみせかけるこのフェイクは成立した。


 己を火葬した身にとって、死に導く一切の方策は通用しない。当たり前のことだが、これを実行できるのは死を超越した者だけだ。


『熱い……痛い……でも、僕なら』


 いじめを経験した。その果てに学校の窓から落ち、地上に衝突したことで首の骨を折って頭蓋に亀裂が入り、それでもなお死に損ない、血の赤黒さで染まった視界のなかで痛みだけを感じる無間地獄を味わいもした。フェネクスの力を得てからは数々の戦いに身を投じ、時には狐火に焼き尽くされ、バエルの天候操作で氷漬けにもされた。さっきまではラーの炎熱に身を焼かれて魂だけの状態にもなっていた。


 あらゆる経験が、すでに死という概念に対する認識を、その根本から覆していた。死は怖くない。むしろ身近なものだった。体は消えても魂は残る。魂さえあれば、体はいずれ再生される。故に、僕なら耐えられる。


『僕だから、生きていられるんだ!』


 肉体を自ら消したフェニックスは、魂――その黒々とした紫色の炎だけになってバエルに突っ込んだ。もちろん稲妻は素通りし、冷気は霧散し、氷の隕石さえ熱波で融解させた。風圧などもろともしない。フェニックスは、バエルが天候操作によって繰り出すあらゆる障害を無視して、ついにその本体へと到達する。


 視覚を閉ざした。衝突は明らかだった。ただでさえ熱くて苦しいのだ。もう楽になりたい。その思いがフェニックスに認知機能を断裂させた。


 瞬間、フェニックスは幻聴を耳にする。


――認めません。あなたには生きて、この辛い現世を切り抜けて欲しいのです。


 それは、あのウカノミタマのような荘厳で、身勝手な声音ではなかった。あたたかく、柔らかく、しかしいまは確かな芯をもって響く、優しい声音。


 あの暗い洞窟の夢のなかで……あるいは、フェネクスの依り代となる前、赤黒い視界の中でこの世のすべてを呪ったときにきいた“ごめんなさい”という謎の幻聴と、まったく同じものだった。


 巧は目を開いた――フェニックスは、何故か肉体を取り戻していた。


 故に、バエルの屈強な肉体に撃退されることになる。


『何が起こったかは知らないが』


 嘲笑を含んだ声が響き、丸太のようにもみえる隆々とした腕が振るわれ、フェニックスの胸を真正面から殴打した。フェニックスは呼吸も、心臓の活動さえも一瞬停まり、意識も失った。


『一位の我が殺してやろう、三十六位のなり損ないなど!』


 バエルは構えをとった。吹き飛ばされようとしているフェニックスの首に素早くその手を伸ばし、無理矢理掌中に収めようとする。次には、フェニックスの首の骨は折られるだろう。


 その、寸前だった。フェニックスの背後に強烈な光が起こった。熱を帯びてはいない、しかし世界のすべてを照らし出す強烈な閃光だった。後ろから当たっただけなのにもかかわらず、そのあまりの明るさに視覚が反応し、脳が覚醒し、失われた意識さえも復活する。


(僕は、まだ!)


 フェニックスは一瞬にして意識を取り戻すと同時に、強烈な白光がなにかを確認するべく振り返ろうとしたが、何故か、できなかった。


――私を見てはなりません。あなたにはその資格がない。私に照らされるだけの、あなたには。


 肉体が掌握されていた。一瞬、巧はそう勘違いした。


 厳密には、それは掌握ではなかった。巧自らが振り返ることを自らに禁じていたのだった。


 幻聴が発するとともに光がより一層強まっていたのだ。視界の端でその光を捉えただけで、フェニックスの視覚すべてがゆらいだ。意識が朦朧とした。こんな強さの光を直視したら、脳が焼け焦げるに違いない――その認識が直感的に怯えに繋がり、振り返るなど自殺行為であると本能が訴えてくる。


 死は怖くない。そのはずなのに、いったい僕はどうしてしまったのだろう。


 フェニックスは自問自答しながらも、バエルによって打撃を与えられた胸に痛みを感じ、それを契機として現実を再認識した。


 振り返るどころの話ではない。バエルの冷気を帯びた拳が、その指が、この首を折るために迫ってきている。


『肉体を新たに得たことで、貴様は我が力を受け付けるようになった。生きたいのか死にたいのか。この世界を守りたいのか憎みたいのか、依然はっきりしない貴様にはお似合いの結末だな』


 嘲笑とともに突き出される拳を、フェニックスは身を仰け反らせて、寸前で避けた。だが冷気が周囲を包み込み、フェニックスの炎翼の熱量を抑え込んでいく。このままでは己の翼で自身を火葬することもできなくなる……距離をとって炎翼の熱度を回復しなければならなかった。


 なのに、退こうにも背中に当たる強烈な閃光が体勢を変えさせてくれない。振り返っては視界に映ってしまい、その瞬間、脳が焼き切れる。絶対の光が、バエルと向き合うことをとにかく強制してくる。


「どうしてだよ!」


 身も世もなく叫んだ。これではいじめと同じではないのか。己を火葬し、死んだ状態にすれば殺されもしない。そうやって敵を鎮めようとしたのに、どうして邪魔をしてくるのだろう。そして、なのにどうして優しい言葉をかけてくるのだろう。


 巧にはさっぱりわからなかった。


 疑念が怒りを呼び、怒りが憎しみを招来する。


「こんなの、優しさじゃない」


 フェニックスは背中から紫黒の炎翼を再び噴き上げ、歯を食いしばった。


 振り返ることはできない。ならば前を向いているしかない。だがいま再び繰り出された拳に、黙って殴られる道理もない。


「クソ!」


 また叫び、しかし現実を睨みつける。突き出されるバエルの拳を避け、五指を握って拳を作ると、フェニックスはカウンターの一撃をバエルの仮面にブチ込んだ。石膏のように白いそれに亀裂が走り、バエルは衝撃によってよろめいて、片手で仮面を覆ってその崩壊を防ぎつつ、対の片手で天候を操った。


『その光、アマテラスか。天岩戸に引きこもっていればいいものを、余計なところで口を出してくる。相変わらずの陰気者よ』


 バエルの仮面越しに穿たれた虚無の瞳が、フェニックスを素通りして、その背を照らす強烈な白光の正体――大いなる者のひと柱に向けられ、細められた。


 アマテラス。その言葉を知らぬほど巧は無知な高校生ではなかった。この国のすべてを照らす最高の存在だ。だが、ずいぶんと身勝手なのもやはり大いなる者であるが故のことなのだと、巧は同時に納得もした。


「僕は、誰の道具でもない。誰の人形にもならない。そうする奴は排除する。そう決めたんだ。たとえそれが、あの天照大神であったとしても」


 己の人生を切り拓く。決意は何も変わらない。


 この光を視界におさめれば脳が焼け死ぬ。その本能的な恐れを抑え込み、フェニックスは己の生き方を規定しようとする傲岸不遜な存在を睨みつけるべく、ついに振り返った。


 何も、見えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ