三歩進んで二歩下がる
「…では本当に記憶が…」「…信じてくれた?」
「……正直まだ疑ってはいます。ですが…」「?」
「…フェリシア様は、左利きです。利き足は右ですし、百合よりも薔薇が好きで、甘いものは体型のためにほとんど口にしないです。それにたとえ命がかかっていても俺や侍女に敬語なんて使いません。」「なるほど…」「なにより、あのおん…あの方は1日他人のふりをしていられるほど我慢強くない。」「なるほど」
私を信じたというよりは嘘ではどうにもならない部分を見てって感じだな。なんか傷つく。ところであの女とかその美人顔から出てくると足が生まれたての子鹿のようになるのでやめてくれませんかね。
「…フェリシア様」「はい!」
不満げにしていたのがバレたのだろうかとびくびくしながらその整った顔を見上げていると、不意に視界に彼のつむじが映った。
「…え?」
頭を下げられているのだと気づいたのは数秒後のことだ。
「…すみません、でした」「え?いや、えっ?」
「いくら俺があなたを心底嫌いでも」「えっ」
「記憶を失って不安な人に取るべき態度ではありませんでした。たとえあなたを心底嫌いでも。」
2回言った。実際私じゃないからそこまで何も思わないけど本当に遠慮ないな。
(…じゃなくて!)
「あの、私別に何もされてないから大丈夫だよ」「先程あなたに渡した本は5歳児が読むようなものです。馬脚を現せばと思っての行動でしたが……」
そう言って俯いたヴィルバート。バカにして渡した本を私が普通に受け取っちゃったから罪悪感出てきちゃったのかな。白い頬が少し紅潮しているのを見て、なんだか申し訳なくなってくる。
「…私、聖女のこととか、正直今は何がなんだかで」「はい」「さっきの本純粋に助かったし、嬉しかったの。だからそんなに気にしないで?」「……はい」
それでもまだ眉間にシワをよせたままの美少年。……これはこれで…じゃなくて。
「……その、それでももし気になるようだったら」「?」
「私と、もうちょっと仲良くしてくれないかな〜と思ったり…」「………」
「…思わなかったり…」「どっちですか」「思う!思います!」「………」
圧に耐えられず私が叫んでから黙り込んでしまった。沈黙の重さにそろそろ気絶しそうだなと半ば白目になりながら考えていると、ヴィルバートの口が動いたのがわかった。
「……ですか」「え?ごめんなんて?」
「………具体的に、何をお望みですか」「…ええっと……」
「…フェリシア様?」「……へへ」
「ノープランなんですね」「た、たとえば!」
胡乱げな目に呆れた雰囲気を察知した私は焦りながら立ち上がり、正面からヴィルバートに抱きついた。
「……なっ」「こういうスキンシップとか!ハグはストレス軽減するらしいし!」
私は誓って、普段こんなことを知り合って間もない異性にするような女ではない。
言い訳をするならこの時の私は完全にテンパっていた。まだ自分が周りにフェリシアとして見られていることにも慣れないうちに、聖女だの婚約者だの縁のなかったものが突然降って湧いて、更には自分を死に追いやるかもしれない人と対峙した。混乱と疲れと恐怖でどうにかなっていたとしか言いようがない。
ヴィルバートを抱きしめたまま静かにテンパり倒していると、ふとその体がワナワナと震えていることに気がつく。
不思議に思ってそっとその顔を見上げると、そこには首まで真っ赤に染めたヴィルバートが悪鬼の如き形相でこちらを睨みつけていた。
「ひっ…!」
慌てて手を離し後ずさる。きっと私を睨んだままのヴィルバートが初めて聞く大きな声を出した。
「ちょっとはましな性格になったかと思えば今度は尻軽になったんですか?!それでも公爵令嬢ですか、慎みがないにも程がある!」「し、しりがる…」「聞いてるんですか!?」「ご、ごめんなさい!!すいませんでした!!」
飛び上がった私はまだかなり赤みの残る顔のまま、同い年のはずの従者から小一時間説教を受けることになったのだ。