ぶら下がりの衝動。
全校生徒に休校が言い渡され、課題がネットを介して配布された。家庭のプリンターで印刷し、終わらせておくようにということだった。警察の訪問をうけて混乱していた教師たちもプリントを作成できるほどには平静を取り戻した、ということになる。
それにしても投げやりな命令だった。授業再開の日程はまったく開示されていない。なのに“それまでに”終わらせておくように、と指示してくる。意味がわからない。期日を定めていない課題など、いつ爆発するかわからない時限爆弾のようなものだった。唐突にその時が訪れるのだろうが、それでは生徒を不安にさせるばかりだろう。
できるだけ早めに手をつけておかなければならない。巧は直感的にはそう思うものの、同時にそうそう授業は再開しないだろうこともまた、直感的に把握している。
巧のクラスは三十二人。警察が捜査に入るといっても、失踪した三十一人の家庭に対して調査を行いつつ、学校施設そのものも捜査の対象にしなければならない。防犯カメラが設置されているとはいえ、公共の施設である以上は限度がある。捜査は難航するだろう。
いや、難航するどころの話ではない。犯人は永遠に見つからないのだ。捜査が暗礁に乗り上げることは確定している。すくなくとも一週間は学校に入れないんじゃないか。
巧は印刷したプリントをまとめて勉強机の端におくと、気だるい体をベッドに横たえた。
(物足りないな)
当然、暇だった。家にいる間は安寧が約束されている。両親は共働きですでに出勤しており、ひとりぼっちだった。それは構わなかった。害をもたらす他人がいないことが確約されているというだけで、心穏やかでいられるのだから。
これまでは家にいても大和田猛から呼び出されることに恐怖していた。断れば登校日の朝一番に処罰を与えられた。だから呼び出されれば行くしかなかった。だが、毎回呼び出されるわけではない。電話はいつもあいつのきまぐれでかかってくる。馬鹿馬鹿しかった。いま思えば、鳴るかどうかもわからない電話に怯えて休日を無駄にしていたのだ。その人生の無駄遣いには呆れるし、同時に、憎しみも募っていく。
憎い奴らを殺してまわりたい。ふとそう思う。電話が鳴る心配をしなくていいだけ、家には居やすくなった。だが暇を持てあましていた。本当は嬉しくてたまらないはずなのに、なぜ僕はこの安寧を持てあましてしまっているのだろう。答えは簡単だった。まだ復讐は終わっていないのだ。無駄にさせられた人生を取り返すためにまだ刈り取らなければ気が済まない命が、今ものうのうと生きているのだ。
「あ」
ちょうど、電話が鳴った。学校からだった。
「はい、藤堂です」
『ごめんね藤堂君。三組担任の古林ですけど、警察のことでね』
中年女性の声がした。現代文担当の古林先生だ。優しいが年齢相応にしっかりしたところがあって、生徒たちの不実を黒板の前で咎めることにもためらわない。優しく、厳しく、理想の教師といった印象の大人だった。しかし教壇での印象とは裏腹に、教務室内ではとても慇懃で、どこか縮こまっているようにも見えた。そんな裏表を感じさせる教師でもあったのだ。
「クラスのこと、ですか」
『ええ。その日のこと、詳しく話をきかせてくれないかって。もちろん私たちは、防犯カメラ以上の情報はないって何度も言ったんだけど……向こうも生徒から直接話を聞きたいって譲らなくて』
つづけて、古林先生の口から警察からの伝言をきいた。
つまり、巧は今すぐ学校にひとりでくるよう命じられた。担任の福原が校長にいじめを報告していなかったことについても警察が聴取を始めたそうだが、そうなると巧の証言も欲しくなった、ということだった。警察が家にきても良かったのだが、親御さんを心配させるのも申し訳ないので巧くんの方からきて貰えないか?
喜んで。そう言いたくなるのを抑えて、巧は面倒な命令を呑み込む優等生の声で返事をした。
「わかりました。課題がありますけど、行きます」
ありがとうね、本当に。古林先生は申し訳なさそうにそう言ってくれたが、僕がみんなを殺しましたと言ったらどんな顔をするだろう。巧は電話切って台に戻した。その間にも無意識的に舌打ちしていた。
福原だけを殺そうか、問題を放置した教頭や校長も殺してやろうか。古林先生はどうする? 巧は制服に着替えながら、心地よい殺人の妄想を脳裏に描いて楽しんだ。
※
福原と田口をこの世界から抹消し、その他の教師たちも処罰して復讐を完了する。クラスメイトがいじめを見て見ぬふりするのとはわけが違うのだ。本来対応するべき立場にあるはずの大人たちがそろって見て見ぬ振りをし、己の職責を放棄した紛い物の大人たちなど、教師であってはいけない。
いや、人であってもいけないだろう。だから殺してやるのだ。
そんなことを念じながらひとりで登校した。学校に辿り着いた瞬間に殺してやろうか。あるいは、警察に詰め寄られている福原の顔に唾をはきかけてから殺してやろうか。どんな風にしたって憎しみが晴れることはないだろうが、それでも殺し方を考えているだけで心は満ち足りていく。
こんなにも楽しい気持ちで、軽い足取りで登校するというのも初めてのことだった。
いつも笑顔爛漫で登校していたクラスメイトの女子たちは、こんな風に軽い心持ちで登校していたのだろうか。今では確かめようもないが、しかし僕のいじめを止めることもなく、自分たちだけそんなに楽しい心で登校していたとなれば、それはやはり万死に値する悪行だろう。
(僕は間違ってない。殺して、よかったんだ)
大和田猛とその取り巻きどもだけでなく、クラスメイト全員を処罰したことはやはり正しい行いだった。巧はそう信じている。
だからそれを罪だと決めつけてくる奴はうるさかったし、憎らしかった。勝手に決めるな。そう言いたくなる。
学校に辿り着く直前。福原をどう殺そうか思案しながら歩いているとき、一角徹也が道路の向こうからやってきた。
学校まで、あと五分くらいだ。復讐が完了するまであと五分なのだ。まるでそれを妨げようとするように、徹也はこちらを睨みながら歩いてくる。もちろんこちらの道を塞ぐように、常に対面するように。
(何だ、あいつ)
舌打ちした。いったいどうして徹也がここにいるのか、わからない。偶然とは思えないが、しかし電話が盗聴されているはずもない。だとすれば、学校関係者から事情を内通しているとでもいうのか。
「福原か? 田口か? あいつら……!」
優等生の先輩として学校生活を満喫しているあいつなら、あり得る。そう判断するとともに、巧は徹也の変身能力について記憶の端から掘り起こす。昨日襲いかかってきた二人の鎧の騎士とはまた違う、むしろ巧の能力に酷似しているようにも思える、異能による変化。
お前はまたやり返されたいのか? 巧は記憶を掘り起こしているうちに笑いはじめていた。徹也の変身にはまだ一度も負けたことがない。常に撃退している。ならばいまここでぶつかりあっても、勝つのは僕だ。その自信がある。
嘲笑の笑みを浮かべる巧と、充血して血走った眼で睨んでくる徹也は、ついに校門の前で鉢合わせになった。
向かい合った、その瞬間だった。世界のすべてが溶け崩れ、地面の他には何も存在しない虚構の世界が周囲を覆い尽くした。
「センパイ。僕、警察と学校に呼び出されてるんです。付き合ってる暇、ないんですけど」
「化物が。非武装の先生たちのもとには行かせない。俺がここで、食い止める!」
「急に大声だして、うるさいですよ」
「黙れ、化物! うおおおおおお!!!!!」
誰も何もない世界に降り立った瞬間、徹也は雄叫びをあげた。頭がついにとち狂ったようにしか見えないが、相手は本気のようだった。
昨夜は酒で両親が酔っていたが、この目の前の徹也は、どうやら狂気に酔いしれているらしい。
「ああああああ!!!!!」
叫ぶことがどれほど痛々しいことか、徹也はわからなくなっている。自分を客観視できてなくなっているのだ。
「うるさいな。僕の行く先を、勝手に邪魔してきて……」
舌打ちして、思いきり睨みつける。そのときにはすでに徹也の全身が白く変色していた。まるでスーツのようにきめ細やかで滑らかな純白の表皮の上にプレートが一枚――鎧のように硬化して発達した胸部。最後に、その額から角が伸び、ひとりの人間が異形の存在になりかわる――怒りに支配されたユニコーンが、突進してきた。
変身した瞬間、段違いの脚力を獲得したそいつは、突然巧の目の前にやってくる。
その手には一角を模した剣、ホーン・ソードが握られていた。雄叫びを放ちながら剣を構えて肉薄していくるその姿は、外国映画にでてくる蛮族の威容に他ならない。
「どっちが化物だよ」
巧は呟くと、振り下ろされる剣を避け、つづけて突き出されるパンチを片手で受け止めた。
「お前……!」
「センパイ、そんなにやられたいんなら」
まずはお前から殺してやる――殺意が憎しみを引き寄せ、それは怒りを連ねて巧の全身を燃やし尽くした。紫色の炎は一度巧の全身を灰にして、そこから一体の異形が飛び立つ。
瞬時にユニコーンの背後をとり、炎の中から蘇った巧はこの世界に君臨した。毒々しい紫色のまだら模様の表皮をまとい、鶏冠にもみえる左右一対の突起物を頭から生やした、鬼人とも鳥人ともつかない異形――フェニックスが反逆の拳を握り、突き出した。
ユニコーンは急速に振り返り、フェニックスの拳に自らの拳をぶつけた。白の拳と紫の拳は中空で激突し、そのまま静止した。対の拳は震えながらも拮抗し、一瞬、二体の異形は互いの眼を重ね合わせるように、向き合った。




