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決意の眷属態!

 フェニックスはその姿を変える――魔人態(フェネクスフォーゼ)から、眷属態(フェニックスフォーゼ)へ。


 人が大いなる者の眷属として生まれ変わる……それは本来、禁じ手のはずだ。妖狐はその様を見上げ、目を細めた。


“英雄”として認められた人間が大いなる者の力の一端に触れることはある。だが、人を直接眷属に変えてしまうなど追跡者のすることであって、大いなる者のやることではない。被造物を生まれ変わらせるということは、彼を人の形にして世に産み落としたことが間違いだったと自ら認めるようなものだ。それを許容すれば、大いなる者の無謬性が低下し、人から得られる信仰の厚さに揺らぎが生じる。


 太古の時代、大いなる者であったバアルはまさに信仰の揺らぎによって廃されてしまった。つまり己の無謬性を低下させることは本来、大いなる者にとっては自殺行為なのだ。


「そこまでして、あなたは」


 大いなる者・ラーは自らの生命線である無謬性を犠牲にしてまで、巧という人間、あるいは追跡者フェネクスの尊厳を守りたいと考えている――その可能性がある。


 妖狐はため息をついた。やっぱり異国の大いなる者のことはわからない。自分の主のことだって、まだまだわからないのに。



 黒炎の螺旋と溶融し、その状態で丸焼きにされてしまったフェニックスは、やがて燃え尽きた。黒炎の螺旋が消失して、フェニックスの肉体もまた消えてしまった。


 それが変化の始まりだった。


 大いなる者・バアルは目を細めた。


 赤きフレアが一条、空の中心を舞ったのだ。それは血管のような微々たるものだったが、紛れもない復活の(しるし)だった。


 己を焼いた炎のなかで生まれ変わる。それが大いなる者・ラーの眷属たる不死鳥の伝説だからだ。


 追跡者フェネクスが復活する徴である、あの紫黒の炎ではなかった。それは砂漠地帯を照らし、生命の強さを試す強靱な太陽光のフレアに書き換えられている。まったくの別物に書き換えられた何かが、これから復活を遂げるらしい。


――自らを火葬し、再び飛び上がるが良い。我が眷属、不死鳥(フェニックス)よ。


 ラーのもたらす幻聴が空に響き、赤きフレアがその熱量を増して陽炎を纏いはじめる。世界を揺らめかす熱の波動は膨れあがって展開し、やがて翼の輪郭を思わせた。



 そのとき、巧の意識は目覚めた。



 目を開ければ足下に大いなる者・バアルの姿がはっきりと見てとれた。さっきまでは輝きのベールに塗りつぶされていたはずなのに……そして、巧は死ぬ以前の記憶を思い起こした。魂さえも焼き尽くす、あの地獄のような火炎はどこにいったのだろう。


 世界がそのまま変わってしまったのではないかと思われたが、それほど簡単に逃がしてくれるような甘い世界でもないと、巧は気を引き締めた。


「また僕は、生まれ変わったのか」


 呟き、それこそが正しい解釈だと理解した。瞬間、熱さが蘇ってきた。痛みもまた蘇ってきた。身も心も、魂さえも焼き焦がす大いなる火炎――いじめがまかり通るような、どこまでも無慈悲なこの世界を象徴するかのような、それはとにかく残酷な大自然の熱さだった。


 反抗すると決めた。己の人生を切り拓くと決めた。そのためなら殺人もする。邪魔者すべてを排除する。たとえ相手が追跡者だろうと、大いなる者であろうと、決意という名の不変の法則に基づいて排除するのだ。


 熱さと痛みのなかで、巧は苦しみ、呻きながらも敵を睨みつけた。残酷を象徴する、排除すべき人生の敵を視界に捉えて、そして願った。この世界に誓った己の決意を、変えさせないで欲しい。僕は僕の人生を歩みたいだけなのだ。


 巧は一歩、前に進み出る――その姿をイメージした。




 陽炎にすぎなかった熱の波動が、火炎を帯びる。


 翼の幻影に見えた透明な波動が炎という形象を得て世界に現出した。翼から足が生え、頭が伸び、腕が覗いた。翼を背負った人の形の真っ赤な炎が、真夏の空に現われる。


 フェニックス眷属態は、火炎でその身を織り成す究極の存在だった。実体をもたない以上、もう人とは呼べず、生命とも扱われない。人智を超えた存在――大いなる者の眷属とまったく同格の存在に化身している。


 追跡者フェネクスの意志による幻聴は、もう巧には届かない。追跡者の魂など、ラーが放った獄炎によって燃やし尽くされてしまったのだろう。


 いや、そうではない。巧は確信する。僕こそが追跡者(フェネクス)、いや眷属(フェニックス)に成り代わってしまった。


 瞬間、バアルの巨大な腕が持ち上がった。まるで女神像のような、古めかしい装束を身に纏った巨体が動いて、こちらを指さすのが見えた。


――撃退する。


 幻聴と同時に、空を巨大な棍棒が薙いだ。巧はそれを一度も見たことがなかったが、眷属として得た知識によって、それが撃退(アイヤムル)という大いなる武具であることをすでに理解していた。


「なら次は、追放(ヤグルシュ)か」


 身を翻して棍棒を避けたフェニックス眷属態は、翼を真横に広げて速度を殺し、一瞬の間だけ停止した。


――追放する。


 すぐにバアルの幻聴が響き、直後、巨大な棍棒がまた出現して空を薙ぎ払う。大いなる者同士の戦いでバアルが用いてきたその武具は、文字通り対象を追放する役割を担ってきた。


 フェニックス眷属態は距離を稼ぐために振り返り、炎の翼をはためかせて加速する。だが、避けられるはずの棍棒はフェニックスの後頭部に命中した。その結末ははじめから確定されていたのだ――追放(ヤグルシュ)の威力は運命さえ決めつける。


 無論、そのことは知識としてすでにラーから与えられていた。故にフェニックスは、棍棒に接触する直前、炎で我が身を焼き殺した。


「僕は、僕の人生を拓く。邪魔はさせない」


 呟き、巧は灰になってきえた。我が身を火葬し、世界から不死鳥が消える。


 棍棒が空を通り過ぎたとき、バアルの頭上で一条のフレアが咲いた。それは蛇のようにうねり、直後に爆発的な熱波をともなった翼と化して、さらに人の形をした赤き炎を生み出す――蘇生をはたしたフェニックス眷属態は、すぐに足下のバアルの頭を踏みつけにした。


 十メートルほどの巨体を誇るバアルに対し、人の上背にしてもそれほど大きくはない、一メートル五十五センチの身長しかもたないフェニックス眷属態。その対比はまさに霊長と小鳥の食い合いにみえた。結果は目に見えている。


 だが、そのフェニックスに踏まれてバアルの高度は確実に下がっていた。


――不敬者め。汚らしいその足、切り裂いてやる。

「地に落とす……もう一度、追跡者に堕としてやるよ」


 人の地平から離れ天空の高みに至った大いなる者を、再び大地にたたき落とす。それがバアルを滅ぼす方策の第一段階になる。この知識もまた、同じく大いなる者であるラーから授かった祝福の一端だ。


 それにしても、バアルの力は絶対的だった。大いなる者を踏みつけにする不敬を犯した者には欠かさず罰がくだる――手始めに、まず天候が変わった。


 空が急速に回転することでめまぐるしく季節が動き、夏の晴天から秋の嵐に切り替わる。木枯らしが吹きすさび、空の彼方から巨大な積乱雲が運搬された。雷鳴が轟く暗澹とした空がこちらにみるみる接近してくる。


 大嵐に違いないが、間違いなくそれは異常気象の類いだった。稲光がまるで雨のように絶えることのない、文明など粉微塵にしてしまいそうな大規模かつ広範な巨大雷雲。中に取り込まれたら最後、無限の雷槍に焼き尽くされるに決まっている。


 だからフェニックス眷属態は再び、自らの火炎で自らを燃やし尽くし、火葬する。


「誰にも殺されない。僕の命は、僕のものだ!」


 恐怖を叫びで打ち消して、フェニックス眷属態はこの世から消えた。


――食い物と名付けた他者の命を捨てるのが、貴様ら現世の文明の所業だが、貴様はさらに自らの命さえ捨てるというのか。


 バアルがため息をついた。その背後にフレアがとぐろを巻いて咲き誇り、数秒も経たないうちにそれは翼の生えた人の姿にまで膨れあがる。


 フェニックス眷属態はそしてふたたびバアルの頭を踏みつけた。いや、今度は踵落とした。また、バアルの高度が下がる。


――やはり悪魔だ貴様は。命を軽んじ、我らが保つべき道理……この世界の法則を根本から覆しかねない。生命には終わりがなくてはならないのだ。例外は、困る。


「そんなお前の事情で、僕の人生を好きにするなんて」


 上昇することで、迫り来る巨大な雷雲を足下にやり過ごした。拳を突き出すことで全身を構成する炎の勢いを増した。それは拳が巨大化したも同然だった。フェニックス眷属態は雷雲の真ん中に一撃で大穴をあけた。直後、炎から熱波が迸り、雷雲は内側から霧散することになる。


「それこそ、許されないことだ!」


 終わりのない雷が消え、急激な雨が地上にもたらされるが、知ったことではなかった。天災級の雷雲を払ったフェニックス眷属態が次にみたのは、巨大なバアルの眼――輝かしい全身の威容とは対照的な、空洞にもみえる虚な瞳だった。


 追跡者バエルが仮面越しに向けてきた、あの虚無の瞳とまったく同じ色をしていた。お前は結局、廃された存在でしかなかった。大いなる者でもあり、追跡者に堕ちた者でもある。


 僕に偉そうな口をきく資格なんてない。大いなる眷属と同格の存在になっている今の僕なら、尚更のこと――フェニックス眷属態は、だから言ってやった。


「鎮まれよバアル。地に堕ちて、また廃されるといい」


 人に寄り添ってきたというのは、今や昔話に過ぎない。あたたかな眼差しで人類の発展を見届けてきた者が、そもそも虚無の眼をもっているはずがないのだ。廃されるのだから、相応の理由があって人類に見限られたに違いない。


 ならば、僕が撃ち落としても問題はない――フェニックス眷属態は急降下した。その間にも人の姿から解き放たれ、それは翼を伸ばし、まさに巨大な炎鳥の輪郭を得てバアルにその嘴を向けた。


 それは封撃幽殺(バニッシュストライク)――我が愛しの不死鳥トゥルース・フェニックス


 それは、解放。不死の存在となり、人の形さえもなくし、大いなる火炎を完全に受けいれたことによる力の解放。人をやめ、完全な眷属となったことで、大いなる者さえも灼き滅ぼす力の放出を可能とする。


 それは全存在をなげうっての激突。まさに、遙かな昔、大いなる者を鎮めるために費やされた生け贄と同じ仕掛けとなって、巧は今、バアルにぶつかっていく。


 まばゆい火炎はオーロラのように空に広がり、その模様は暗澹とした嵐を蒸発させ、鮮やかな朝焼けを描いた。


――その命を捧げるつもりも、その信仰も、持ち合わせてはいないくせに……!


 バアルは怒り、空を動かした。だがいくら空を回転させたところで、不死の火炎はそこにありつづけた。


「僕を脅かすから、こうなったんだ」


 邪魔な者はなんだって排除してやる。フェニックス眷属態はバアルに激突し、己の生を押しつけ、そうして人生の権利を主張した。


 その間、バアルは高度を下げつづけた。不死鳥の嘴にその胸を貫かれながら、空を灼き焦がしてもなお飽き足らない熱さでその身を押され、下され、やがて地上に接触する。


 衝撃と閃光――大いなる者が地に堕ちたそのとき、地震と見紛うほどのエネルギーが大地を揺らめかせ、日の出のような白光が空間という空間すべてを満たした。


「くっ!」


 バアルを堕としたフェニックス眷属態は、その体躯を構成する炎さえ吹き消されてしまうほどの風圧をその身に受けた。大いなる者を堕とし、次なる時代を開闢させた強大なる歴史のエネルギーと等量の波動をその身に受けたのだ。無事でいられるはずがなかった。


 フェニックス眷属態はしかしその炎を完全に消されてしまう前に、また自らを火葬し、命を断って現世から飛び立った。


 命を捧げるつもりなどない……その通りだよ。


 巧の魂はバアルの言葉さえ嗤うと、また現世に舞い戻り、炎を纏って蘇る。一度は消えた炎の翼が再び空を灼き焦がし、彼自身が朝焼けと見紛うほどに巨大になったフェニックス眷属態が、その翼をゆったりとはためかせる。


 そして彼の不死の眼は、バアルの落ちた地上を天の高みから睥睨した。

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