貸し出し、英雄。
目に見えぬ衝撃波によって自分がどうして死んだのかすらわからないまま死んでいく――ゴゥエの装着者、ヴィトが考案した作戦はやはり完璧だった。そうして木っ端微塵にした標的――魔人“フェニックス”がお得意の復活能力を使っている最中にゴゥエによる封印術“ゴエティック・シィル”を繰り出し、追跡者・フェネクスを封印する。
隠し球である支援兵器を投入し、作戦は最終段階、いわば詰めのところにきた。ゴゥエの冑のなかで、装着者であるヴィトはただ標的の一挙手一投足に注視していた。笑うこともなく、必要以上に睨みつける必要もない。粛々と任務をこなす、そのために必要なことだけをする。それがヴィトの信条であり、成功術だった。
だからこそ敵をかばって現われた闖入者の存在に最初に気づいたのもまた、ヴィトだった。
気付いた瞬間、思わず全身の動きをとめていた。呼吸すら忘れた。
「大いなる者の眷属が、どうしてまたアイツを庇う? 何故だ……!」
イタリア語で呟かずにはいられなかった。動揺するつもりもなかった。それでも衝撃は抑えられなかった。
これまで何人もの人間を殺してきた魔人・フェニックスを守る一匹の化け狐。何度か確認しているそれが、組織のデータベースにも載っている神聖な存在だということはすでに把握してある。
“組織”とは、かつてこの世界を生み出し制御してきた大いなる者を“追跡者”から守るため、古代より秘密裏に営まれてきた世界的な集団だった。大いなる者の眷属が標的を守っているというこの状況は、もちろん組織の活動指針に反する。どうしてこんなことになっているのか……歴戦の英雄であるヴィトにも、それは初めての出来事だった。
(これも試練だというのですか。大いなる者たちよ)
そう思いついてもみたが、どうもしっくりこない。むしろ大いなる者に守られているあの魔人こそが、聖なる試練を与えられているのかも知れない。その疑念が、どうにもぬぐえなかった。
※
人に化けた妖狐の背中がみえた。まるで太陽のようだった。ただ、あたたかかった。
「妖狐さん……どうしてですか」
視界が滲んだ。やめてほしかった。そうやって窮地から救うことで恩を着せて、いっそう人形として操れる状況にしていくことを、ただやめて欲しいのに。視界が滲んでいく、この体の反応は止まらなかった。
「あなたに守って貰わなくたって、僕は!」
死んでも蘇る。それが追跡者フェネクスから頂戴した力だ。守って貰わなくたってよかった。それは妖狐もわかっているはずだ。彼女は一時期、僕の心のなかにいたのだから。故に、これはただの恩着せだ。彼女がかねてから主張してきたことを呑み込ませ、完全に服従させるための懐柔策だ。
頭ではわかっている。
わかっているはずなのに、視界は勝手に滲んでいく。心は感謝の念で満たされていく。死んでも蘇ることができる。でも、死にたいわけじゃない。痛いのも嫌だ。だから守ってもらうことはありがたかった……それは口が裂けても言いたくない本音だった。
核爆発を原動力にした壮絶な衝撃波を、妖狐がただの腕のひと振りで無力化する。機械仕掛けのドラゴンに、さらに妖狐は巨大な炎球を叩き込んだ。ビルの半分ほどもある巨体がぐらつき、倒れた。
『私たちは常にあなたを支えている。忘れないで』
巫女装束を纏った妖狐がちらと巧を見て、ウィンクしてきた。直後、手をまたひと振り――炎の鎖が掌から放たれ、水の精霊“ウンディーネ”を切断して消滅させる。
拘束からも死の恐怖からも解放された巧は、滲む視界のなかで、妖狐が素早く進み出て魔書業鎧・エヴォクに挑みかかるのをみた。同時にゴゥエがこちらに接近してくるのを目視する。
炎の翼に噛みつく邪魔な精霊はもういない。今こそ紫色の炎翼をはためかせて爆風を起こすと、巧――封印騎士“フェニックス”はその両目に灯した憎しみの炎を黒々と燃やして、倒すべき敵を睨めつける。
「二人同時だ。同時に、殺してやる!」
さっきまでは死にそうになった。怖いと思ってしまった。僕にそうさせたツケを支払わせてやる。フェニックスは前進してゴゥエを迎え撃つ。
「真っ向勝負か、ガキが。いいだろう!」
流暢な日本語が冑越しにくぐもってきこえてくる。ナイフをもった外国人の男――あの殺し屋を、今日で殺してやる。フェニックスは憎悪と殺意で胸を満たし、全身を暗い炎熱のベールで覆った。
衝突――その、直前だった。何故かゴゥエが勝手に吹き飛んでいった。
巧のために駆けつけたのは、妖狐だけではなかったのだ。ゆらめく時空間のなかに、古ぼけた廃神社が姿を現した。何もないはずの空間のなかでそれは唯一の建造物として、全員の注目を集めることになる。
もっとも、妖狐と対決しているエヴォクはそれをちらと見るだけで、その奥に潜む大いなる者の声をきくことはできなかった。一方でゴゥエとユニコーンははっきりと聴いた。
それは裁きの一喝だった。
――我らの“英雄候補”を三人で袋だたきとは。効率的ですが、情けないことでもあります。少なくとも、英雄的ではありません。
「なんだ、この声?」
「これは、まさか……!」
ユニコーンは幻聴に戸惑い、首を傾げている。だがゴゥエははっきりとその言葉の意味を理解していた。
「まさか、オレたちは大いなる者の意志に反することを、していた、のか?」
「何を言ってるんですか、ヴィトさん。あいつは追跡者ですよ。そんなわけ――」
――左様。そなたらは道を踏み外した。我こそは大いなる者“ウカノミタマ”である。手塩にかけて愛した我らが未来の英雄を殺そうとした罪を、今、裁く。
ゴゥエの絶望と、それを否定しようとするユニコーンに対して、大いなる者の裁定が一方的に下された。
瞬間、廃神社が一度消え、次の瞬間には戦場そのものになった――つまり、フェニックス、ゴゥエ、ユニコーンの三人は瞬時に廃神社の境内に立たされていた。
一気に近くなった社殿の中が、くまなくみえるようになる。そこに人の形をした輝きが立っていた。フェニックスがそれを認識した瞬間の出来事だった。視界のすべてをふさぐ閃光が彼のあらゆる感覚を塗りつぶした。
閃光が過ぎ去り、ふたたび目をあけると、社殿は消えていた。ただ境内はそのままになっていて、砕けた白い石畳の上に、フェニックス、ゴゥエ、ユニコーンが立ち、互いに向かい合っていた。
「なんだよお前、その姿……!」
ユニコーンが呻き、無意識のうちに後ずさった。その無様に自分で気づき、次にはユニコーンは絶句して棒立ちになる。
異変。フェニックスは自分の両手をみた。毒々しいまだら模様の皮膚が、一瞬にして清廉な灰色の表皮に変わっていた。右手にはいつのまにか木製の弓が握られており、炎の翼の噴き出ている背中には矢がすでに五本差された箙が掛けられている。
――少しの間だけですが、我が英雄の力を与えましょう。その手に勝利を、藤堂巧殿。
幻聴が巧にもたらされる。同時にまばゆい光が降り注ぎ、新たな力を得たフェニックス――義族態がその体躯を燦々と輝かせた。背中から生える炎の翼は変わらず赤黒く禍々しいが、輝く灰色の体躯を得たその姿は、まさに神話の英雄そのものだった。
変異しているのは表皮や装備品だけではない。鳥人や鬼を思わせる、頭部に生えた一対の翼状の突起物もまた頭の上でとじ合わせられ、まるで烏帽子のような形になっていた。灰色の装束を見に纏う烏帽子を被った弓の使い手。まさに日本の英雄にふさわしい出で立ちだ。それを見たゴゥエとユニコーンは否応なしに自らが神話の敵にさせられてしまったことに気づかされる。
「テツヤ。ここはオレが持ちこたえる。オマエは、逃げろ」
「え?」
「逃げろテツヤ。生け贄はひとりで良いはずだ。エヴォク! テツヤを頼むぞ!」
「ヴィトさん、待ってくれ。俺も戦闘員なんだ。あなたが戦うなら俺も戦うよ。それが師弟ってもんでしょうが!」
「アレは俺たちの手に負える存在じゃない。敵対していい存在でもない。俺たちは生け贄にさせられた。理解しろ。理解した上で、オレがオマエを死なせたくないってことも、わかって欲しいんだ」
「ヴィトさん?!」
「テツヤ、生きて、オレの仇を討ってくれ」
狼狽するばかりのユニコーンをゴゥエが突き飛ばす。そして、ゴゥエが前に出る。
「逃がすか。裁いてやる……残らず、全部。おまえたちを!」
フェニックス義族態はゆったりと、確かに、弓矢を構える。体の輝きは単なる飾りではない。大いなる者から賜られた溢れるばかりの力が肉体から世界へと漏れ出ているのだ。人の身ではあまりある力が注がれているのだと、それでわかる。もともと人を超越する身体能力を獲得していたフェニックスに、さらなる力が与えられる――その意味を知って、巧の頬は知らずのうちに緩んでいく。
負ける気がしない。勝利への確信だけが胸を満たし、もはや憎しみさえも必要としない、静謐な心をもつことができた。ただ殺意だけは独立して胸の内に残っていた。殺意は決意の根幹となり、英雄となった巧に与えられた責務の理由――神話の主人公の行動原理となって、巧を突き動かすのに必要だったからだ。
今や突進してくるゴゥエの動きさえ遅々として見えた。背負った箙から矢を一本抜き取り、弓につがえて引き絞る。敵を睨むことで狙いを定める。勝利への確信によって一切の感情を必要としなくなった胸中に、心を乱す要素は微塵もない。従って、その狙いは精確を極める。百発百中。全能感さえ胸に広がっていく。
そう、英雄にできないことなど何もない。神話の敵にさせられた哀れな奴のひとりやふたり、殺すことなど造作もない。
「そこ」
静かに呟き、矢にかけていた指をそっと開いて……発射した。それだけでフェニックス義族態の封撃幽殺――神餅ト白鳥ノ一矢が世界に撃ち放たれる。
光り輝く弓矢が人の世を照らしだし、人の罪過を暴いて撃ち抜いていく。人では避けることも防ぐこともできない必殺必中の一撃が、まずはゴゥエを貫いた。




