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日常の中の毒気。

 ホームルームが始まるまでに机の上の汚れをどうにかしなければならなかった。巧は以前、拭くのもばかばかしくなってそのままにしておいたが、担任の福原から皆の前で指摘されてしまった。


『おい藤堂、机を汚したままにするな。それはお前のものじゃなくて、あくまで学校がお前に貸してるものなんだよ。使うなら管理もしっかりしろ』


 常識だった。そんなことはわかっている。馬鹿なお前にいわれなくてもわかっている。問題はその汚れを誰がつけたのか、ではないのか。本当にこれを掃除しなければならない奴は誰か、それを問うのが担任であるお前の仕事じゃないのか。


 言葉はすべて呑みこむしかなかった。両親の激しいクレームのせいで猛と福原が手を組んだ事実は、巧も知っている。福原は常に猛を擁護し、巧に反論してくる。ふざけているが、これが現実なのだ。


 掃除用具を使うことは許されなかった。『自分でつけた汚れは自分の持ち物でなんとかしろ』とも、福原からはすでに言われていた。だが、両親が高校入学祝いにとプレゼントしてくれたハンカチを汚せば、それはそれで母に問い詰められ、新たなクレームにつながってしまう。だから巧は百円ショップのタオルを買った。使い捨てにするために。


 机を拭いていると声をかけられた。女子の声だ。


「藤堂くん、昨日のプリントある? 期限が昼休み前でさ。もう待てなくて」


 水戸舞香だった。ショートヘアが風に揺れている。校内でも薄く化粧をしている女子はいるが、舞香はすっぴん美人だった。そもそも彼女が校則を破っているところは見たことがないし、そんな噂も聞かない。もっとも、巧に入ってくる噂話の質と量などたかが知れているのだが。


「ごめん。いま出すよ」


 昨日は放課後に連れ回されることもなかったから、課題のプリントをやる時間も気力もあった。鞄からプリントを取り、舞香に差し出した。受け渡すとき、プリントを介して舞香とつながった気がしたが、それこそ妄想の世界だと思えた。


 舞香と目をあわせることはできない。いじめに屈している卑しい底辺人間が、クラスの花とも言われている舞香と目をあわせる権利はない。それで舞香が周りの奴に何か言われるのが耐えられない。それ以前に、下手な気を起こして舞香に嫌われてしまうのも怖い。


 早々にプリントから手を離し、巧は作業に戻った。とにかく、福原がやってくる前に汚れを拭き取らなければならない。どのみち舞香とゆっくり話をしている時間はない。そういう意味では好都合といえる。


 だが、舞香は巧の前から去ろうとしなかった。そればかりかごく自然におしゃべりを継続してくる。


「いつもお疲れさま……あと、ごめんね。これは私の問題じゃないから、何もできないけど」


 巧は思わず顔をあげた。やめろ、もう何もしゃべるな、君までいじめられる。言葉が胸のなかで噴き上がったが、それを口に出す勇気はなかった。路傍の石にも等しい存在に、高嶺の花の投じた施しを拒否する権利は与えられていない。


「ほんとバカみたいだよ。高校生にもなって、小学生みたい。恥ずかしくないのかな。ね?」


 舞香は猛たちのグループを一瞬だけちらとみやると、巧に向き直り、心底侮蔑したような暗い表情をみせて言った。舞香が教師やクラスメイトに対してそんな表情を向けることを、巧は知らなかった。


 舞香は美少女で通っている。ひまわりのような存在だ。いつも賛同の言葉を口にして、華やかな笑顔で接する。誰かと敵対している場面は見たことがない。そんな彼女が、自分にだけ暗い表情をみせている。華やかさとは正反対の、毒のある言葉を撃ち放って。


 そんな舞香と、目があっていた。すぐにそらした。だがその表情は網膜に焼き付いたまましばらく離れない。その目の色は誰かを蔑むものではなくなっていた。憐憫と共感を示す、力強くも温かな視線にみえた。


 普通の女子なら巧とできるだけ関わらないようにする。当たり前のことだ。底辺に触れて自分までいじめのターゲットにされてはかなわない。だが舞香だけは何も恐れず、用があれば平然と話しかけてくる。


 舞香はただの華ではない。正義の意志をもつ華だ。それは巧が誰よりもよく理解している、彼女の本当の一面だった。


「舞香、何してんの? そんな奴と」

「プリント回収してたんだ。昼休みまでのやつ」

「そう……ならいいけど。大和田を刺激するのは、ちょっとアレだよ」

「わかってるって」


 案の定、舞香は猛と親しくしている女子から声をかけられた。最後は猛に聞こえないような小声になっていて、彼女もまた舞香を心配しているらしいことがわかった。舞香は笑顔をつくって振り返り、巧から離れていった。


(ありがとう)


 心のなかで最大の礼を贈ると、巧はいつもの作業に戻った。


 いつも汚れは簡単には落ちないのだ。




 昼休みがやってきた。巧は購買で食べ物を買うようにしている。両親は弁当をつくりたいと言っているのだが、必ず猛たちに盗られてしまう。親には「もう子どもじゃないから、自分で買いたい」といって納得させ、代わりに小遣いを増やしてもらった。


 ただ小遣いのすべてをもってくるとそれも盗られてしまうので、五百円だけをもって家を出るようにしている。最初は千円だけをもっていっていたのだが、そのうちの半分以上は“飯おごれ”のひと言で盗られてしまうので、五百円に絞った。めぼしいものを買えなくなった猛たちは『つまんねえ』といって小遣いを盗るのをやめてくれた。代わりに、放課後に連れ出されることになったのだが。


 おかげで昼休みは平穏の時間になった。自由に教室から離れることができる。猛たちの息がかかった連中から離れ、何の気兼ねも要らないひとりの時間を過ごすことができる。


 貴重な時間だ。


 焼きそばパンとジュースを買うために教室からでる。そのとき、同じく教室から出て行こうとする舞香の背中が出入り口で立ち止まって、突然、高い声をあげた。


「あ、センパイ!?」


 舞香の声は裏返っていた。


 回収したプリントを教務室にもっていくという心底面倒な仕事をしようとしていた舞香にとって、それは晴天の霹靂だったのだろう。気品漂う舞香が人前で素っ頓狂な声をあげるのも珍しいことだ。


「君、このクラスの子? ならちょっと頼みがあるんだけど、いいかな」

「な、何ですか?」


 舞香が男子を前にして緊張しているというのも珍しい光景だった。巧は思わず、舞香に気安く話しかけるその男を睨んだ。


「名簿をみせて欲しいんだ」

「わかりました。ちょっと、日直に声かけてきます」

「頼むよ」


 そいつは三年の男子らしい。靴の色で学年がわかる。教室を出るときにそいつをちらとみた。ナルシストなイケメン野郎。その言葉がよく似合う、ムカつくほどに端正な顔立ちの先輩だった。アイドルをやっていてもおかしくはない。


 だが同時に、クラスの上位層に君臨する奴らから漂う、他人を見下すことに慣れた嫌な空気を全身に纏ってもいた……どのクラスにも存在する、モテ層の男子という人種だ。


(お前みたいなどこにだっている奴が、水戸さんと話しているなんて。釣り合ってないよ)


 イケメン枠。結構なことだが、どの学校にも必ず数人いるという点では限りなく無個性な特性に過ぎない。


 またちらとみると、そいつも何故か巧のことをみていた。みて、ふっと笑っていた。やはり他人を見下すことに慣れている、いけすかない笑顔で。


「徹也先輩だ」

「かっこいいよね」

「やっぱ三年って良い……!」


 女子たちが羨望の眼差しをむけている。舞香でさえ声を上ずらせたのだ。他の女子たちが露骨な反応を示すのも無理はないといえる。


 どのみち僕には関係ない。巧は教室を去った。




 放課後。生徒であれば誰でもそれを待ち望む、解放の時。巧にとってそれは拷問がはじまる悪夢の始まりとなる。


 猛たちがにやにやしながら近づいてくる。校舎裏でサンドバッグにされる日もあれば、体育倉庫の整理を命じられる日もある。あるいはコントの真似事をしたいがために、その道具として黒板の前に立たせられ、服を脱がされたりする。そしてお付きの女子にも笑われる。


 巧は立ち上がった。猛たちを睨もうとしたが、先に強く肩をつかまれた。


「顔貸せや。な?」


 猛は運動神経が良く、体格も身体能力も高校生離れしている。当然握力も強く、掴まれた肩が痛い。どうやら今日は校舎裏で殴られる日らしい。


 取り巻きたちに囲まれ、猛に連れ出される。今日は課題のプリントがいくつか出ていたが、これからそれをやる気力さえ搾り取られるだろう。またプリント回収係の生徒に頭を下げなければならなくなる。


 舌打ちしようとして、巧は猛の背中に鼻をぶつけた。猛が急に止まったのだ。


「?」


 巧は首をかしげた。猛の大きな背中越しに、ムカつくほどに爽やかな笑みを湛えている男子――昼間、“徹也先輩”と女子たちがいっていた、あの無個性なイケメン野郎が立っていた。


「藤堂巧くんを借りたいんだけど、いいかい」

「巧を、ですか? あいにくッ!」


 猛が舌打ちし、急に振り返ってきて同時に、巧の腹に一発、拳を入れた。予想外の打撃。吐息がもれ、巧は危うく倒れそうになった。


「こいつはこのザマですよ?」

「なるほど……!」


 前のめりになった体を、徹也先輩は迷うことなく支えてきた。その動きは素早かった。速度、反射神経、ともに猛を上回っている。


「君が藤堂巧くんだね。クソみたいな奴らのオモチャにされてるって聞いてはいたけど、予想以上の仕打ちを受けてるってわけだ」


 囁くような小声で言われた。徹也先輩の笑顔が深まった。さっきまでの爽やかなものとは違う。それはどこか下卑た、汚らしい表情にみえた。


 少なくとも巧は背筋に悪寒をおぼえた。こいつがいつも爽やかそうにしているのは化けの皮だ。それがわかった気がしたのだ。

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