一匹狼凛花さんの心を溶かした結果……
俺のクラスには、絶世の美少女がいる。
誰もが羨む美貌の持ち主で、男子はもちろんだが女子すらも羨望の眼差しを彼女に向けていた。
実際、俺もかなり可愛いと思うよ。
美人は三日で飽きるというけれど、あの言葉は嘘だと思ったね。だって三日見てても飽きないんだもん。
そんなにガン見をしていたら「何こっちジロジロ見てんの?キモっ」とか色々言われるだろうが俺は仕方ないと思う。だって隣の席に座ってるのだから。
明るめの栗色の髪は腰あたりまで伸ばされている。髪と同じ色の瞳は大きくて目元がくっきりしている。綺麗な鼻筋と桃色の唇。そして、シミ一つ見当たらない白い肌と、男子なら庇護欲が湧き上がってきそうな華奢な身体付き。だが、主張されるところはされていて、見る人を釘付けにしてしまうだろう。
自己紹介が遅れてすまない。
俺の名前は周防一樹。どこにでもいる平凡な高校生だ。
ただいま授業の真っ最中。
科目は俺の苦手な数学で、しかも大嫌いな証明問題ときたもんだ。
苦戦しているのは俺だけではなく、他の生徒も頭を抱えたり、諦めたように下をジッと見つめる生徒が見受けられる中、彼女一人はスラスラペンを走らせて問題を解いている。
「はーい、それじゃあこの問題をみんなの前で解いてもらうぞー」
先生の言葉に俺は思わず肩を震わせる。
俺はというと、途中までしか計算式を書けなくて解答まで導き出せていない。その計算式すら拙いもので間違っているのは明白。
「誰に解いてもらおうかなー。えっとー」
先生がクラスを見渡し始める。
まずい!なんとかして逃れなければ!
こういうときは先生と視線を合わせないのがベストアンサー。必死に問題を解いているフリをして誤魔化す以外道はない!
あ、やべ。消しゴム落ちた。
その消しゴムを拾ったところで、俺は思わず顔を上げてしまった。しかもガッツリ先生と目を合わせてしまって。
終わったー。詰んだわー。
俺は半ば諦めて当てられることを覚悟していた。
「それじゃあ七海。前に出て解いてみてくれ」
「はい」
当てられたのは俺の隣に座る美少女――七海凛花は立ち上がって教壇まで歩くと、チョークを手に取って計算式を次々と書いていき最後に答えを書き終えたところで、彼女は席へと戻った。
「正解だ」
先生のその一言にクラスからはおぉー、と感嘆の声が上がる。だが彼女は表情を一切変えることはなかった。
「すげーじゃん」
「ん。ありがとう」
俺が小声で話しかけると、さっきまで変えなかった表情をほんの少しだけ緩めた。
まぁ、このように容姿端麗、成績優秀、おまけにスポーツもできるときたもんだ。さぞクラスのみんなからも信頼されているのだろうと誰もが思うだろう。
だが休み時間。彼女は一人で読書に勤しんでいた。そんな彼女に話しかける生徒も誰一人としていなかった。
突然だが、失礼なことを言おう。
七海凛花には友達がいない。
クラスメイトは最初から七海に話しかけなかったわけではない。むしろこれ以上ないくらいに話しかけられていて、このままクラスの中心人物になっていくのではないかと思っていたくらいだ。
だが、何度話しかけても表情を一切変えず、返事も無愛想。話すことは学校で必要な最低限の事務連絡のみで、まるで周りに馴染もうとしない。
クラスメイトも次第に七海とは関わろうとしなくなり、今のようにクラスから少し浮いたような存在になってしまった。
たまたま席が隣になって、俺は勇気を振り絞って声をかけてみることにした。
おはよう、や宿題やった?程度の軽い会話だ。返事こそ返してくれたが、眉一つ動かすことなくまるで作業のようだった。
だが、俺はそこで折れなかった。
毎日毎日根気強く彼女に話題を振り続けた。今になって思えば、俺は相当ヤバいやつとして認識されていたのかもしれない。
そのやりとりが続いていたある日のこと。
「……なんでわたしにそこまで話しかけてくれるの?無愛想で可愛げなくて、あなたも話してて面白くないでしょう?」
初めて七海から俺に質問を投げかけてくれた。
俺は素直に答えたよ。
「きみと仲良くなりたいから」
できる限りの笑顔を添えてね。
すると七瀬はほんの少しだけど、口角が上がったんだ。それを隠すように咄嗟に口元を覆ったけど、確かに笑ったんだ。
当時の俺は、それが嬉しくてたまらなかったんだ。
そこから、ほんの少しだけど七海なりに会話をしてくれるようになって、喜怒哀楽も見せてくれるようになった。
そして、七海がなんで今のようになってしまったのかも教えてくれた。
なんでも、中学時代に原因があったらしい。
詳しいことまでは聞かなかったが、女子同士の喧嘩が勃発したのがきっかけで、七海はクラスで浮いた存在になってしまった。
それ以来、七海は心を閉ざしてしまい誰とも接しようとはしなくなった。
「じゃあなんで、俺とは話してみようと思ったんだよ?」
「だって……無視したり素っ気ない返事してもずっと話しかけてくるからよ。あのときは本当に迷惑だったわ」
「グフゥ!」
「でも……周防くんとなら話してもいいかなって思えたから……」
そのとき、七海は初めて頬を染めて恥じらうような姿を見せた。
☆ ★ ☆
と、長くなったが険しい道のりを乗り越えてやっと今のような関係まで築け上げることに成功した。
数ヶ月経った今では、俺となら問題なく話すことができて、ときには笑顔も見せてくれる。
ちょー可愛い。
だが、できることなら彼女をクラスに馴染めるようにしたい。確かに中学時代の心の傷は癒えていないし消えることはないだろうが、ここはその中学ではない。
そのことを七海に伝えると、本当は自分も仲良くなりたいって思っている。でも中学の頃を思い出してどうしても踏み込めない。それにみんなもわたしのことは暗い女だと思っているから、仲良くなれる自信がない、とのことだった。
要は自信がなかったのだ。
仲良くなっても中学と同じことが起きるのではないか。それで友達を失ってしまうのではないか。失うくらいなら最初から作らないほうがいいのではないか、と。
その答えを聞いて、俺は安心した。
七海にクラスメイトと仲良くするつもりはないと言われればそれまでだったが、仲良くなりたいと想いがあるのなら、充分に打つ手はある。
人脈はクソ狭いが、その分深い繋がりを大事にしている俺だ。その中に本が好きという同じ共通の趣味を持っている女友達がいたので、俺が間に入ってその女子と話すようになって、どんどん仲良くなっていった。
そうすれば、また違うクラスメイトと話すきっかけが生まれて、話すようになり仲良くなる。
その繰り返しでその輪はどんどん広がっていって、二ヶ月も経たない内に七海は、クラスに溶け込んでいった。
今となってはクラスメイトと仲良く話して笑顔をこぼしていて、俺はその姿を遠くから眺めていた。
寂しくはないよ。七海がみんなと仲良くなってくれて、俺は本当に嬉しい。彼女の願いが叶って、これ以上の喜びはないだろう。
……嘘をついた。少しだけ寂しい。
俺だけに見せてくれていた笑顔をみんなにも向けるようになって、俺は少し嫉妬していたのかもしれない。
☆ ★ ☆
季節は流れて、一月。
学年でのスキー学習のため、俺たちはスキー場にいた。
スキーウェア姿の七海もそれはもう可愛くて、みんなの視線を掻っ攫っている。彼女を見れば楽しげに話す七海の姿が。目が合うと七海は目を輝かせながらこちらを見るが、俺は思わず視線を逸らしてしまった。
七海を無事、クラスに馴染ませることに成功したのだ。今ではすっかりクラスの中心人物になっていて、友達も多くいる。もう俺の出る幕はない。
そう思っていた。
その夜。宿泊施設の部屋でのんびりしていると、七海から連絡が入ってきた。
『一緒に滑らない?』
とのことだった。
今は自由時間なので、部屋で休んでいてもスキー場で滑っていても問題ない。
返信すると、俺はスキーウェアに着替えて外に出て待ち合わせ場所に向かう。そこには七海が立っていた。
「男女で別々だから、こんなときじゃないと一緒に滑れないでしょ」
スキー板を履いて、俺たちはリフトへと向かう。七海がどうしてもと言うので、一緒のリフトに乗った。
「ねぇ。なんで今日わたしから目を逸らしたの?」
「そ、それは……」
「今日だけじゃないわよね。それよりもずっと前……みんなと話すようになってから……かな。あなたがわたしと距離を置くようになったのは」
「……」
「答えないってことは、そうしてたってことよね?」
スキー場がライトアップされ、みんな楽しげに笑いながら滑っている中、俺たちの空気はまるで最悪だった。
「……なんで?なんでわたしと距離を置くようになったの?」
「そんなの……決まってるよ。七海がみんなと仲良くなったからだ。きみはたくさんの友達に囲まれてる……」
そもそもの話、元々の住む世界が違うのだ。
七海は光を浴びる場所がとても似合う女の子。俺は陰で目立たない男。
たまたま彼女の身に不運が降りかかっただけであって、今はもう俺と同じ場所にはいない。
「だから……わたしと距離を置くようになったの……?」
「……あぁ。もう俺なんかとつるむ必要なんてない。これからも仲のいい友達とずっと……そしてきみに相応しい……」
「勝手に……決めないでよ……」
俺の言葉よりも前に、七海が震えた声で言う。
「他の子と仲良くなったから、わたしと距離を置くようになったのなら、そんなものは……いらない」
「な、何言ってんだよ。みんなと仲良くなりたいって言ってたじゃないか。そしてそれが叶った。なんでそれをいらないなんて……」
「周防くんがいたからだもん……」
潤んだ瞳を俺に向ける。
七海が俺に対して怒っていることも、俺が言ったことに悲しんでいることも、そのとき初めて分かった。
「最初は周防くんが毎日話しかけてくるのが鬱陶しいって思ってた。でも話しかけてくるのが楽しみになって、話せるようになって、周防くんとなら友達になれるかもって……この後もわたしがクラスに馴染めるように色々頑張ってくれて本当に嬉しかった。……でもきみは、わたしと距離を置くようになって寂しくって……」
今まで聞いてこなかった七海の想いが全て俺にぶちまけられる。まさか七海がそんなことを思っているなんて考えたこともなかったのだ。
俺も突然のことで、頭が整理が追いつかない。だけど心臓が何故かとてもうるさい。
「周防くんがいたから、今のわたしがいるんだよ……周防くんが話しかけてくれなかったらわたし、今もずっと一人だったんだよ。そんなわたしをきみが救ってくれたんだよ……だから、俺がいなくても大丈夫なんて言わないでよ……」
「……ごめん」
「ごめんじゃないよ。ばか……」
ひとしきりに話し終えたのか、ゆっくりと息を整える七海。目元に溜まった涙を拭って赤く染まった頬のまま、俺の二の腕に頭を預けてくる。
「ちょっ……!七海さん……」
「しばらく……こうさせて……」
色々ダメなんですよ!こういう行動が男を勘違いさせちゃうんですよ!あれ?この子俺に気があるんじゃね?って勝手に妄想して告白して見事爆ぜることなんてザラなんですよ!
女の子の匂いがするし柔らかいし……
こういうときどんな行動をとるのが正解分からない。ヤケになってとった俺の行動は……
「本当……七海に嫌な思いをさせてごめんな」
スティックを片方の手に預けると、空いた手で優しく頭を撫でた。
「もし嫌だったら言ってくれ。すぐやめるから」
「ううん。しばらくそうしてて」
「あっす」
俺は頷いて、七海の頭を撫で続ける。
彼女ははにかんでみせて、頭をすりすりと擦り付けてくる。
もう少しでリフトがたどり着く。
そろそろ降りる準備をしなければいけない。
「ねぇ。周防くん」
「ん?」
「わたしにこんな寂しい思いをさせたんだから……責任、とってよ……」
「せ、責任というのは……」
「女の子に言わせるの……?意地悪……」
ジトッとした目を向けながらも、擦り寄ってくることはやめない。
七海が言いたいことは分かっている。俺だってそこまで鈍感じゃない。
「お、俺だって……好きな女の子じゃなきゃあそこまで手を焼いたりしないから……」
「うん……」
小さく息を整えて、
「好きだよ……凛花……」
「うん。わたしも大好き……一樹……」
まさかこんな場所で告白することになるとは思わなかったが、まぁこれもまた青春だろう。