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ケイオス・マジックの黒騎士。

 死は現実となった。追跡者バエルの屈強な肉体から放たれた手刀が巧の腹を貫通し、心臓を握りつぶした。一瞬の出来事に、巧自身も痛みを自覚できなかった。


 死は、しかし克服できる。不死の存在――追跡者・フェネクスをその身に宿す巧は、封印騎士(コード)・フェニックスに化身する。


 紫色の炎のなかで復活したフェニックスはバエルを殴りつけた。腹に一発、胸に一発。最後にその拳で紫色の炎のベールを振り払い、追撃の拳を握り直した。


 だがそれで動じる相手ではなかった。バエルはただひと言『凍てつけ』と呟いた。


 寒気を感じた。周囲の大気から雪の結晶が生まれ出ている。天候操作――フェニックスは一歩退いた。直後、眼前の景色が吹雪に変わる。とっさに退かなければ、今ごろは局所的な吹雪のなかで氷漬けにされていただろう。


 人智を超えた存在。やはり真正面から戦うなど馬鹿馬鹿しい。


「何とかしろよ。おまえたちだけで」


 フェニックスは組織のミニバンが近くで停車し、すでにグリモナイトの部隊がひっそりと展開されていることをその気配で感知していた。気配が集約されている方向に視線を走らせれば、やはり戦闘服の迷彩で夜の闇に紛れたウーゴたちがみえる。


 そこにバエルを誘導し、逃げてやる。とにかく留置所の外まで出られればそれで良かったのだ。端から戦う必要は僕にはない……フェニックスはウーゴに向かって駆けた。


 瞬間、フェニックスは電子音声を聞く。


[ケイオス・マジック:セットアップ]


 それはウーゴが両手にひとつずつ握った一対の携帯端末から、同時に流れた音声だった。ウーゴはさらに指先でそれぞれ端末の表面をタッチし、操作を続行した。直後、腰に巻いたベルト――中央にバックル状の機械装置が取り付けられているそれに、手にした携帯端末をひとつずつ差し込んでいく。


 まずは右手の端末を差し込む。すると、電子音――[ドライヴ1:ザ・キィ]

 つづけて左手の端末を差し込む――[ドライヴ2:ザ・プラクティス]


 そして、左右に端末の差し込まれた状態でバックルを半回転させた。瞬間、今度はバックルそのものから電子音が鳴り響く。


[“ザ・リザルト”アームド“ザ・リザー”:ケイオス・マジック・ラン]


 招来、装着。虚空から左右非対称の鎧が現出し、ウーゴに自動装着される。そのグリモナイト“ザ・リザー”は、半身のうち右側を黒に、左側を白に塗り分けた、実に奇っ怪な魔書業鎧だった。


 装着が完了されるとバックルがさらに半回転し、さらに一回転。それはまるで風車のようでもあり、ミキサーのようでもあった。その回転が止まったとき、ザ・リザーの各部から起動光と思しきランプが点灯し、そして消える。


 フェニックスはその間に接近を試みたが、ついに目の前に到達するころには装着が完了していた。


「よくも、僕をコケにしたな」


 拳を握って殴り込む。一撃を放ってそのまま逃げ、後方のバエルと鉢合わせるつもりだった。だが、ザ・リザーに拳をぶつけることはおろか、それを振り抜くことさえ許されなかった。


「ガキが、なめるなよ」


 嘲笑とともに、ザ・リザーが右にセットした端末――“ドライヴ1”の表面に触れる。直後、[ケイオス・チェンジ:ザ・キィ]と電子音が鳴ると同時にバックルが端末ごと一回転。黒かったはずの半身の色が白に染まり、ザ・リザーの左右の半身はともに白になった。


 黒白の戦士から一転、純白の騎士に変貌したザ・リザーのバックルから、さらに電子音声が鳴り渡る。


[プラネタリ・アワー・オン!]


 新たに鳴り響いた電子音に連動して、端末自体も明滅する。


[グラウディング・スタート!]


 つづけて、ザ・リザーの足下に薄緑の魔法円が浮かび上がった。


 瞬間、フェニックスはそれに見覚えがあることを思い出す。大いなる者の住まう廃神社まで追尾してきたグリモナイト――ブルゥ・キーンと同じ機構だった。


[リリース・ペンタクル マーディ!]


 ただ、それはブルゥ・キーンと比べて倍する速度で攻撃を放ってきた。至近距離で爆炎を撃ち放たれ、それはフェニックスに直撃する。爆炎を生み出す速度が尋常ではなかった。予想もできなければ、回避も不可能だ。


 フェニックスは衝撃に吹き飛ばされ、地面を無様に転がった。その先にはゆったりと歩みを進めるバエルがいる。


 逃げるつもりが、戻されてしまった。それを恥じるよりも先に、バエルの攻撃を避けなければならない。フェニックスの紫炎の灯った瞳に、稲妻が映り込む――立ち上がると同時に横っ飛びに退避し、間一髪で稲妻の直撃を避けた。


 降雷の大音声と衝撃が地面を揺らし、フェニックスの聴覚を苛んだ。揺れる視界のなかで、それでも立ち上がると、フェニックスは左にザ・リザー、右にバエルをそれぞれ睨み、構えをとる。


「敵前逃亡は死刑なんだぜ、ガキ。次はもっと出力を上げてやるよ。だから、諦めろ」


 ザ・リザーからウーゴのうざったい声が響く。


『戻ってきてしまったな。我との勝負が忘れられなかったのか』


 バエルからも嘲笑の混じった気にくわない幻聴が響いてくる。左右からの不快な言葉――フェニックスは舌打ちした。


「どうした? 早くそいつを倒せよ、バケモノ」

「うるさい」


 お前もバエルも、どっちも殺してやる。フェニックスはザ・リザーに背を向けバエルに対峙した。ザ・リザーの戦闘能力は予測がつかない。何度も遭遇しているバエルを相手にする方がまだマシに思えた。


「お前から倒す、バエル!」


 僕の前に立つ者は皆殺しにする。己の人生を切り拓くその決意に、微塵も変わりはない。拳を握って構えをとったフェニックスを、しかしバエルは両手を広げて、まるで迎え入れるような姿勢をとった。


「?」

『ニンゲンに指図される哀れな英雄よ。取引があるのだが、聞いてくれないか』

「取引?」

『そうだ。貴様が倒すべき者は、我ではない。そうではないか?』

「どういう意味だ?」

『先ほど逃げようとしたではないか。貴様には我と闘う必要がない。だがあのつまらんニンゲンに阻まれてしまった……貴様の道を阻むのは我ではなく、あのニンゲンだ。ならば、排除すべきは誰なのか。自明ではないか?』

「それは……」


 痛いところを突かれた。正直にそう思う。バエルと挟みうちにされてしまう懸念さえなければ、確かにザ・リザーを殺したいのは事実だった。そのバエルが取引を守って信用できる相手となるのであれば、決して悪い話ではない。


 そうだ。滅ぼしたいのはバエルではない。愚かな人間どもの方なのだ。


 巧の心をそのまま読んだかのように、バエルは言葉を継いできた。


『貴様の憎しみは我らのものと同じだ。悪しきニンゲンが作る、悪しき社会。それをただひたすらに憎んでいる。そして、改善するべきだと考えている。そうだろう。ならば、フェネクスを宿した少年よ。あの指図を送ってくるだけの、ただ見ているだけのつまらんニンゲンこそ、我らの敵だ。異論はなかろう? どうだ。貴様があのニンゲンを狩っている間に、我は立ち去ろう。貴様を襲ったりはしない。獲物を横取りすることもない、あのニンゲンのようにな』


 本心を見透かし、心を揺さぶる幻聴。まさに悪魔の囁きそのものだ。


 フェニックスは握っていた拳を解いた。そのまま頷き、振り向こうとした。バエルの言葉には深く共感する。確かに、殺したいのは追跡者ではない。僕が殺したのは人間だ。それも、他人の人生に危害を加えて反省することがない、善人ぶった悪人たちだ。打倒するべきはそんな悪人どもが造り上げる社会だ。バエルの言葉には何の間違いもない。


 実際、ザ・リザーを殺したくて仕方がないのも事実なのだから。


 バエルに背を向け、ザ・リザーに立ち向おうとした。その時だった。


(これは……!)


 指一本さえも動かせない、一切の自由を奪われた不可思議な金縛りに苛まれた。


『惑わされないで。追跡者がまっとうな取引をヒトと結ぶとでも? 相手は、人間を被造物……下等生物以下の存在と思っている連中よ』


 聞き知った声が心に響く。バエルの嘲笑混じりのものとは違う、温かな女性の幻聴――妖狐の言葉。


 ザ・リザーが見えるはずの視界には、巫女装束を身に纏った妙齢の女性だけが見えた。金縛りにあっている状態ではされるがままで――フェニックスはその女性に一方的に抱きしめられた。


 あたたかく、柔らかい。心地良い感触だった。だが、巧は思ってしまう。人間を被造物としか扱っていないのは、あなたたちも同じのくせに。


(ずるいんだよ、あなたたちは……こんな時だけ、救いにきて)

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