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正面衝突!!

「いけない!」


 妖狐が叫び、瞬時にその衣装を替えた――女性警察官から、巫女へ。同時に力を解放したのか、巧に向けられた手の平から火炎が噴き上がる。


 それが漆黒の炎とぶつかりあい、互いに食い合って消える。


 黒き炎を身に纏い、その頭に一対の角を生やした怪人――フェニックスへの変身を果たした巧は、「今度は」と声をしぼりだし、構えをとった。


 毒を想起させる紫色と黄と赤のまだら模様の表皮をかぶった、その拳が硬く握り込まれ、次いでつま先が教務室の床に敷かれたマットにめり込む。


 直後、フェニックスが巫女に肉薄する。人の眼では感知できない、人智を超えた速度による接近。


「今度は、負けない!」


 拳が巫女の腹をめがけて突き出される。人体を平然と貫通する威力を秘めた怪異の拳だ。


「負けるものか!」


 僕の人生のために、あなたを倒す。大いなる者の眷属を倒し、そして誰の持ち物でもない自分の人生を始める。もう何もない自分を感じるだけの、何もしない虚無の時間を生きるだけの人生は歩まない。


 決意は炎になる。フェニックスの背中から紫色の炎が噴き出し、翼となって教務室の壁を焼いた。


「ちょこざいな」


 妖狐の声は、しかし冷たかった。まるで虫でも払うかのような素早い手振り、ただそれだけでフェニックスの拳を横から払い、さらに軽やかな脚捌きでつまさきを蹴り、体勢を崩させる。


 フェニックスの視界はちょうどぐるりと反転し、空中で転んだ。加速のついたまま払われたその全身が窓を割って外に払い出される。蹴られただけでこれだ。


 窓ガラスの割れる音と、自分の肉体がアスファルトに落ちる音につづいて、静寂がすべてを支配した。歪んだ鉄骨と破れた窓の向こうから泣き声とも呻き声ともつかない、低い笛の音のような押し殺した息づかいだけが聞こえてくる。恐怖も恐慌もすべてを通り越し、飽和状態になった心があらゆる行動を封じてその場にうずくまっている――そんな大人たちの様子が目に見えるようだった。


 フェニックスは立ち上がると、全身にひっついた小石や土埃をかるく払って、視線と殺意を窓の向こうにむけた。ニンゲンどもに変身を見られたし、妖狐にも追い払われてしまった。どちらも消し去るしかない。少なくとも、ニンゲンどもはひとり残らず処分しなければ、藤堂巧というニンゲンとしての社会生活が送れなくなってしまう。


 そう思った瞬間、フェニックスの炎の翼がひとりでに動いた。伸びた翼が窓に吸い寄せられていく。自動で突入を開始したのだ。人の命を焼くことなど造作もない。恐れる必要もない、簡単なことだったのだ。


 だが、それはまたも打ち払われてしまった。


「お前」


 てっきり、妖狐に邪魔されるものとばかり思っていた。だが想定外の存在が目の前に突っ立っている。


 純白の肌、プレート状に発達した硬質な胸部、額の一角――ユニコーンがそこにいた。


「バケモノ……いや、追跡者(フェネクス)の器。俺はお前を、討伐対象として認定し、処罰を実行する」

「今もレコーダー、回してるのか? なあ」


 反射的に問うていた。この場に居合わせているとは想定外だが、しかし、獲物が自らきてくれるのはむしろ僥倖といえる。


 絶対に殺してやる。


「一角徹也。僕はお前を、許さない」

「ほざけ、バケモノが!」


 純白の表皮と小さな角をそなえた怪人は相変わらず自らを正義の騎士だと嘯くような仕草で構えをとり、剣を召喚して握り込むと、それを即座に突き出してきた。至近距離においては弾丸と同等の速度をもつひと突き。ニンゲンであれば認識する前に刺し殺されることになる。


 だが、いまの僕はニンゲンじゃない。怪人・フェニックスと化した巧は、その視覚認識能力により高速で突き出されるホーンソードの軌道を肉眼で捉えることができた。首をさっと傾けるだけで避け、拳を握る。直後、まだ密着したままのユニコーンの顔面を殴りつけた。


「ぐッ!」


 ユニコーンは呻き、衝撃に身をよじった。苦悶が伝わってくる。鉄拳は見事にユニコーンの頬に的中した。笑いそうになるのを堪えた。まだ結果は出ていない。相手を殺したそのときに笑えばいい。


「僕が負わせたケガ、まだ治ってないんですか、センパイ」


 フェニックスは両目に宿る仄かな炎を歪ませ、嘲笑するに留めた。そして追撃する。つま先でユニコーンの脇腹を蹴り上げ、臓器を揺さぶった。それも的中したのを確認し、つづけてまた顔面を殴打した。ユニコーンはそこで倒れた。


 だが、相手はいじらしくもその手で握った剣だけは離さなかった。柄を握り込んだまま、剣を杖のようにして立ち上がる。すかさずその剣を横から蹴ってやった。杖を失ったユニコーンはまた無様に倒れる。


「傷が治ってないのは、お前だって、同じだろ。なら……負けねえよ」


 七転び八起き。そういわんばかりにユニコーンは立ち上がろうとする。這いつくばる全身を支える両腕をぷるぷると震わせながら。


 虫酸が走った。


「なんでだよ」


 藤堂巧は笑みを消した。もう笑えなかった。その感情の深化と抑制を引き移して、フェニックスの両目の炎もまた深く黒くなっていく。背中から伸びる炎の翼が蛇のようにとぐろを巻き、主の号令を待つ猟犬のようにその鎌首を敵に向けた。


「僕がいじめられていても先生にちくらなかった奴が、どうして、僕を警察にちくりやがって……ふざけるなよ!」


 この恨み、憎しみに基づかれた確固たる殺意を抑えきることなど到底できない。叫ぶと同時に箍の外れた感情が迸り、紫黒の炎翼が渦をまいてユニコーンに殺到した。左右から挟撃するように伸びるそれが、鞭のようにユニコーンを打擲し、接触部を焼き焦がしていく。


「俺はッ!」


 ユニコーンはしかし、立ち上がると剣を振るった。横一閃に動いたホーンソードが炎翼を切断して霧散させた。


「お前がいじめられてるなんて俺は知らなかった。組織の調査書で最近知ったくらいだ。お前がいじめの実行犯を殺してしまうまで、俺は何も知らなかった。だから俺にはどうすることもできなかった。それは俺の問題じゃなかった。それは、お前の問題でしかなかったんだよ」

「何?」

「どうにかするのは俺じゃなかった、お前だったんだって、そう言ってんだよ!」


 反撃――ホーンソードの切っ先がフェニックスの心臓に向かって突き出される。怒りに胸が煮えたつあまり、避けられなかった。避けず、その刃を炎翼で絡め取った。絡まる蔦に動きを止められるが如く、ホーンソードを縛られたユニコーンもまた身動きがとれなくなる。


 まるで何かの象徴なのか、徹也はその剣を頑なに手放さなかった。それで誓いの大きさを表してでもいるのだろうか。馬鹿らしい。巧は、ならばその剣をまずは手放させてやると誓った。


「田口や福原とおなじだ。お前も、みんなそういって加害者の味方ばかりだ。僕が悪かったのか? 本当に僕は責められる側なのか?」

「知らねえよ、そんなこと」

「知らない?」

「ああ。それはお前の問題だ。俺は知らない。俺はただ俺の問題に向き合う。バケモノとなったお前を駆除する……それが、組織に所属する俺の使命だ!」


 身勝手極まりない言葉とともに、狂った反撃が繰り出される。ホーンソードがひねられ、炎翼がまたも切断される。縛りを解かれた敵が間合いを詰め、剣をひと振りする。


 速かった。避けられない――それはフェニックスの首を切断する。


 ふざけるな。心の奥が激発した。巧は、フェニックスは、心の奥で叫んだ。声にして叫ぶよりも速く、深く、心の声が意志の波動となって放たれた。フェニックスの全身が炎のベールに包まれ、一切の攻撃を弾き飛ばした。


「僕を殺すことがお前の使命か。そうか、なら僕は、そんなおまえたちすべてを殺して復讐することを、使命にするよ!」


 売り言葉に買い言葉だとわかっていても、止めることはできなかった。殺される理由をただ増やしているだけの狂おしいほどに憎らしい存在をこの手で始末することの他には、この世でしたいことなど何もない。そう思えるほど、いまは相手を殺したくて仕方がなかった。


「ほざけバケモノ。許して堪るか。これ以上、犠牲者は増やさない!」

「僕がその最初の犠牲者だって、言ってるんだよ!」


 互いに譲ることを知らなかった。遅れをとることも知らなかった。フェニックスが拳を突き出し、ユニコーンがそれを避けた。即座にホーンソードが突き出され、フェニックスがそれを鮮やかにかわし、炎翼で打ち払う。


 延々と繰り返される殺意の応酬。二人は舞うようにぶつかりあった。


 もっとも、すべてに永遠は存在しない。


 二体は同時に手負いだったが、昨日の戦いではフェニックスが勝者となった。それが決定的な差を生んだ。ユニコーンの動きは一時は持ち直したが、戦いが長引けば長引くほど、体力の消耗が動きの遅れに直結していく。


「やっぱり遅い。お前の方が、傷が深かったみたいだ!」


 最後の拳――フェニックスはそのとき、笑った。憎悪の炎でその眼を揺らめかせ、勝利を確信した。炎翼で剣を払い無防備になった敵の胴体。その腹に拳を突き込み、臓器を破って背中まで貫いてやるのだ。


 フェニックスのその拳は、しかし、ユニコーンに到達する寸前で停止した。優秀な機械がリモコンの操作でぴたりと動きをとめるのに似ていた。


 巧は我が身を疑った。先程までは当たり前に制御できていたはずの全身が、いまはまったく言うことをきかない。


 さては敵の幻覚か。悪寒をおぼえた次の瞬間、巧は見た。フェニックスであるはずの己の肉体から産毛がはえ、それが瞬時に成長し、全身を覆う獣の体毛になっていくのを。


 その変化はユニコーンの視覚では、いっそう明瞭にみとめることができた。


 通常態(アイデンフォーゼ)から、妖狐態(フェネックフォーゼ)へ。幻覚を受け付けない代わりに、肉体の制御権限を妖狐に握られてしまう欠点をもつ。


 巧は舌打ちしようとした。しかし、それさえできずにその場に立ち尽くした。

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