できる従者は諦めを覚える
あの後護衛もとい監視を受けつつ夕食を終え、(味はしなかった)人生で初めて人にお風呂に入らせてもらった。疲れからかそのまま眠りにつき、私はでかすぎるハサミをカシャカシャと鳴らしながら追いかけてくるヴィルバートに捕まり………
「………っは!…夢か…」
なんちゅー夢だ。ついでに異世界転生も夢だったら良かったのに。
悪夢は見たもののふかふかのベッドでぐっすりと眠れたことでいくらか冷静になった私は、昨日のヴィルバートの怒りのあまりだろう、真っ赤になった顔とあの鋭い目つきを思い返してぶるりと震えた。
(完全にブチギレてたもんな…関係修復どころか悪化してる気が…)
いや、まだ諦めるには早すぎる。とりあえずすぐ謝罪にいけばこう、怒りも収まったり………する、はず。多分。きっと。
慣れないながら枕元のベルでリアを呼び、支度を整えてもらったところで朝食に向かった。
出てきたガレットらしき何か高そうなものに幸せな気持ちになる。とろりとあふれた金色の卵、それがじんわりと染み込むパン。フェリシア相手にこんな美味しいものを作ってくれるなんてと感動して、お礼を言おうと部屋に戻る途中でひょこと料理人が控えている調理場に顔を出した。
「あの…」「フェ、フェリシア様…!?すいませんすいませんすいませんすいません!!」「え?!ひっ!」
地面に頭をこすりつけそうな勢いで謝ってきた料理長らしき人に怯んで後ずさると、後ろに控えていたヴィルバートが支えてくれた。
「あっ、ありがとう」「……………いえ」
死ぬほど嫌そうな顔に昨日の説教の時間を思い出し顔がひきつる。ヴィルバートから顔を背けるとまだ頭を下げたままの料理長。
「何か不手際がありましたでしょうか?!大変申し訳ありません、クビだけは…!」「え?ち、ちがうの、ただ朝食が美味しかったから、そのお礼をと思って…」「………………ひっ」
とうとう料理長の腰が抜けた。しゃがみこんでいやいやと首を振りながら後ずさっていく様子はさながら蛇に睨まれた蛙、魔王に出会った一般市民といったところか。そんな現実逃避に走っていたところで呆れ混じりのヴィルバートの声が耳に届く。
「…記憶を失う前のフェリシア様が使用人にお礼を言うなんてまずありえないことです。」
「…!そうでした…」
あまりに美味しいご飯に、自分の行動が引き起こす衝撃を忘れていた。
「以前お嫌いな野菜を出されて調理場に乗り込み、ほぼ全員を解雇しようとしたこともありましたね」「先に言ってくれないかな?!」
それがトラウマになっているならこの反応も納得だ。一応もう一度お礼を言って、刺激しないようにゆっくりと調理場を後にし、自室に戻る。
部屋の前の廊下で礼をして立ち去ろうとしたヴィルバートの袖を慌てて掴んで口を開く。謝罪なんてものは早ければ早いほどいいのだ。
「あの、ヴィルバートさん」「…敬語」「はい!ヴィルバート、その…昨日はごめんなさい!」「……いえ、別に。…公爵令嬢が従者ごときに簡単に頭を下げてはなりません」
棘のある声に焦った私はひとまず頭をあげてなおも言い募る。
「あの、私誰にでもあんなことするわけじゃないの、ただ、ヴィルバートだから」「は」
(だって私の死亡フラグだから…!どうしても仲良くしたいの…!)
「でも嫌いな女に抱きつかれたら嫌だったよね、本当にごめんなさい、二度と触ったりしないから」
「いや、は…?………別に、怒っていたわけじゃありません。」「お…」
いや怒ってたと思いますけど…とは言えずに恐る恐るヴィルバートの顔を見上げる。深海のような目が戸惑ったようにゆらゆらと揺れていた。
「じゃ、じゃあこれから仲良くしてくれる?」「…昨日言われたときも思っていたのですが、フェリシア様のおっしゃる仲良くというのはどういう…」「どういう?」「だから、その……ハグをしたり、触れ合ったり、そういう意味ですか?」
(………?なんでこんな言いづらそうにしてるんだろ?)
お嬢様言葉を話せても、この世界の文字が書けても、自分にお嬢様としての常識が備わっていないことにイマイチ気がついていないフェリシアは分かっていなかった。
貴族社会で異性とハグするなんてことはよっぽど親しい――それこそ恋人同士くらいでしかほぼありえないのだ。
さらに言えばヴィルバートが死亡フラグであることに意識が行き過ぎて、彼が普通に同い年の異性であることを、このときのフェリシアは完全に失念していた。
「そうだよ?」「…フェリシア様、からかっておられるのですか?」
じわじわと赤くなるヴィルバートの顔を心外だと言いたげなフェリシアの苺色の目が真っ直ぐ見つめる。
「からかってない!本気だよ!」「ほんっ………落ち着いてください!こんなところで話すことでは」「私は本気で、ヴィルバートと友達になりたいの!」
「……………は?」
(………え?なんでそんな氷点下みたいな声…)
見る見るうちに鋭く冷たくなっていく瞳に悪寒がしたところで、いつもより3トーンほど低い声でヴィルバートが言った。
「………あぁそうですか、へぇ。そうですね、さすが尻軽お嬢様の言う「お友達」は随分爛れていらっしゃるようで」「尻軽?!どこが…」
「それともなんですか?勘違いした俺が馬鹿だとそう言いたいんですか?」「勘違い…?いや、そんなこと一言も言ってないし!ただヴィルバートと仲良くしたくて」「はいはい分かりました仲良くしましょう試しに同じベッドで朝を迎えましょうか?」「お泊まり会がしたいの?分かった、リアに準備してもらうね!」「〜っ?!やめてください!もういい、分かりましたから…」
結局なんだかよく分からないけれどヴィルバートが折れてくれたらしい。関係修復への一歩なのでは?と満足していた私は、げっそりしたヴィルバートの顔に気づかないのだった。