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優しさ、困惑。

 黒炎を纏った拳がバエルの胸部を打つ。そのまま黒炎がバエルの全身に蛇のように纏わりつくと、それは一切の身動きを封じる蔦となる。


 これで奴は動けない――フェニックスは悠然と構えをとった。あとは最後の一撃をぶつけるだけだ。その背に生えた紫炎の翼をはためかせ、一度宙に浮き上がる。


 その時だった。電子音声が鳴ったのだ。


[“ゴエティア”アームド“ゴゥエ”]


 それは鎧招来の呪文。あの禍々しい黒騎士の出現を意味する。バエルほどではないが、しかし処理には労を要する強大な敵には違いない。


 フェニックスは舌打ちし、不意打ちに等しい黒騎士の出現に一瞬、身構えた。不意打ちを食らって殺されたのではたまらない。それは常識的な判断ではあったが、体の動きを止めてしまったおかげで先を越された。


[フィニッシュブラスト! “ゴゥエ”!]


 場違いなほどにオモチャじみた電子音声が鳴り、そのときには黒騎士――魔書業鎧(グリモナイト)ゴゥエの漆黒のマントが翻るのをみることになった。それはフェニックスを飛び越えバエルに迫る。まるでこちらの視界をふさぐようなマントの翻し方をみて、フェニックスは黒騎士の狙いを悟った。


(こいつ、僕の獲物を……!)


 いったいいつから、そして、どこから見ていたのだろう。


[ゴエティック・シィル!]


 フルパワーを解放したゴゥエの全身が黒く輝き、バエルに容赦のない飛び蹴りを食らわせた。その衝撃によってバエルの全身は吹き飛ばされて宙に浮き上がり、その隙を逃さず、黒騎士はつづけて腹部の端末を操作する。


 直後、吹き飛ばされている最中のバエルの背後の空間が揺らめき、突然の変異が発生する。時空の歪みとともに巨大な書物が招来され――それはすでに見開きになっていた――バエルは空白だったその一ページにぶつかり、吸収されていった。


 高位の悪魔の存在を記述した偉大なグリモワールの一頁に収められた、「悪魔バエル」の絵画と紹介文。それらが浮き上がった瞬間、巨大な書物はひとりでに閉ざされる。それは時空の歪みの向こうに瞬く間に消え、こうしてバエルは世界から取り除かれた。


 横取り。その現実を認識して、フェニックスの頭のなかは真っ白になっていた。何も考えることができなかった。


「ふざけるなよ」


 あらゆる思考力を塗りつぶすほどの憤怒と憎悪が、心の奥底から噴き出してきて止まらない。叫ぶ気力も拳を握る体力も残っていない。けれど、あいつを殺したいという思いはどうしようもなく溢れてくる。


 巧の意志を感知したかのように、フェニックスの背から紫色の炎翼が強く迸った。


「感謝するぞ、バケモノ。オマエをだしにして、オマエよりも数段高位の追跡者を封印することに成功した。次はオマエだ、と、言いたいところだが……」


 満足げな声とともに振り返ったゴゥエは、フェニックスを見下すように顎を突き出して言った。


「テツヤの命もオマエが守った。これは事実だ。恩に免じて、殺すのは明朝にしてやる。だが忘れるな。陽が昇ったそのとき、オマエの家を家族もろとも焼き焦がす。両親の命もオマエの家も守りたかったら、ガキらしく早起きして家の外で待っていることだ」


 宣誓とともに、またマントが翻される。視界が遮られゴゥエの姿がみえなくなった。


「ま、」


 待てと叫ぼうとして、それさえできないほどの消耗に打ちのめされた。叫ぼうとしただけで体が前のめりに倒れようとする。地面に突っ伏すことだけは抑えたが、両膝は地についた。


 一歩も動けない。戦闘などできるはずもない。気にくわないが、あの黒騎士は言葉通りの許しをくれたのだ。いつでも殺せるはずなのに、恩に免じて見逃してくれた。


(クソが!)


 怒りはたぎっても、体が動かない。横取りされた悔しさと何も出来ない気だるさがいっしょくたに認識された瞬間、すべてが萎えた。


 ため息が出た。そのときフェニックスから藤堂巧へと戻る。駐車場のアスファルトはめくれ上がっているし、教師たちの自家用車が衝撃波によって横転し、場所を問わずあらゆるガラスが砕け散っていた。


 後ろを振り返る。怯えきった、しかし好奇心だけは消えない不作法な瞳をもった教師たちがこちらを覗き見ていた。


「ば、バケモノ……!」


 彼らはそう呟くと、わけのわからない悲鳴をあげてどこかに逃げていった。追って殺さなければならない。通報されるその前に……わかってはいても、限界を超えた肉体は動かなかった。


 巧はまたため息を吐き出した。意識が遠のいていく。それはまるで睡魔のようだった。気持ちの良い眠りにつくように、すぐに意識を失った。



――戦い疲れて、さぞ心細いことでしょう。


 聞き知ったような声がして、目が覚めた。だが何も見えなかった。ただ、ぴちゃ、ぴちゃ、と一定の間隔で何かが落ちる音がする。ぴちゃ……ぴちゃ……ぴちゃ……それは水滴の音だと程なくしてわかった。


 光のない暗闇のなかで水滴だけが落ちていく、どこかの岩屋。ごつごつとした感触が背に感じられた。地についた手を握ってみても、堅い感触ばかりだ。どうやら洞窟のなかにいるらしい。


――今日はもうお家に帰りなさい。何も考えることなんてないんですから。


 優しそうな声だった。初めてきいたのではなく、どこかで聞いたことのある声だ。


 だが、いったい誰の声なのかわからない。それを知ろうとして声のする方に目をむけた。瞬間、洞窟のなかに光が差し込んだ。


 まるで日差しのようだったが、段違いの明るさだった。太陽そのものがそこにあるかのようだ。それは理科の教科書でみるような燃え盛る太陽ではなかった。すべてが白く塗りつぶされていた。それは純白の輝きでできた真円。何にも穢されず、何にも染められず、一個の完全に独立した存在。


 真円の中心に人の姿を象った何者かが着物を翻したようにみえたが、瞬間、視界だけでなく頭のなかが――思考と認識のすべてが、眼前の光景と同じように白く塗りつぶされていった。



 自宅の扉の前に立っていた。学校に行って、警察の待ち受ける教務室で絶望して、待ち伏せしていた徹也や追跡者と戦って……戦い疲れて意識を失った。


 時間跳躍。そう説明するしかない怪奇現象。困ったことにそれはもう巧にとって珍しいものではなくなっていたが、それでも立ち上がった記憶すらないのに、どうやって歩いて家の前まで辿り着いたのだろうか。いくら思い出してみても記憶はみつからなかった。


 そういうことになっているこの都合の良い現実を呑み込むには、相応の時間と覚悟がいる。つまり、また誰かの干渉をうけたということだ。


 それは誰かの都合で動かされたということでもある。そのうえ、それが誰かわからないのがもっとも恐ろしかった。いつ借りを返せと突然言われるかわからないのだ。


 だが、怯えていても現実が開拓されるわけではない。巧はドアノブに手をかけ、引いた。


「ただいま」


 そういうだけで母が台所から出てきて「おかえり!」と手を振ってくれた。父も帰っていて、一緒に出てきて「風呂わいているぞ」と勧めてくれる。いつも通りの、ありがたいあたたかさだった。


 ありがとう、と今さら言う気にはなれなかった。曖昧な笑顔で返すと、「風呂にするよ」と父に向かってうなずいた。




 晩ご飯を両親とすませて、部屋のベッドにダイブする。


『結局学校には行ったのか?』

『あんなクソ担任、教員の資格なんてないんだから免職にすればいいのにね。ほんと、担任もクソならそれを庇う教頭もクソだわ』


 母親は笑いながらそう言った。巧も笑いながら応じた。本当にその話をしている間はご飯も美味しかった。人の不幸は蜜の味といわれているが、これはそうではない。むしろ他人の不幸を蜜の味と高らかに言い張り散々味わってきた連中に対して、立場が逆転した下克上の喜びなのだ。


『まあ飴も必要だからな。向こうの声にも少しは耳を傾けてやって、お前は何の問題もない生徒だってこと、示してやれ』


 父はいたって平然としていたが、口もとはご機嫌にもつり上がっていた。母に比べれば落ち着いた言葉を選んではいるが、父もまた喜びを隠しきれていないのだ。


 父も母も巧も同じことを考え、同じことに喜びを感じる。完全な共感のもとに得られる信頼関係。これを至上の幸福と言わずして何というのだろう。


 僕にとって家族はかけがえのない存在だ。巧は正直にそう思う。だからこそ、守りたいと思える。


(バケモノか。僕をそう思うのは勝手だけど。でも、そうじゃない僕の家族まで殺すなんて、本物の化物はどっちだよ)


 あの黒騎士ははっきりと一家殺害を予告してきた。人権のないバケモノには何をしてもよく、その家族も同類なのだから殺したって構わない――それは狂気の思想だった。


 くだらない。まったくいじめと同じだ。下等生物とみなした相手には何をしてもいいと本気で思っている。歴史の教科書にえたひにんという言葉がでてくる。『昔の人間はわざわざえたひにんという身分までつくり、差別という野蛮な行いを平然とやった』『昔の人間はやっぱり愚かだった』『だから戦争もやった』などと教師たちは教科書を読む。だが、実際は今も昔も人間は愚かなままだ。差別はするし、いじめはするし、利害がかみ合えば戦争もするようになるだろう。


 同じ教科書に『日本国民はすべて基本的人権を有する』とも書いているのだから、救いようがない。


 巧は天井に伸ばした手を堅く握った。


(こんな横暴、許してたまるか)


 僕の人生を邪魔しようとしてくる奴らはみんな排除する。それが人生を切り拓くということだ。決意は何も変わらない。敵に恐れる必要もない。平気でいじめをしてきたり、差別してくるような狂った奴らこそが異常者であり、下等生物なのだ。ならば今だけは狂った奴らの論理を当てはめてやる。


 下等生物はバカにしても差別してもいじめても――殺しても構わないというのなら、それがこの社会で合意されていることだというのなら、それに基づいて自衛させてもらうだけのことだ。



 一時間のタイマーをかけて仮眠する。それが終わると時刻は夜の一時。両親は寝ている。あるいは寝室から出てこなくなる。


 ひっそりとした家のなかを渡り歩いて、屋根裏に辿り着き、さらにそこから屋根の上に出る。テレビアンテナを取りつけるときのルートだ。父がそうするのをみていただけで実際にやったのは初めてだが、どうにか転落しないで済んだ。


 瓦を足場にしながら腰かけて、陽が昇るのを待つ。当然ひとりだと思っていたが、何故か先客がいた。


「コンッ!? まさか、こんなところで」

「妖狐? どうして」

「ずっとここであなたを見守らせてもらっていたんだけど。気づいて追い出しに来たってわけじゃ、なさそうね」

「何から何まで、見られてたってわけですか」

「のぞき見なんてしてないわ。ただ追跡者や鎧の騎士たちが襲ってこないか見ていただけよ。本当よ、コンッ!」

「それをどこまで信じて良いんですか」

「信じるも何も、事実だから。コンッ!」


 導いてあげるといいながら、救いを与えるといいながら、勝手な理想像を押しつけてきた。大いなる者とその眷属は敵ではなく、だとすれば味方なのだが、しかし己の人生を切り拓くという点でいえば、邪魔者でしかない。完全に信頼するわけにはいかないし、恭順してはならない存在……それが巧の下した結論だった。


 巧は目を細めた。妖狐は小さいその体躯を微動だにせず、むしろ気高い自然種の威厳を示すかのように、先に目を逸らして闇に沈んだ人間どもの住処を見下ろしはじめた。妖狐もやがて目を細め、そして嗤った。


「臣民は可愛らしいもの。守られているということにも気づかず、自らの生を自らの足で依って立っていると勘違いしている」

「勘違い?」

「ええ。生かされている身分に過ぎないのに、生きているとばかり思いこんでいる。これは勘違いよ。でも馬鹿な子ほど可愛いもの。あなたも、可愛い男の子よ」

「僕の人生をどうにでもできると? どうにでもしていいって、そう思ってるってことですか」

「そうは言っていないわ。ただ、あなた……いえ、あなたたちニンゲンが思っているよりもずっと、あなたたちの文明なんて脆いということ。ゆめゆめ、忘れない方がいいわ。大波ひとつで滅んできたのがあなたたち人間の文明なのだから」

「そうだとして、じゃあ何なんですか。僕はただ生まれて、生きているだけです。生かされているだなんて言われても知りません。もしそんな僕たち人間を滅ぼすなら、それは滅ぼしてくる奴の方に悪意があるって、そうは言えませんか」

「その通り。だからこそ私たちはあなたたちを滅ぼしたりはしない。むしろ守ってあげているの。でもそのせいで、追跡者はあなたたち人間を狙うようになってしまった。だから私の主や、それに並ぶ者たちは人間の力を高めようとしている。手始めに、最高の位階をもつものが見初めた選ばれし者を英雄に仕立て上げ、導くことで」

「英雄なんて、僕はなりたくない。僕はただ、僕の人生をよくしたいだけで」

「人の言葉ではありがた迷惑といったところかしら。まあ無理もないことだけど。あなたの言葉も正しいとは思うわ。私たちの事情もあれば、ニンゲンの事情というものもある。被造物といわず臣民というからには、ちゃんと権利を以て扱わないといけない。そう、私の主もよく言っているわ」


 妖狐は人の街並みを見て笑うのをやめた。つぶらな狐の瞳を再び巧に向けると、ぺこりと頭を下げた。


「あなたを人形にはしたくない。あなたもそれを望んでいる……ならば、だからこそ、力の使い方をよく考えて。あなたは何がしたいの? 何を果たしたいと願って、日々を生きているの? あなたの人生はそんなにつまらないものじゃないって、私たちは信じています。それだけは、どうか忘れないで」


 巧は、すぐにはその言葉のすべてを理解することができなかった。いきなり言われても受けいれるには時間を要した。どこまで信じて良いのかわからなかった。あたたかな雰囲気の言葉にどこかおかしなところはないのか、勘ぐるための時間が必要だった。


 信じて、また一方的に見返りを要求されてはたまらない。もう全身を掌握されるのは嫌だった。


 言い返す言葉を探しているうちに、妖狐はどこかに消えていた。何もいえないまま、巧はまた独りになった。


(勝手だ。言い捨てて、安心させて……何が狙いなんだ、あなたたちは)


 言い捨てられたその言葉のもつあたたかな雰囲気が、教務室で警察に捕縛されそうになった寸前で割って入って守ってくれた、あの妖狐のあたたかな記憶を呼び起こさせた。


 人形のように扱っておきながら、いざというときには守ってくれる。それはちょうど、両親が理想の息子像をおしつけてきながらも、いじめという問題に対しては毅然として立ち向かい、一緒に闘ってくれたのとよく似ていた。いや、似ているどころではない。まったく同じなのではないか。巧はそう思いついて、苛立って、しばらく何も考えられなくなった。


 何が正しくて、何が疑わしいのか、まったくわからなくなる。

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