最高の宴、最悪の夜。
事情聴取は十五分ほどで終わった。最初は厳しい目をしていた警察官の男は、話をしているうちに巧が単にトイレにいっていただけの男子だとわかると、興味を失ったというように落胆の目を向けてきたが、大きなため息を吐き出してしばらくするや、急に態度がやわらかくなって、かつ、限りなく丁寧にもなった。
聴取は誰もいない校長室で行われた。警察が慇懃に頭をさげて出て行くと、それですべての終わりを知った校長がいれ代わりに入ってきた。
校長といえば全校集会で長広舌を披露している中年男で、スーツを着こなし豊かな頭髪を風になびかせてはいるが、そこには白髪もまざっている。校長に面とむかって話すことなど一生ない。巧はそう思っていた。校長もそう思っていただろう。
が、そんな校長は巧の向かいに座ると、微笑んだ。
「お疲れさま。君が警察にいろいろと聞かれていた間、私は福原くんを問い詰めてみたよ。なんでも、いじめが起こっていたんだって?」
「……知らなかったんですか? 校長先生なのに」
「ああ。恥ずかしながらね。報告があがらなければ気づけないんだ。福原くんには担任として報告する義務があったんだが、どうやら彼はそれを放棄していた」
「そうですか」
「この騒ぎだ。ひとまず学校全体を休校にする。でも君に話を聞くことがあるかも知れない。なにせ、ひとつの教室の生徒が残らず失踪した前代未聞の事件で、唯一残った生徒が君なんだ。君しかいない。警察は君に事件性を感じなかったようだけど、こっちはこっちで確認することがあるんだ。後で電話するけど、構わないよね?」
「大丈夫です。電話がかかってくるなら、それで」
どうせ断ることはできないんでしょ。そう言いたいのを堪えて、巧は良い子の被害者を装った。
午後七時。黄昏時も佳境に入って空が紫色になりはじめる。大和田猛を排除してから、この暗い空を見上げるのは久しぶりだった。猛たちに弄ばれて解放されるのが、ちょうどこのあたりの時間だったのだ。
巧は家に帰る前にこの空を見上げてきた。夜の暗闇に染まりきる前の紫色の空は、まるで運命に抗っているようにも見える。これから己が夜に呑まれるのを知っているはずなのに、夕焼けは空の端に残ったままなかなか消えない。
いじめ。校長はそう言った。他の教師からは常々、別の言葉に置き換えられてきた。大人たちが得意とする官僚然とした言い換え……しかし校長は直接的にその言葉で認めてくれた。
校長と面と向かい合っていたときは何も感じなかったが、改めてその事実を噛みしめてみれば、とても重要な言質をとったのではないか。そう思えてならなかった。
もっとも、今さら言質を取ったところですべてが遅い。認めてもらえるものなら、猛たちに弄ばれていたその間に認め、学校として正式に謝罪して欲しかった。
腰が重すぎるのだ。おかげで巧は自らの手で猛を排除することになってしまった。事件を、起こすことになった。
巧は空を見上げながら歩いた。涙で滲んで何も見えなかった時もあった。空を見上げる気力さえ奪われた時もあった。いまは、自らの意志で空模様を観察し、楽しむことだってできる。
(勝ち獲ったんだ。これは、やっぱり、僕が勝ち獲ったものなんだ)
負けるな。夜が来るとわかってなお、巧は空の端に残った夕焼けを見上げて、しばらく見守った。
両親はとっくに帰ってきていた。思えば、猛を排除してからというもの、両親の帰宅前に帰るのが普通になっていた。
猛を排除したことを、巧は家族には言っていない。そのせいか母は特に心配そうに巧の全身を見渡しながら、出迎えてくれる。
「ただいま」
「傷はない、わね。今日はどうして遅くなったの?」
巧は思わず笑った。母は何も知らないのだ。何も知らせていないのだから当然だが、いじめを訴えても福原をはじめとする学校側の人間からクレーマー扱いされたことに未だに憤慨しており、同時にその神経を過敏にしていた。
だから巧は、その学校関係のことで重要な進展があったことをはじめて報告することにした。「いじめのことなんだけど」巧が切り出すと、母の顔はしだいに輝いた。そして最後まで言い終わらないうちに、「お父さんにも聞いて欲しいから、夕ご飯のときでいい? 今日は、お祝いだよ」と、まるでクラスの女子のように浮き足だってキッチンに駆けていった。
巧は高校生になってからというもの、そんな母の喜ぶ姿を見ていなかった。思わず苦笑した。
校長がいじめを認めてくれて、おかげで猛からいじめられることはもうなくなったよ。そう伝えただけだ。
夕餉は即席の祝宴になった。いつもは父だけが酒を飲むが、今夜は母もワインを開けた。母が料理をつくっている間に父がスーパーまで行ってシャンパンを買ってきて、それを巧のグラスに注いでくれた。
「いい気味だわ」母は迷うことなくそう言った。
「そうかもな……いや、その通りだ」父も同調して、うなずいた。
天罰。恥知らずの罪。臆病者の罰。あらゆる言葉で父と母は失踪したクラスメイトたちのことを罵り、警察沙汰になって校長に詰め寄られた福原のことをあざ笑った。
最高の夜だった。
巧も両親の真似をしてシャンパンのグラスに口をつけ、次々と飲み干した。母は次第に泣き始めた。父ももらい泣きした。巧は言ってやった。今日、校長から直接、いじめという言葉が飛び出したことを。
「ふざけるなよ!」父がわめいた。完全に酔っ払っている。
「そうよ! 遅いのよぜんぶ! 警察の面倒になった途端にこれ! どうせ認めるんなら、その前に私が駆け込んだときに認めろってのよ!」母もわめいた。まるで子どものようだった。
巧は思わず笑った。大きく声をだして笑った。こんなに両親と面白い話をするのは、久しぶりのことだった。それこそ、高校入学祝いに豪華なディナーを振る舞って貰ったとき以来だろう。
巧の視界もまた滲み始めた。嬉しかった。自ら道を切り開いたことで両親の笑顔を取り戻すことができたような気がして、ただ嬉しかったのだ。
一家の勝利の宴は限りなくつづいた。両親は果てのない喜びと酒の魔力に溺れて眠りこけ、唯一シラフを保っている巧がそんな親を起こしてベッドに導いた。
両親が眠りについたころ、巧もまた部屋にあがってベッドに潜る。よく眠れた。やっぱり今宵は、最高の夜だった。
※
学校が管理するネットページはもちろんのこと、普段は絶対にありえない電話連絡で“全校休校”が言い渡された。
突然の出来事だった。一角徹也は半日を保健室で過ごしクラスメイトにサボリ魔といじられたものの、午後からの授業にはしっかり出席しようと自ら怪我を治療した。
その矢先、何故かすべての学年のすべての授業が自習となった。教師たちも慌てているらしく、徹也のクラスを受け持つ担任は自習を言い渡すなり飛び出していき、すぐに教務室へと駆け下りていった。
それから五分もしないうちに、生徒全員が教室から出ないことを放送にて厳命された。いくら体調を悪くしても早退することは許されない、とも。
(なんだ、これは)
おそらく、警察沙汰になったのだと徹也は理解した。藤堂巧が、あの化物が一年の教室を焼き払ったのだ。学校側としては奇妙な失踪事件として理解するしかなく、徹也もまた巧のことを告げ口しようとは思わなかった。すべてを赤裸々に話したところで教師たちからバカにされるのは目に見えている。
凡人は所詮、凡人の世界しか理解できないのだ。追跡者の力、変身、戦闘……すべてを勇気と共にうちあけたところで、子ども向けヒーロー番組の見過だと笑われるのがオチだ。徹也は自ら培ってきたクラス内評判を地に落とす気もなかった。
いつ学校側と警察側とで話が落ち着いたのかはわからない。噂を嗅ぎ回ろうにも生徒である徹也が教室から出ることは許されなかったし、そんな生徒たちを監視するために巡回している教師や契約講師たちも何も知らないようだ。誰も何も知らないまま、生徒たちはそのまま三時間ほど拘束され、夕方あたりに突然、解放された。
寄り道せずにまっすぐ帰宅するように。そして明日からはしばらく学校に来なくていい。血の気を失った顔で戻ってきた担任にそう言われ、クラスメイトたちが当然のように質問するが、担任は「答えられない」と苦虫を噛みつぶしたような顔で返すだけだった。
(そりゃあ答えられないだろうさ。クラスひとつ、丸ごといなくなった大事件だ)
徹也は時々、“ユニコーン”の力を行使して周囲に幻覚を与え、教室からぬけだして状況を探った。当然、組織や師匠であるヴィトにも報告した。
その結果、警察に先んじてヴィトが巧を処分することになり、現場に急行した。
午後八時。クラスメイトとはとっくに別れ、帰宅し、ひとりで自分の部屋のベッドに横たわった。何もする気になれなかった。
藤堂巧。今ごろあいつは何をしているのだろう。
殺してやる。
日常が破壊された。あのとき俺があの化物を倒し損ねたことで、ついには学校生活全体が崩壊してしまった。俺だけでなくクラスメイトの人生までもが毒されてしまった。それだけじゃない、顔も知らない他学年の生徒全員が丸ごと焼き尽くされ、今後関係する教師たちの人生までもを狂わせるだろう。
師匠でさえもあいつを取り逃がしたとはいえ、これは間違いなく俺の失態だ。俺の失態が端を発する、大事件だ。
必ず殺す。
徹也は闇のなかで誓いを立てた。しばらく眠れそうにはなかった。今日は最悪の夜だった。




