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浄化された教室、青空。

 教室はそのまま残っていた。机も椅子も、生徒たちの鞄も残っていた。まったくそのままの状態で残されていた。ただ中にいた人間が消えた。着ていたもの、そのとき手に持っていたものと一緒に、クラスメイトの存在が消えた。異様な光景だった。


 奇しくもトイレに行っている者はひとりもいなかった。一限目の授業が始まる直前で、チャイムも鳴り始めていたのだ。廊下に出ていた生徒たちも残らずそれぞれの席につき、座りはじめたそのとき――炎の翼がすべてを連れ去っていった。




「やったな、お前」


 うめき声がきこえた。巧は足下をみた。変身が解除されて人間に戻った徹也を、目だけを動かして見下ろした。


「本当の、バケモノに、なっちまったな。この、人殺しが……!」


 呻いているだけで、徹也は何もできない。立ち上がることさえできない。だが、呻くことだけはできるのだ。どうやら我慢もできないらしい。


「知らないからな。俺なんか、メじゃねえ……本当の仕事をするやつが、これからお前を追いかける。今日からお前は、組織の、ターゲットだ」


 呪詛のようなものだ。くだらない。巧は、腹ばいになりながらもこっちを睨んでくる徹也の、その腹につま先を潜り込ませ、蹴りあげた。徹也はそれだけで気絶したのか、やっと黙った。


 こっちはクラスメイトを残らず消し去って満足しているのだ。その余韻に浸る時間を、くだらない呻き声で水を差されてはたまらなかった。




 巧は制服の襟をただし、誰もいない教室に戻った。チャイムが鳴り終わった後に教室に入るのは本来遅刻だが、一限目は数学で、担当の沢田がいつも遅れてやってくることはわかっている。何の問題にもならない。


 ひとり着席して待っていると、いつもどおり沢田がやってきた。中に入ってきた瞬間、沢田は目を見開いて驚愕を露わにし、「ここで、間違いないよね?」と、ゆっくり巧に訊ねてきた。


 滑稽だった。笑ってしまいそうになるが、つとめて無表情を装った。いつものいじめられてすべてを奪われた者の表情をつくって、頷いた。


「はい」

「ひとり? 他は?」

「わかりません。僕はちょっとトイレに行っていて、戻ってきたらみんないなくて」

「そんな馬鹿な……ちょっと、教務に確認してくるから待ってて」


 沢田はやや慌てて首を傾げながら出て行こうとした。巧は唾を一度のみこんでから言ってやった。


「いつものイタズラ、かも知れません」

「なに?」


 首を傾げたまま沢田は振り返った。パニック寸前で力んでいるせいで、巧からは睨まれているようにみえる。


「僕、いじめられてて。たまにクラスのみんなからイタズラされるんです。誰も止めてくれませんし。先生たちの間でも話題になってたりはしないんですか」

「知らないな。まったく、知らない」


 くだらないとでも言いたげな顔で沢田はそそくさと教室を出て行った。ひとりになった巧は座ったまま机の脚を蹴った。




 沢田は教室に戻ってきた。少ししょんぼりしているようにみえた。話す生徒もいないので、巧に向かい合うしかない。さっきのことなど忘れたかのような変貌ぶりだった。


「教頭先生に報告したらさ、連絡はない、知るかって。こっちで調べてやるからお前は授業でもやってろって。そういうわけだ。個別指導になるが、とりあえずやっていこうか」


 ついに数学の授業が始まってしまった。ただ「生徒がひとりを残して休んでるんだから、進めすぎるのも良くない」という理由から、途中から授業とは何の関係もない話をしはじめた。


「いじめ。さっきはそう言ったね。外に漏れれば問題発言になってしまうから、その手の話に乗ることはできない。だから、知らないというしかないんだけど……」


 沢田は巧に探る目を寄越した。見極めているようにも見えた。面倒な親に告げ口するような、面倒な生徒かどうかを知りたがっている。つまり、巧が面倒な生徒でないとわかれば、いじめのことについて少し話をしてやっても良い、ということだ。


 巧はうなずいた。


「担任の福原先生は、僕の親を勝手にモンペ扱いして。それで、いじめを放任しはじめたんです。これから僕がたとえ親に沢田先生のことを言っても、学校側の問題にはならないはずですよ。先生たちが、僕の親の連絡をぜんぶ握り潰すんですから」

「やっぱり君はその生徒か」

「やっぱりって」

「少し前、教務でも話題が持ち上がったことがあったんだ。激しいクレームを入れてくる親がいて困っている、と。しかしそうそう勝手に相手をクレーマーとして扱うのもどうなんだって。まあ議論が始まるまでもなく、体育科の田口先生が福原先生の味方についてな。田口先生は教頭先生とは大学時代の後輩なんだ、あの人が味方につけばだいたいのことは解決してしまう。でもそのせいで君がイタズラを受けているというのは知らなかった。単なるクレーム処理だと俺もきいていたからね。いじめのことなんて、それこそ握りつぶされていたってことだ。おそらく教頭先生も知らないんだろう。田口先生と福原先生の他には」

「そういうカラクリだったんですね」

「ああ。言うとおりだな、カラクリだよ。くだらない」

「え?」

「正しいことを教えるはずの教師が、結局は正しさなんて要らないってことを、君のその件を通して生徒のみんなに教えてしまっている。ほんとくだらない職場だ、ここは」

「そうですか」


 沢田は他人事のようにいった。他の教師のように否定されなかった嬉しさと、しかしいじめが存在していることを確認してもなお愚痴をいうだけで何もしてくれない憎らしさとが、巧の心に同居する。


 結局自分自身がその件に直接関与でもしていなければ、あらゆる重大事件は他人事になってしまうらしい。それが人間という生き物の習性なのかも知れない。少なくとも沢田は巧のいじめを、あくまで他人事のニュースか何かだと思って、愚痴の種に利用しているだけだった。


(こいつも、普通の大人か)


 巧はため息を吐き出したいのを堪えて、沢田のくだらない話を聞き流しはじめた。向けた視線の先に広がる蒼穹は、実に輝かしかった。人の本性に反して、自然は実に美しい。

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