己で拓く人生。
学校の中に入ると、それをみた事務員が教務室へと案内し、警察官が占領する応接室に通された。校長室でもなく、教頭のデスクの間借りでもない。警察が自ら持ち込んだ折りたたみのデスクとチェアでしつらえられた、教務室の中の取調室だった。
妙な雰囲気だった。教室二フロア分はある教務室が広くみえた。人の数が少ないせいで閑散としているのだ。中には二、三人の教師と三人の警察官しかいなかった。誰もが朗らかな顔をこちらに向けてくる。教師たちは授業停止中に出勤させられている気だるさなどまったく見せず、反対に警察官たちは本来発散するべき威圧感を喪失している。
ひとまず害を与えてくる素振りはないようだ。巧は頭をさげて教務室の中に入った。瞬間、事務員がぴしゃりと音をたててドアを閉めた。同時にガチャ、と冷たい音がした。施錠されたらしい。
悪寒が走った。だが、叫ぶわけにもいかない。前を向くと、警察官が取調室のデスクから立ち上がり、置いてあった何かをもってゆったりと歩み寄ってきた。
その手には小型の機械器具――レコーダーだ。警察官はそのスイッチを押した。
『反省はしないのか、バケモノ』
一角徹也の声が再生された。
(これ……!)
寒気が怖気になった。後ろ手で扉をあけようとしたが動かない。施錠されたばかりだと把握していたはずなのに。焦るな。自分に言い聞かせようとしたが、無理だった。
『僕が、反省する?』
『ああ、反省だよ。やっちまったのは仕方ない。だがその罪は大きい。せめて反省して、悔いて、惜しんだりはしないのかって言ってんだよ』
警察官がそこで再生をとめた。その顔はにやついていた。だが目は暗い輝きを帯びている。その目はまるで銃口のようだと思えた。
この瞳と対面させるために事務員は施錠したのだ。目だけを動かして周囲の様子をうかがった。にやついているのは警察官だけで、教師たち――福原と田口と教頭は揃って凍りついた顔を必至に笑顔の形にするべくひきつらせていた。先程までの笑顔は演技だったのだ。演技のプロではない教師たちはいまやその笑顔を崩壊させているが、警察官たちはプロだから維持できている。
教師たちはどうでもいい。奴らがいじめということについて救いようのないバカだということはすでに知っている。だが……巧は警察官を睨んだ。市民の味方、治安の保持者。それがいち個人を標的にした場合、こうも狡猾な笑みを浮かべてくるというのか。
(何がおまわりさんだよ)
毒づきつつ、教師たちも事務員たちも事前にいいくるめられていたのだと理解した。この教務室は牢獄だったが、そうと説明されず、のこのこ入ってきてしまったのだ。電話口でいつになく殊勝な態度をとっていたという福原の様子が不自然だったが、まさかそれが警察官に押しつけられた演技だったとは思いもよらなかった。
「誰かはいえないけど、情報提供をうけてね。藤堂巧くん、君は実に興味深いことをしゃべっている」
警察官はまたレコーダーに力を込めた。スイッチが入る。
『僕が窓から落とされたときだってあいつらは何もしなかった。どうしてそんな奴らを、惜しまなくちゃいけないんだ』
『殺人を犯したんだぞ、お前は』
『最高だった。僕を軽んじた奴に、罰を与えるのは』
一角徹也と、自分自身の肉声。まだ忘れてはいない。昨日、学校を燃やし尽くそうとしてそれを止めてきた徹也のうざったさ、いらだたしさは忘れられない。だがこの件で、ついに一生許せない男になった。
「これは君の声で間違いないね?」
「……」
「返事は?」
「はい」
「ならば、君は間違いなく何らかの形で、殺人に関わった。詳しく話を聞きたいんだ。署までご同行願いたい」
「待ってください」
巧は閉ざされた扉から手を離し、一歩を踏み出して自ら警察官に近づいた。福原がたまらず悲鳴をあげた。化物が歩きだした……恐怖に歪んだ顔がそう言っているかのようだった。
舌打ちしたいのを堪えた。巧は代わりに警察官をもう一度睨んだ。
「僕は、この前の、クラスのみんなの失踪について話があるって、そう聞いてここに来たんです。話が違います」
何度も唾を飲みこみながら、しかし言い切った。室内の空気は冷え切っている。エアコンのせいだけではない。教師たちの恐怖を警察官の放つ緊迫感が抑え込んでいるのだ。教務室のなかは充填済みのガス缶のようなものだった。何か小さなことでも、それが容易に着火剤となって感情の恐慌を爆発させるだろう。その着火剤になり得るものは、巧の一挙手一投足というわけだった。
ただのニンゲンはこれだから困る。巧はふと、本気でそう思った。戦場に立ち追跡者と命を賭けてぶつかり合った昨日の体験が、すでに教師たちを見下せるだけの経験に昇華していた。
(警察官も、やわな先生たちに苛立っているはずだ)
事前に指示した演技を守り切れない、ダメな教師たち。警察官は態度にこそ出さないものの、苛立っているはずだった。最初の笑顔……当初のシナリオはおそらく、和やかな雰囲気と笑顔で巧を“御客様”として歓待し、そのまま警察署まで連行するつもりだったに違いない。それが早くも戦場慣れしていない教師たちのダメさ加減で崩壊し、警察官は署で突きつけるべき重要な証拠を教務室で開陳するはめになった。そんなところだろう。
もしそうなら、まだつけいる隙はある。巧は教師たちの恐慌に満ちた顔と警察官の冷静すぎる眼光を見比べながら、足を止めてその時を待った。
「話が違う? しかし君の犯したことが、そのことと結びついていたとしたらどうだろう。先生方から話はきいていてね。君はなんでもいじめに遭っていたそうじゃないか? なら犯行の動機にも納得がいく……君もそう思わないか。誰だってそう思うんだよ」
「いじめを、知ってて」
「すべて聞かせてもらったよ。大した事件にはなっていないが、それなりにひどいものだったそうだね」
「……!」
それなり。そのひと言を聞いた瞬間、頭のなかが真っ白になった。
大した事件にはなっていない。確かにその通りだ。だが、それは警察官が言って良いことなのか。いじめを黙認することに慣れた教師たちにつづいて、犯罪者を処罰するべき警察官までもがいじめを当たり前のことと呼び、“大した事件”でも何でもない“それなり”のことでしかないと公言するというのか。
殺す。戦いに紛れてすべてを録音していた小狡い一角徹也も、ダメな教師たちも、腐った警察官たちも、全員殺してやる。
理不尽に対する怒りが憎しみに転じ、心にたぎる熱が火になって――直後、しかし降ってわいた驚愕にすべてを鎮められた。
連続する金属音……ガチャガチャとせわしない解錠の音が、その始まりだった。
「失礼! 警察官の皆さん、こんにちは。こちら、公安部外事三課所属、秦野警視であります!」
凜とした女性の声とともに扉が開かれた。教師も、そして警察官までもが突然の来訪者を驚愕の眼差しで見ていた。巧も反射的に振り返る。その聞き覚えのある声――僕と同じ化物の声。
秦野真理――妖狐がスーツ姿で教務室に入ってきた。教師たちは疑問符を頭に浮かべ、対して警察官は一斉に目尻をつりあげはじめた。
「何だ、公安の奴が。この帳場は俺たちのヤマだぞ」
レコーダーを握っていた警察官は笑みを吹き消し、まるでヤクザのようにドスをきかせた声でうなりをあげた。
対して妖狐は「何をおっしゃる」と余裕の笑みを浮かべながら、しかし大きく声を張って迎える。
「この少年がシロだということは、すでに会議で決まったこと。いくら貴方たちが末端の肩書きなしだとしても、同じ警察組織のニンゲン。上層部の意向を知らなかったで済ませられるとでも?」
コツ、コツと小気味よくヒールの音を立てながら、女性警官に化けた妖狐は颯爽と巧を追い越し、警察官に迫る。その背中をみて、巧は驚愕とともに怒りが吹き消されてしまったのを自覚した。僕はひとりではないらしい――その温かさが燃え盛る怒りに水を差したようだ。
ため息を吐き出し、しかし、消えない決意を胸に抱き直す。
「ぜんぶ、殺す。大人たちも、化物も……」
僕の人生を僕の力で切り拓く。そのための障害はすべて排除する。大和田も、クラスのみんなもそうやって消した。結果、障害がなくなって生きやすくなった。ならば、目の前のこいつらを殺せばもっと生きやすくなるだろうし、あるいは、何もない人生のなかで何かをみつけられるかも知れない。
怒りや憎悪ではなく、深い決意でふたたび胸に火を灯す。暗い決意がそのまま黒き炎となって、巧の全身から迸った。




