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大いなる責務。

 疑いの余地のない勝利の確信。まさか転落して惨敗するなど微塵も思っていなかった。


 作戦は完璧だった。思わぬ邪魔が入っただけで、すべてが狂った。


 一角徹也は世界のすべてを憎みそうになって、それでも生き残った奇跡に感謝するしかなかった。身を挺して護ってくれた仲間の犠牲が、憎悪を上回る凄絶な感謝の念を呼び起こさせた。


 ゴゥエ――ヴィトを貫いた光の矢はその後方にいたユニコーンにも的中するかと思われた。だが横合いから飛び出してきたもうひとりのグリモナイト、エヴォクに命を救われた。


 彼は最期に、こう呟いてこの世からいなくなった。


「ヴィトさんの言葉を実現しろ。あの人を尊敬していたならな」


 それは静かな呟きだった。死の恐怖もなく犠牲になることへのためらいもない、純然たる仕事人の言葉だった。


 言われなくてもわかっているだなんて、口が裂けてもいえなかった。


「くそおおおおおおおおお!!!」


 エヴォクに吹き飛ばされたことで、徹也は弓矢の軌道から逃れた。徹也は叫び、そして無様に地に落ちて転がった。全身を打撲の痛みが襲った。エヴォクの装着者は最期に、本気で徹也を突き飛ばしたのだ。本気で、全身全霊をかけて、徹也を救えというヴィトの遺言を必死に守ったのだ。


 ゴゥエにつづき、目の前でエヴォクまでもが貫かれ、音もなく消滅する。ゴゥエもエヴォクも、みる影もない。ゴゥエに関しては鈍重かつ頑強な肩部装甲の破片が散らばることでかろうじて遺品をのこしたが、軽装のエヴォクは小さな破片さえ遺せなかった。


 徹也はあらゆる痛みのなかで立ち上がり、光り輝く英雄に偽装したバケモノ――魔人・フェニックスを睨めつけた。


「テメエだけは、許さねえからな……!」




 立ち上がったユニコーンの呟きは、フェニックスにも当然聞こえていた。憎悪さえ必要とせずに戦えるフェニックスの最強形態“義族態(iローグフォーゼ)”となった今、あらゆる音さえ聞き分けることができる。


 音だけではない。ユニコーンの動きのすべてを捉えることもできた。視覚、聴覚、加えて嗅覚から敵の動きを見切り、その心までもを分析して見透かすことができる。大いなる者のひと柱“ウカノミタマ”から直接賜られた超感覚は人間の能力を最大限に拡張させる、大いなる麻薬ともいえるものだった。


 それはただ気持ちが良かった。だからこそ、わざわざ言わなくてもわかっていることを呟かれるのは、実に苛立たしかった。自分たちから仕掛けてきた加害者のくせに、それが窮地に陥った瞬間被害者面をしたがるのも憎たらしかった。


 ますます、殺したくなってくる。


「ヴィトさんを……絶対オレは、テメエを!」

「うるさい」


 我慢できずに言葉を返した。憎しみはなくとも、怒りはまだ心にたっぷりと残っているのだ。それは種火の如く心に潜み、噴火の時をまつマグマの如く流動している。苛立ちは火花の役割を果たしてしまう。そうなれば、超感覚をはじめとする絶対の力の、そのすべてを使って独りの敵をこの世から抹消したい欲望を、抑えられなくなるだろう。


 怒りを抱いたまま、それでも静かさを保った心で――一切の無駄のない優美な動きで、フェニックスは背負った箙から二本目の矢を摘まんだ。


――なりません。


 瞬間、邪魔が入った。


「何?」

――それは許可しません。いつかの約束、忘れたとは言わせませんよ。


 力を与えてきたはずのウカノミタマの声が、何故かフェニックスの殺人衝動を静止させた。そのとき超感覚が反応する。視界の隅に、消え去ったはずの廃神社の本堂がふたたび現出した。


 光り輝く人の形をした何者かが本堂からずっとこちらを見つめていて、幻聴のような声を送ってくる。


――その者を殺めてはならない。殺めることなくその者を超えなさい。それがあなたの使命。すでに伝えてありますよ。そろそろ、その力は剥奪しましょうか。


 フェニックスが立っている場所も境内ではなくなっていた。遙かな高みに建つ本堂を見上げる位置……つまり境内へと続く石段の上、その途上に転移させられていた。その石段のさらに下にはユニコーンがこちらを見上げている。不可解なヒエラルキー。できすぎた怪奇現象だ。異様な汗が噴き出してくる。


 汗とともに力が抜けていく。与えられた輝きが損われ、灰色の肌はまるで化粧が崩れていくかのように剥落し、フェニックスは通常態へと戻っていった。


「どうして!」


 同時に、静かだった心が不安と怒りによって憎しみで満たされていく。力を与えてくれたはずなのに、どうして急にそれを取り上げるのか。最高に気持ちよかったのに、それで僕がいま一番やりたいことをしようとしたのに、どうして直前で妨害してくるのか。支援者なのか敵対者なのか、いったいどっちなのか。矛盾している。理解できない。あるいは僕は弄ばれているのか……雑多な感情が一挙に心に溢れ、情動の濁流が憎しみに転化して胸を満たしてしまう。


 暗い憎悪の炎が背中から噴き出し、紫炎の両翼となって展開される。


「あくまで僕は、あなたの人形だっていうんですか」

――力を与えた以上は役立って貰わねば困るというだけのことです。お人形扱いするつもりはありませんが、かといってタダで力を与えたつもりもありません。

「そんな裏があったなんて、言われなかった」

――あなたが世間知らずなだけ。世の中というのはそういうものですよ。何もせず褒美がもらえるはずがない。与えられた以上は、必ず裏があるのです。

「何だと……」


 大いなる者であろうと、それは許せない言葉だった。人形扱いするつもりはないと言っておきながら結局は同じことを要求している。これは詭弁だ。人を道具扱いすることを正当化する、いじめられる側にも原因があると嘯く学校側お得意の論理とまったく同じ言葉だ。


 これを許してはならない。この論理のまかり通る社会を破壊するために、今までだって追跡者の力を使ってきたのだ。


 フェニックスは新たな敵を睨めつけた。紫色に燃える瞳で本堂を見る。人の形をしたまばゆい光を捉え、その足を踏み出した。


『馬鹿なことはやめなさい!』


 輝く衣を身につけた妖狐がフェニックスの前に立った。同時に視界のすべてが揺らめいた。蜃気楼だ。狐火という炎を自在に操る妖力が漏れ出ているのか、巫女に化けた妖狐はそこにいるだけで熱波を発散していた。


「あんたも、どっちなんだ!」


 何度も助けてくれた。しかし、何度も邪魔をしてきた。味方なのか、敵なのか、いったいどっちなのか。安心していい相手なのかそうではないのか。はっきりしてもらわなければ困る。どう接して良いのか、わからなくなる。


 フェニックスは拳を握って、奥歯を噛みしめた。妖狐を殴る気持ちにはなれなかった。さっきは助けてくれて、その安心で視界が滲んだ記憶もまだ残っている。その前にも、冷たい取調室と化した教務室に駆けつけてくれた。そのこともまだ覚えている。それだけに、敵と思いたくはなかった。


 なのに、どうして目の前に立ちふさがってくるのか。


『私は私。主様の眷属です。あなたは、何?』


 熱波を放ちながら、妖狐はフェニックスの足を払うべくローキックを繰り出してきた。


 それを跳びすさって避け、翼をはためかせて前進――急速接近。フェニックスはその拳を妖狐にぶつけた。


「僕は、僕だ!」

『そうありたいなら、まずは使命を果たしなさい。本当の自由は責務をまっとうした果てにあるものよ』


 拳は簡単に妖狐に掴まれた。


「そんなの、僕のしたいことじゃない!」

『お子様ね』


 一笑に伏し、妖狐はフェニックスの腹を蹴り飛ばした。それだけで大きく吹き飛ぶ。ただの蹴りでも人智を超えた力が秘められているのだ。妖狐はこれまでとは根本的に違う、真の力を解放している。


「僕は、僕の人生を、拓くって!」


 決意の言葉を口にして、翼をはためかせて体の動きを制御する。空中で一回転することで吹き飛ばされた勢いを殺し、減速と同時に加速を行う。


 再接近を試みる。


 そう動くことはすでに読まれていたのか。刹那、フェニックスの視界は真っ赤な火球で覆われた。狐火――特大のファイヤーボールが、不意打ちも同然の素早さをもって撃ち放たれていた。


「どうしてですか。どうして、助けた後に、いじめるんだ!」


 突然の火炎地獄。フェニックスは滲んで歪んでいく視界のなかで体を焼き焦がされ、意識を失った。


『……ごめんね』


 その声は幻聴のように、最期の意識に響き渡った。


 ずるい。言おうとして、それを実行する肉体がないことに気がついた瞬間、フェニックス――巧は自己再生を始める。




 藤堂巧――いや、コード・フェニックスは殺しても死なない。存在そのものをこの世から抹消するか、永遠に眠らせるか、あるいは書物(ゴエティア)の中に封印するしか手段がない。実に厄介な追跡者だ。


 故にイタリアからわざわざゴゥエの装着者であるヴィトが呼び出されたのだが、彼が殺されてしまった今、組織は新たな手段を模索する必要に迫られる。


 一角徹也は、ユニコーンに変身したまま何もできなかった。歯がみする思いだった。ヴィトさんを殺したお前だけは絶対に許さない、殺してやりたい。でも殺せない。あいつは死なないのだ。拘束するに留めておくことくらいしか、今の俺にはできそうにない。


 本当ならば強力な幻覚を仕掛けて藤堂巧の精神を破壊し、永遠の眠りにつかせてやることもできた。だが、藤堂巧はいじめられていた。それを助けてやれなかったのに、どうして藤堂巧だけを殺すことができるだろう――あいつの悲痛な叫びもまた、理解できるし捨て置けないから、もどかしいのだ。


 それでもヴィトを殺され、そしてエヴォクの装着者もまた殺された、その損害を無駄にはできない。


(俺にもっと、強ければ)


 ユニコーンは剣を捨てた。肉体を再生している途中のフェニックス――禍々しい紫色の火柱を睨みつけた。


(俺にもっと、強い心があれば……!)


 悔しさに視界が滲んだ。だが、狙いは外さない。


(喰らえ!)


 ユニコーンは脳裏に楽曲をイメージし、頭のなかで奏でた。それは音楽を通して幻覚を植え付ける追跡者、アムドゥシアスの模倣である。


 ユニコーンの掌から不可視の念導波が放出され、それが対象に届く時、幻覚を植え付けることができる。火柱の中にいるフェニックスはおおよそ再生が完了しており、いまその両目がちょうど開いたばかりだった。意識が覚醒した瞬間幻覚にかけられるとは思っていないはずだ。


 はたして、その読みは的中した。フェニックスは目覚めて紫色の火柱を自ら破り、再びこの世に生まれた、その瞬間に、無様にも両膝を地に着けて擱座する。


「なん、だ……」


 藤堂巧の声が漏れたが、幻覚の威力には敵わなかった。幻覚を無力化する厄介な妖狐があいつとは別個の存在として外に出ている以上、今のあいつ自身に幻覚に対抗する手段はないはずだ。


 多大な犠牲の上に成り立った勝利。これほど価値のないものもない。まるで手柄だけを横取りしてしまったかのような虚しさだけが残った。


(何も守れなかった。こんなの、勝ったって……!)


 足下に落ちたホーンソードを踏みつけて折ってやりたかった。だが、剣にはまだ役に立ってもらう。ユニコーンはそれを拾うと、倒れたフェニックスへと歩み寄った。


「オマエだ。オマエさえいなければ」


 呟き、剣の切っ先をフェニックスの喉元に向けた。何も守れなかったことの償いをさせてもらう。バケモノの首を持ち帰ることでしか、兄とも親ともいえた、あの師匠の命には報えない。


「悪いな」


 それでも最後にそう言わずにはいられなかった。バケモノなんかに取り憑かれたりしなければ、藤堂巧はいじめの被害者という至極ありきたりな高校生でしかなかった。どこにでもいるようなくだらない奴が、過ぎた力をもってしまったためにすべてがおかしくなってしまった。


 だから、そんな歪んだ奴はこの世から抹消しなければならない。


 ユニコーンは剣を突き立てようとして、両手に力を込めた。


 だがその両手が炎に包まれ、一歩退かざるをえなくなった。


「まだ、こいつの味方をするのか!」


 巫女装束を身にまとう化け狐がそこにいた。


「ええ。我が主の命により、この少年を救うことが我が責務となりましたから」


 化け狐がしゃべりだしたそのとき、ユニコーンは廃神社の本堂の奥が光り輝くのも見た。


「おでましか……大いなる者」


 師匠、ヴィトから話は聞いていた。世界を保持する理そのもの――その体現者である大いなる者。“組織”は大いなる者を守るために結成された集団だ。


 ユニコーンは頭を垂れ、ため息を吐き出して人間の姿に戻った。

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