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鋭利な殺人。

 沢田による数学の授業は、言ってしまえば時間稼ぎのようなものだった。巧を校内に引き留めておくための場つなぎであり、その間に教頭と校長とで話し合いが行われる。


 それで今回は流石に握りつぶせる規模ではないと判断したのか。数学の授業が終わるころ、巧はチャイムとともに入ってきた福原に呼びだされた。


「警察を呼んだ。お前も聴取の対象だ。だが、その前に俺たちにも報告をしろ。何があった。みんな、どこに行った? 報告だ」


 福原はパニックに陥っていた。福原だけではない。廊下を歩いている他の教師たちも慌ただしそうにしているし、校内放送で自ら「全校生徒、全員自習」「教員は全員教務室へ」と号令を下す教頭の声も早口で上ずっていた。


「わかりませんよ。先生が握り潰した、いじめの一種なんじゃないですか」

「何?」

「今までもみんなに揃ってイタズラされたことだってあったんです。なら、今日もみんなで行方をくらまして、俺をからかうつもりだったんじゃ――」

「黙れ!」


 怒号とともに胸ぐらを掴まれた。思わず隣にいた沢田が止めに入る。


「福原先生、それは流石に!」


 椅子が倒れる音が響いた。巧は勢いよく立ち上がっていた。沢田が止めに入るまでもない。立ち上がった勢いで福原の手をふりほどき、睨みつけてやった。これまでは猛たちが怖くて、人の顔をじっと見るということさえできなかった。だが今は違う。今は力を持っている。何だってできるのだ。


「先生、ふざけないでくださいよ。なんでずっと教室にいた僕が怒鳴られなきゃいけないんですか。行方をくらましたのは皆の方なのに」

「チッ」


 福原は振り払われた手を汚らしそうにジャケットに拭うと、巧と沢田の視線を交互にみて、咳払いをひとつした。


「とにかく、お前は教務室に来い。警察がくるまで待機だ。沢田先生、あなたも。会議が始まりますよ」

「福原先生も、ね」


 沢田はなぜか励ますように巧の肩をぽんっと叩いてから、教室から出ていった。福原もそれにつづいたが、


「おい! もたもたするなよ!」


 去ったはずの福原の声だけが教室に舞い戻って怒鳴りつけてくる。


「くそ教師が」


 小声で呟き、鞄をもって教室をあとにした。




 階段をひとつ下るだけで良い。教務室までは五分とかからなかった。どれだけもたもた歩いたとしても大して変わらないはずだ。福原は相当冷静さを欠いているし、大人の皮をかぶって待つことさえできなくなっている。叱るということをストレス発散手段か何かだと勘違いしていて、こちらを生徒として正しく導こうとは微塵も思っていないのはいつものことだが、それにしても今日ははっきりしすぎていた。なり振り構っていられないのだろう。


 巧のときは田口が味方について何とかなった。だが、担当クラスの生徒がひとりを残して全員行方不明という事態は流石に前例がないはずだ。ひょっとすると、その責任は“監督責任”という名目の元、すべて福原ひとりに押しつけられているのかも知れない。いずれにしても福原は相当焦っていた。


 だがどんな事情があるにせよ、それで僕が怒鳴られるのは違う。巧はそう思うが、相手がパニックに陥っているのだからわざわざ言おうとも思わなかった。


 表向き用につくった顔で従う。以前もよくやっていたことだ。もっとも、今はそれがひどく馬鹿らしく思えて、当然のように行うことに疑問をもつようになっているのだが。


(僕は、前は何にも頼れなかったから、かな?)


 力をもつと、安心感をもつと、人生はこうも違う。ならばもう二度とこれを奪われてなるものか。心のなかで、巧は自分の人生を守ることを誓った。自分の人生を切り拓くための力も、これから絶対に守らなければならない。




「座ってろ」


 福原に事情を説明してからずっと待たされている。


 福原と田口が並んで腰掛け、その対面に巧が座らされ、まるで面接のような“報告会”が執り行われた。トイレに行って戻ったら全員いなくなっていた……巧はそう報告した。徹也に呼び出されたことを漏らせば面倒なことになりそうだった。用を足していたことにするのが無難だ。


 福原と田口は「本当にそれだけなのか?」「お前、なんか隠してんじゃないのか」などと唾を飛ばしながら言ってきたが、所詮は何も知らない上に困惑している子どものような大人だった。「知りません」の一点張りを貫き通し、結局えこひいきの教師たちはこれ見よがしのため息を吐き出しながら去って行った。


「まったく。警察がきたらちゃんと答えてくれよ」

「はい」

「返事が小さい!」

「はい」

「俺はお前が気にくわない。それだけは言っておく」


 福原と田口の交互の叱責は、教師の職権を濫用した個人的なストレス発散にしかみえなかった。背中がみえなくなったところで、巧はため息を吐き出した。




 白いパーテーションで仕切られた教務室の一角は即席の応接間といった風情だ。普通は客を通すとなれば校長室だが、警察を招くわけにはいかないのだろう。もっとも、その警察も間もなくやってくるらしいが、教師たちにそういわれてからすでに三〇分は経っている。急行してしかるべき警察が何を手間取っているのかはわからないが、おかげで巧は無駄な時間を過ごしている。


 警察とはいえ、精通しているのは常識の範囲内で行われる事件を捜査することだけだ。仮に巧が自白剤を飲まされるなり激しい脅迫を受けて真実を語ることになったとして、この身に宿る悪魔の力でみんなを消し去りました、なんて証言は笑い飛ばされて終わりだろう。あまりに突拍子もない真実は馬鹿話と勘違いされる。


 そうとわかっているから、巧の証言もまた結局は「トイレに行っていました」、これを繰り返すことになる。巧はまたため息を吐き出した。


(くだらない)




 一時間ほど経過して、ようやくパーテーションの中にひとりの男が入ってきた。


「君が藤堂巧くんだな」

「は、はい。あなたは……?」


 声がしたから見上げてみれば、黒いシャツに黒いスラックスを身につけた茶髪の男が立っていた。目の色は青く肌は白い――日本人ではない。


 それどころか学校の職員でもなければ警察でもない。見知らぬ外国人の男性が、抜き身のナイフをもって目の前に立っている。


 巧は言葉を失った。


「な」


 それが巧の最期の声になった。目にも留まらぬ手際だ。腹を刺され、捻りを加えられ、肺に空気が送り込まれる。


 プロによる一瞬の死。巧は意識を保ったまま、死んだ。

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