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一角獣の追跡者!?

 拳は敵の頬に直撃した。威力は絶大で、かつ最大限に的中した。


 まともに拳を受けたユニコーンの頬の肉が衝撃によって裂け、破れ、飛び散った。鼻がめくれあがって眼球が破裂し、頭部が木っ端微塵にはじけ飛んだ。


 そんな幻想をフェニックス妖狐態は――巧は、確かに見た。


「なんだ?」


 不意にフェニックス妖狐態は止まった。我にかえったのだ。たかがパンチの一発で怪人であるユニコーンの頭を木っ端微塵に吹き飛ばすなんて、そんなことができるのか?


 気づいた瞬間、変色したユニコーンが目の前に立っていた。


「灰、色……?」


 我が目を疑った。いったいいつ変色したのか記憶にない。あの純白のユニコーンが気色の悪い独り言をブツブツと呟いていたのは覚えている。その横っ面を思いきり殴ってやるために拳を突き出したのも覚えている。そして、それが的確に命中したということも。


『私が憑依していても防ぎきれなかったなんてね』

「妖狐さん?」

『少し、驚いてしまっただけ。あなたは一瞬の間だけ確かに幻覚に囚われていた。もう少しで喰われてしまうところだったわ。あの追跡者……本物の化物になった、彼にね』

「幻覚? でも、いったいいつ」


 どこからどこまでが幻覚だったのか。思い出そうとして、フェニックス妖狐態はしかしここが戦場であることを知らされる。敵の顔面の表皮は硬質に発達し、まるで仮面のようになっていた。それが目の前に迫り、消える。


「死ねよ」


 そんな声が仮面から聞こえた気がしたが、その意味を理解する前にフェニックス妖狐態は見た――大型トラックが道路の向こうからやってくる。


 速かった。為す術もなく轢かれて、死んでしまう――フェニックス妖狐態はその確信に、足をとめた。間違いなく死ぬ。その恐怖に全身が凍りついた。


『本当に死んで良いの?!』


 不意に妖狐の声が心を揺らした。瞬間、フェニックス妖狐態は我にかえった。目覚めることができた。


 トラックが迫ってくる? それがどうした。今の僕は人間じゃない。悪魔の力を横取りした魔人だ。大型トラックが激突したとして、そんな簡単には死なない。


 いや、そもそも今の僕なら……。


「簡単に、避けられる!」

『その通り!』


 妖狐の快哉にあわせるように、フェニックス妖狐態は再び意識を取り戻した。人類を凌駕する認識能力でトラックの速度を一目で把握し、妖狐態(フェネックフォーゼ)特有の俊足能力でその場を離れた。


 瞬間、トラックが敵の武器――レイピアに変わっていく。


「へえ」


 敵は呟くと、レイピアの突端で虚しく空を突いた。目を覚まさなければ、今ごろは心臓をひと突きされていただろう。


「ボクの世界から抜け出すんだ? キミはヒトの分際で」

「あんたは、誰だ?」


 仮面から聞こえてくる声は、間違いなくユニコーン――一角徹也のものに違いなかった。なのに言葉の聞こえ方や印象がまるで異なっている。発声の仕方がそもそも違うせいで、声質まで変わっているように聞こえるのだ。


「ヒトに名乗れといわれても、ボクはそんなに下劣な存在じゃないんだよね。知りたかったらさ、ボクの世界にもっと浸ってもらわないと、ねえ?」


 灰色のユニコーンはレイピアを構え直すと、その突端をフェニックスに向けた。そのまま空いた片手で自らの仮面を掴み、無理矢理引きはがすようにその素顔をさらけ出した。


 瞬間、フェニックス妖狐態は二本の縄が眼前にぶら下がっているのをみた。いまここに立っている場所も、どこかの見知らぬ旅館の、広い和室に変わっていた。座布団まで敷かれたそこで、木組みの天井から伸びる二つの縄――先端が輪っかになっている、首つり用の縄と、あともうひとつ、見知った少女が先に首をひっかけてぶら下がっているのが見えた。


 水戸舞香だった。彼女はどうやら先に逝っていた。そしてここは旅館、二人で泊まりにきたらしい。ならば、僕も後を追わなければならない……これは、そのための旅行だったはずだ。


 巧は力ない四肢をぶらつかせているだけの、生命から物質に変わり果てた舞香に手を伸ばそうとして、その時、我にかえった。


 舞香はもういない。この力で燃やしてしまったのだ。過去を変えることは、残念ながらできない。


「僕を、からかうな!」

「へえ。後を追わず、彼女の死体を触ろうとして目を覚ますなんて。変態、かな?」


 巧は目の前で敵の声を聞いた。息苦しい。痛い。どうやら首が強く締め付けられている。まだ縄に首をかけていないのに……そのとき、我にかえったと思っていたことさえ幻覚だったと知る。


 巧は再び我にかえった。幻覚のなかで己を取り戻した。瞬間、現実の痛みが意識にのぼってくる。首が痛い。そして、両足の感覚がない。つまり、地面に接していない。


 フェニックス妖狐態はいま、灰色のユニコーンに片手で首を掴まれ、全身を持ち上げられていた。その現実を認識したそのとき、先に足が出た。灰色のユニコーンの腹に強かな蹴りを食らわせる。直後、首の痛みと息苦しさから解放された。


 両足の裏に接地の感覚が蘇る。すぐに地を蹴って距離をとった。顔をあげて敵を観察した。先ほど取り払ったはずの仮面は、まだ装着されたままだった。仮面の下に仮面をつけていたのか、あるいは仮面を外す幻覚をみせられていたのかはわからなかった。


 確実なことは、首の痛みが尋常ではなかったということだ。解放されたというのにまだ息苦しい気がした。フェニックス妖狐態は無様にも人のように空えずきを繰り返した。だが、その間も敵から視線を外す間抜けは犯していない。


『戻ってきてくれた! 私がついていながら、相も変わらず陥ってしまう……アレはもう人の所業ではないわ。追跡者そのものね』

「声も別人みたいですし、ひょっとして……完全に悪魔に乗っ取られた?」


 仮にあれが巧自身と同じ存在だという妖狐の言葉が真実ならば、徹也も心の中に悪魔――追跡者を飼っている。気にくわないが、どうやらそれは本当なのかも知れない。でなければ幻覚の威力が一瞬で桁違いのものになったことの説明がつかないのだ。


「違うよ? ボクは」


 敵の声がきこえる。相変わらず徹也の声と同じだが、そのはずなのに別の誰かがしゃべっているように聞こえる。徹也の声も憎たらしいがこっちの声もうるさい。普通にしゃべるか、あるいは永遠に口を塞いでいろと、そう言いたくなってくる。


「何が?」


 フェニックス妖狐態は思わず聞き返していた。瞬間、灰色のユニコーンが消えた。そうとしか見えなかった。


「ヒト風情がボクの言葉を遮るなよ。ねえ?」


 背後で声がした。振り返る。誰もいない。


 どうやら追跡者の気に障ることをしてしまったらしい。理解した瞬間、フェニックス妖狐態は強烈な衝撃を背中に感じた。蹴られたらしい。さっきの仕返しのつもりなのかも知れなかった。


 痛みと衝撃に、前につんのめる。巧はそして次の瞬間、断崖絶壁に立っていた。前につんのめったことで、崖から転落する。


「これも、幻覚! そうに決まってる」


 叫び、我にかえった。フェニックス妖狐態は、落下していく感覚に陥っている己の認識を制御するべく、全身に力を込めた。すると、暗い海面が目の前にみえた。断崖絶壁から落ちる、この幻覚からは逃れられないらしい。ならばと、フェニックス妖狐態は両の掌を開いて前に出した。直後、そこから狐火の再現――ファイヤーボールを撃ち放つ。


 海面が蒸発して道が開けた。直後、巧は――フェニックス妖狐態は見てしまった。目の前で蒸発したのは海面ではなく、見知らぬ者の住宅の母屋だったという事実を。


「ダメじゃないかキミ。その力でヒトの家を破壊しちゃあさあ、ねえ? だってそれ眷属の力なんでしょ。大いなる者……ボクたちが追いかけてる、あの大いなる者を守ってきた妖狐さん。いまの気分はどう?」


 肉が灼ける臭いがする。生乾きの血の臭いがする。人の悲鳴が聞こえてくる。絶叫が悔しさよりも絶望を先に胸に刻みこんでいく。


 クラスのみんなを焼いて殺した。人を殺すことなんて今さらどうってことはないはずなのに、巧は胸に痛みを感じた。それは、心に巣くう妖狐が勝手に運んでくるものだった。


『追跡者の分際で……これは、許されない冒涜』


 妖狐は絶望していながら怒りを熱く煮えたぎらせていた。巧は妖狐の感情を我がもののように感じた。絶望と怒り、どっちが妖狐の本当なのかもそれでわかった。妖狐はやはり人ではないのだ。


 本質は化物。それが人を殺したからといって、今さらなんだろう。


「気にすることないですよ」

『え?』

「そうでしょう。だって、僕だってあいつを殺したい。妖狐さんも、同じですよね」

『心をひとつにしていれば勘づかれてしまうのも当たり前、か。今まで皮を被ってたのもバレたちゃったね。ちょっと、恥ずかしいけど、ならもう、化ける必要もないか』


 妖狐の魂は、人の死臭と絶叫のなかでも減らず口を叩いている。やはり化物だ。確信を新たにして、巧は己の視界に映る敵を睨んだ。それは同時に妖狐の視界でもある。


 僕は妖狐の力を与えられているんだ……いま、初めてそのことを実感した。ようやく戦う理由を、そして本当の心を、彼女とひとつにすることができたらしい。


 いまの僕ならきっと妖狐態(フェネックフォーゼ)の力を完全に扱いきれる。これまでは俊足能力もファイヤーボールも、どちらもその強大さに驚くばかりで振り回されていた。人智を超える力を畏怖しながらも何とか扱ってきた。


 だけどいまは違う。妖狐がこんなにも身近に感じられる。その力もまた、今やこの体によくよく馴染んでいる。そのことを自覚した。


「倒しましょう」

『ええ。絶対、ね』


 呟けば心地よい返事がかえってくる。


『追跡者アムドゥシアスよ。大いなる者の眷属たるこの私を侮蔑した罪、敗北の屈辱で償ってもらいます』

「だから殺すよ。うざったいお前を。一角徹也ごと」


 二つの心は同時に宣誓し、地を蹴った。それだけで弾丸のように体が飛んでいく。その圧倒的な速度のなかで、フェニックス妖狐態は灰色のユニコーン――ユニコーン・魔人態(アムドゥシアスフォーゼ)に吶喊した。急速な接近によって敵の姿がみるみる大きくなっていく。


 だが、それが直後に住宅と同じくらいの大きさに膨れあがった。巨大化だ。その瞬間、巧はこれが幻覚だと思いついた。敵が唐突に巨大化しているが、これは本来ありえないことだ。


 敵の幻術は相変わらず現実との境目がない。高度すぎて騙されたことにさえ気づかないまま意識をもっていかれてしまう。


『いいわ。付き合ってあげる、アムドゥシアス。化かし合いよ』


 妖狐の声が響く。直後、幻覚に干渉されていた視界のすべてがぼやけた。巧はしかし何ら不安を感じない。妖狐の意図は、心をひとつにしている今ならわかる。


 もっとも、同じ化物である敵にもその意図は筒抜けだった。接近しつつ、巧は敵の声を聞いた。


「自分に幻術をかけて中和しようとしてる? おかしいことをするな、キミたちは」


 そんなことをしたら、と声が聞こえてきたところで、ぼやけた視界の真ん中に灰色の人間の輪郭がみえた。それは巨大化していない、一角徹也の身長をもつユニコーン魔人態の実体だ。その額の角は黒く染まり、同じ色をしたレイピアの切っ先が即座にこちらに向けられた。


「藤堂巧くん? これ以上はキミの自我が崩壊する。現実と幻覚の区別がつかなくなっていくよ」


 直後、レイピアが銃に変形したようにみえた。


『この子の意志も、守ってみせる』


 妖狐の宣誓とともに、今度は霧が晴れたように視界が開けた。いまここは林道……その真ん中にレイピアを構えたユニコーン魔人態が突っ立っている。


 かと思えば視界がまたぼやけた。見えていたはずの敵がいなくなり、深い森のなかに迷い込む。猛烈な草の臭いが鼻をつき、巧は一瞬、現在地を確認するために周囲を見回そうとした。だが、そこで思いとどまった。


 いま目にしているこの景色が、敵が見せているものなのか妖狐が見せているものなのか、すぐに判断できなかった。ただ体の動きを変えてはならないということは、先ほど住宅を焼いてしまったことから学んでいる。


 敵の姿はみえずとも、さっきは確かに敵と正対していた。つまり体の向きは合っている。ならば視界に惑わされて、いたずらに体を動かすべきではない。そのはずだ


 この咄嗟の判断の正否は、戦いの結果が証明してくれるだろう。


 次の一瞬のあと、再び巧の視界がぼやける。森を構成する木々が獣のように動き出して結合しあい、人の形をつくっていく。敵はここだと、表示してくれているかのように。


『今よ!』

「はい!」


 幻聴に声を重ね合わせて、その一瞬を逃さず捉えた。左右の掌を開き、しかし合掌するように互いに向かい合わせ、同時にファイヤーボールを放った。左右それぞれから放出されたファイヤーボールが手と手の間で衝突し、溶融し、巨大な火の玉になって顕現する。


 封撃幽殺(バニッシュストライク)――振袖ノ大火(フォックスエンド)は、文明を焼き尽くす大火だ。人の紡いだ物語の産物たるユニコーンを焼死させるなど、書物を焼き尽くすのと同じで容易い。そのなれの果てである追跡者“アムドゥシアス”も当然、焼き尽くすことができるはずだ。


 ぼやけていた視界が晴れた。幻覚から現実へ、やっと戻ってきたらしい。


 巨大な炎球が世界そのものを焼き尽くして通るついでに、その中途に立っていたユニコーン魔人態を呑み込んでいく光景も、巧ははっきりと見た。

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