連撃の妖狐態!
フェニックスはその姿を変える――通常態から、妖狐態へ。
あたたかく柔らかな抱擁の後、妖狐が巧の中に入ってきた。
『追跡者の言葉に惑わされるようじゃダメ。もっと強くなって。私もお手伝いするから』
どうしてそんなことをしなければならないのか。そう思った心の隅で、しかし強くなりたいと思う自分がいることを、巧もまた自覚していた。弱いヤツから順番に喰われていくのはジャングルでも人間社会でも同じなのだ。辛い現実から逃げても未来は拓けない――それは残酷で閉鎖的な学校社会のなかで学んだことだった。
自分の手で未来を切り拓く……そう決めたのなら、そのためのことをしろ。そんな言葉を紡ぐ、まっとうさを主張する自分もちゃんとある。妖狐によるあたたかい援護が、あいつらにねじ曲げられた心さえもまっすぐにしてくれるかのようで、巧は余計に苛立った。
「わかったよ」
フェニックスは獣のような茶色の体毛を得た全身を、再びバエルに向け直した。それは巧の一存ではなかった。巧の体を掌握した妖狐がそうさせた。無理矢理にでもまっとうな道を進ませようとする強引さは、あたたかさと憎らしさを同時に引き寄せる。
かつて妖狐に命を奪われた記憶が、その炎の熱さとともに脳裏をよぎった。巧は――フェニックスは舌打ちした。瞬間、掌握が解除されたことを知る。戦え。暗に、妖狐はそう命じている。
「やればいいんでしょ」
『英雄の敵は追跡者。同族たるヒトは守るべき者。そうでなければね。故に、追跡者と手を組んでヒトの戦士を追い込むなどありえない』
「でもあいつはヤバイ。敵にするには、面倒です」
『私がともにいる。ともに戦う。今度こそ、あの追跡者を封じましょう。私とあなたで、ね?』
「やるしかないなら、どのみち!」
苛立ちと憎しみを人間にぶつけるか追跡者にぶつけるか、それだけの違いでしかないのか。そのはずだ――自分自身をなだめすかすように己に言い聞かせると、巧は気持ちを立て直した。そしてつま先で大地を一蹴りする。それだけで妖狐態となったフェニックスはバエルを通り越して空中でターン……瞬時に背後に回り込む。
『まるで忍のように』妖狐の囁きが勝利のイメージをそのまま伝達する。つまり、背後に回ってバエルの首をかき切れ、ということだ。そのために妖狐態の両腕には獣の爪牙が伸びている。
「引き裂く!」
獣のように咆哮し、フェニックス妖狐態は腕から生えた爪を長く引き伸ばし、バエルの背に組み付いた。素早く腕を首に回し、喉元をかき切る……その威力は喉の切断だけに終わらず、首そのものを切断する。
もっとも、そんな勝利のイメージは打ち砕かれる。腕を回してバエルの体躯に接触したその瞬間、フェニックスは動けなくなっていた。
「こんなときに?!」
『私じゃない……本当、厄介な能力だわ』
「能力?」
妖狐による掌握でもなければ、大いなる者による金縛りでもなかった。それは強烈な冷気――バエルの体躯を通して与えられた凍てつきによる全身捕縛。天候操作とは思えないほどの局所的な気温の変化は、やはり人智を超えている。
巧はその現実を理解するのに時間を要した。その時間を利用してバエルは蹴りを繰り出す。容赦のない回し蹴りだった。
腹に直撃する。
「かッ……!」
腹の底から息が出てきた。血が出てこないのは、フェニックス本来の強靱さと、妖狐態のもつ柔軟さのおかげだった。それでもフェニックス妖狐態は砂利道に倒れ伏し、軽くバウンドした後、無様に三メートルほど転がった。
そのとき、痛みとともに、視界に何者かのつま先が映り込んだ。ザ・リザーが、なんとキックしようとしてきている。
「起きろよ、バケモノ」
侮蔑の入り混じった、まるで奴隷に鞭打つかのような声音。それを耳にしたとき、憎しみが巧の意識を覚醒させ、痛みを忘れさせた。
「黙れ!」
怒りが頭を真っ白にさせたが、ザ・リザーを殺そうとすれば妖狐の金縛りにあうのはわかっていた。あくまで避けるために――フェニックス妖狐態は得意とする超速移動によって転がりながら身を起こす。
まるでブレイクダンスのように足裏で地面を叩いて速度を殺し、柔軟な背骨をしならせるようにして背筋を伸ばすや、次には飛び上がってザ・リザーの胸部を蹴った。
痛みを与える目的ではない。ただ踏み台にするためだめにザ・リザーを一蹴した。
「これなら、いいですよね!」
『避けるためなら、まあ仕方がないわね』
キックで加速したフェニックス妖狐態はそのままバエルに突進する。
「なめやがって……ガキが!」
ザ・リザーがわめき散らすのが後ろで聞こえるが構っていられない。拳を堅く握りしめ、バエルにそれを突き出した。もう片方の腕は勝手に動く――妖狐の部分的な掌握によって機械のように動かされ、掌から狐火を放出する。
狐火が冷気を蹴散らし、獣の拳がバエルの胸を撲った。今度は的中し、バエルの呻きが聞こえた。
『くッ』
「まだ!」
叫び、追撃の蹴りを繰り出す。回し蹴りだ。先ほどの返礼となる。バエルの横っ面を爪のついた鋭利なつま先で蹴飛ばし、つづけて拳の追撃。超速能力による連撃こそ、妖狐態の持ち味だ。
まるで目にも止まらぬ拳と蹴りの叩きつけ。その間隙に撃ち放たれる狐火。そのすべてがバエルを打ちのめし、その屈強な体躯をよろめかせる。
「これなら……!」
『きっと!』
妖狐があたたかく支えてくれるなら、何でもできる。高揚した意識がそう思わせた。
『緩めないで、次を!』
「はい!」
後ずさったバエルに再び接近する。もはや背後に回る必要はなかった。敵がよろめいている間に、爪で首を切断してやればいいのだ。超速移動を行いつつ腕の爪牙をひきのばし、まるで剣のように構えた。
すぐに跳躍し、そのとき片足だけで強く地面を蹴った。そうすることで空中で回転しながら爪を突き出す。そんなフェニックス妖狐態の姿は、さながら巨大ドリル。
バエルはまだよろめいている。その一瞬を突いた攻撃を、阻まれるおそれはない。勝利の確信が喜悦となって胸を満たし、一瞬、憎しみが薄れた。
その一瞬を、バエルは見逃さなかった。
嘲笑の幻聴がフェニックス妖狐態の心に届けられる。
『凡人になってしまったら、英雄にはなれんぞ?』
「黙れ。お前は僕が殺す」
『その時点で凡人になっている。我は追跡者……滅ぼすならば適切だが、殺されはしないのだよ』
「言葉遊びなんてくだらない」
『急くな、若造』
言葉を交わすだけの数瞬の間。フェニックス妖狐態は突進速度も体勢もなにひとつ変えないまま突き進む。迷いのない勇敢なその姿に、バエルは蹴りを繰りだした。
「なっ!」
『馬鹿な……!』
それは雷を伴ったキックだった。あまりの衝撃に、当たった瞬間地面にたたき落とされる。打撲の痛みがフェニックス妖狐態を襲った。
地面を転がることもなく、膨大な衝撃力を一身に受け止める羽目になった。フェニックス妖狐態は直後、体の末端から順番に氷漬けにされていく。たたき落とされた地面にはすでに霜が降りていたのだ。そこに冷気のカーテンを覆い被せられ、上下から瞬間冷凍――為す術もない、一瞬の気温変動。
一切体を動かせず、したがって何の言葉も発せられなくなったフェニックス妖狐態を見下し、バエルは嘲笑の声をまた響かせる。
『我に刃向かうからこうなる。さてニンゲンども。静観を貫いているようだが、次は貴様らだぞ。この者は少なくとも我を楽しませてくれたが、たかが黒騎士ども。貴様たちにこの者と同じほどの抵抗ができるかな?』
ザ・リザーとバエルが距離を隔てて正対する。「クソ、役立たずめ」と言いつつザ・リザーがしぶしぶというような緩慢な所作で構えをとった。
その時だった。
もうひとつの幻聴がバエルとザ・リザーの両者に届けられる。
『我輩が役立たずだと? 言ってくれるな。それにバエル、第一位だからといって調子づくな。我輩はまだ、貴様に頭を垂れたおぼえはないぞ』
『その声……フェネクスか。久しいな』
氷漬けになっていたフェニックス妖狐態の背中から、紫色の炎が迸る。それは翼となって伸び、彼を縛る冷気の一切を吹き飛ばした。
直後、フェニックス妖狐態はまた立ち上がる。その時には獣らしい体毛はすべて焼け焦げて消失し、爪も短くなり……通常態へと戻っていた。
(何だ?)
意識を取り戻した巧は、そして幻聴を聞く。
『バエルに負けるのは癪だ。我輩が力を貸してやる』
「誰だ、お前」
問い返しつつも、それが決して悪しき者ではないと巧は確信していた。幻聴をもたらしたその何者かの意志は巧の心に入り込んできたそのとき、膨大な憎しみと熱い怒りをもって奮起を促してきたのだ。




