景都と咲哉の家事情 2
西日の入り込む窓も、ボタンひとつでシャッターが下りていく。
夕方まで流石と景都は、咲哉の家の探検を楽しんだ。
客間になっている和室、リビング、ダイニングに広々としたキッチン。
大画面のプロジェクタールームや、ピアノなどの楽器が置かれた防音室も流石と景都には珍しく、テンションを上げていた。
「ほら、ご飯食べに行くぞ」
咲哉に急かされ、流石と景都は玄関ホールまで駆けて来た。
「小料理屋だろ? 財布いる?」
「いらないよ。俺の飯代は母さんがまとめて渡してくれてるから、後で追加しといてもらうし」
「へー」
玄関で運動靴を履きながら景都が、
「僕たち3人でご飯食べに行くのも初めてだね」
と、言った。「帰り道の買い食いとかはしてたけど」
「そうだな」
玄関から門までの道のりも、通路際に並ぶライトが明るく照らしている。
しかし、門を出れば田舎町の住宅地だ。街灯は少ない。
「暗くなってから一緒に出かけるのも初めてだね」
と、景都は咲哉と手をつないだ。
閑静な住宅地は、暗くなると一層静けさが増す。
時折、帰宅途中のサラリーマンとすれ違うほかは人通りも少ない。
「小料理屋って、和食?」
「和食だよ。北駅のこっち側の商店街にあるんだ」
「いつも食べに行ってるの?」
「月、火、水、金は食べに行ってる。木曜は定休日で、土日は母さんが弾丸帰国すること多いから。母さんが居なくても、木曜と土日は、どっか食いに行ったり出前頼んだり適当に食ってるよ」
「それも大変だなぁ。あ、商店街って、この通りだよな」
古びたシャッター街に着いた。
道の向こうに駅がある。駅に向かうほど明かりのついた店は増えていくが、商店街の真新しい街灯がむなしく見えるほど、シャッターの下りた店舗は多い。
「その店だよ」
「へっ?」
暖簾のかかる木造店舗の前に、床置きの電光看板が立てられていた。
床置き看板にも暖簾にも、『小料理屋・女心と秋の空』と、書かれている。
壁にはビールや日本酒のポスターが貼られていた。
「女心と秋の空?」
「居酒屋に見えるんだけど」
「うん。飲み屋って言うか、和風スナックみたいなジャンルになるのかな。でも酒飲まなくても普通に定食だけ食いに来る人も多いよ」
と、咲哉はさらりと言う。
「へー、楽しみ」
咲哉を先頭に『商い中』の札の下がる戸を開けた。
「あら、おかえりー」
と、出迎えたのは、咲哉とよく似た面持ちの和服美人だった。
からし色の着物に白い割烹着を重ねている。
純和風の店内には、まだ客の姿はない。
「秋さん。友だち連れて来た」
「こんばんは!」
流石と景都は元気に声を揃えた。
「こんばんは。初めまして。私は咲ちゃんのお父さんの弟で、秋っていうの。よろしくね」
と、和服美人が言う。
「……弟?」
「うん。オネエなのよ。今は咲ちゃんの叔母さんになっちゃってるんだけどね」
と、咲哉にそっくりな優しい笑顔が言った。
「驚いた?」
秋という和服美人より表情は薄いものの、咲哉は楽しそうだ。
「うん。めっちゃ美人!」
力強く言う景都の横で、流石も頷いている。
「あらぁ。嬉しい。さぁさ、奥のお座敷にどうぞ」
「はーい」
入り口から左側にはカウンター席があり、右側にテーブル席が並ぶ。縦長の店舗で、奥には上り口の座敷席が2卓並んでいる。衝立の向こうには手洗いがあった。その奥に2階へ続く階段も見えるが、2階は関係者以外立ち入り禁止だ。
流石と景都が靴を脱いで座敷席に上がると、咲哉がお盆にお手拭きとお冷のコップを乗せてきた。
「ありがとう」
「ふたりとも、食べられないものある?」
と、カウンターの中から秋が聞く。
「ないです!」
「3人とも、お刺身の定食でいいかしら」
「はい!」
「オーケー。ちょっと待っててね」
「はーい」
「なんか、驚くことばっかりだなぁ」
店内を見回しながら景都が言った。「僕、居酒屋って初めて入ったよ」
「俺がふたりの家に行っても驚きが多いんだろうな」
と、咲哉も言っている。
「とりあえず、狭さに驚くんだろうな」
と、流石は、自宅を思い浮かべて溜め息だ。
定食というには豪勢な刺身盛り合わせの夕食にも、驚きを隠さず大いに楽しんだ。
驚き満載の時間はあっという間に過ぎていく。
秋の小料理屋から、朝食用のおにぎりをもらって帰って来ている。
そして、すぐに3人は歯磨きを済ませると、一緒に風呂へ入った。
高級旅館の家族風呂のような広さがあり、3人で入ってものびのびできた。
風呂上がりに咲哉がコンタクトレンズを外すのも、初めて見る流石と景都は、
「目にダイレクトインしてるっ」
と、大騒ぎだ。
「いや、外してるんだけど」
眼鏡をかけながら、咲哉は笑っている。
「咲哉の眼鏡も初めて見たな」
「そうだな」
「小学校の時も、ずっとコンタクトだったんだね」
「うん」
3人は麦茶のコップを持って、2階へ上がった。
一緒に宿題も済ませれば、もうすぐ夜9時になる。
「やっぱ、数学わかんね」
宿題のノートを通学リュックに押し込みながら、流石が大あくびした。
「そろそろ眠くなるか?」
と、咲哉が聞いた。
「ううん、まだぜんぜん」
「そうか。じゃあ本日は、もうひとつイベントがあります」
「イベント?」
「なになに?」
流石と景都が目をパチパチさせる。
咲哉はパソコンの電源を入れた。
カタカタと簡単に操作すると、咲哉は流石と景都をパソコン画面の前に呼んだ。
「ここ、カメラだから」
「カメラ?」
薄暗かった画面が左右2分割され、玄関ホールの写真で見たふたりが映し出された。
「えっ、咲哉パパとママ?」
『えぇっ、お友だちっ?』
画面に映る咲哉の両親が驚きの表情を見せた。咲哉だけ平然と、
「月、水、土曜日はリモートで顔合わせてるんだよ」
と、話した。「父さん、母さん。流石と景都、今週うちに泊まってくれるんだ」
『まぁまぁ、嬉しいわ。変な格好してなくて良かった』
と、咲哉の母、百合恵が言う。
「うん。本当に」
「お邪魔してます! 青森流石です」
と、流石が名乗ると、景都も、
「富山景都です。うちのお母さんが出かけちゃって、流石と一緒にお泊りさせてもらってます」
と、挨拶した。
「北小の元生徒会メンバーのふたりだよ」
と、咲哉も言う。
『小学校の卒業式に会ったわよね。覚えてるわ』
母、百合恵は笑顔の華やかな美人だ。薄い緑色のブラウスを身につけている。
「うん。で、父さんはどうしたの」
百合恵の隣の画面で、父、籐矢が目を潤ませている。
『あっ、ごめんね……咲哉君のお友だちが、うちにお泊りなんて……感動しちゃって』
と、ボロボロと涙を落として泣き出した。
「……」
『パパ、これから午後もお仕事なのに、そんなに泣かないでよ』
と、百合恵が笑っている。
ごそごそとポケットからハンカチを出して、籐矢は目元を押さえた。
『あっ、そうだ。咲哉君たち』
「なに?」
『お父さん、小型通信機器のシステムとか作る仕事をしてるんだけどね。3人とも、トランシーバーとかって興味あるかな。日本で試作品の体験モニターをしてくれる子を探してるんだ』
と、籐矢が泣き顔を上げて言った。百合恵が満面の笑みを見せる。
「トランシーバー?」
流石と景都が首を傾げた。
「なにそれ。体験モニターとか初耳なんだけど」
と、咲哉が言うと、
『だってトランシーバーなんて、ひとりで持ってても仕方ないじゃない?』
と、百合恵が笑う。
「友だち居ないと思われてた」
『そ、そんなこと思ってないよ。ただ、最近の子はスマホがあるし、トランシーバーを共有するほどの仲良しはどうかなって』
「俺ら、スマホ持ってないっす」
と、流石が答えた。景都も頷く。
『あ、じゃあ、後で概要をメールするね。本体も東京支社から送ってもらうから』
「わかった」
『じゃあ3人とも、お泊まり楽しんでね』
百合恵と籐矢が手を振ると、流石と景都も笑顔で手を振り返した。咲哉もついでという様子で手を振っている。
パソコン画面から映像が消えると、咲哉は溜め息を吐き出し、
「うちの両親……こんな感じ」
と、肩を落とした。
「向こうはヨーロッパなんでしょ?」
「うん。向こうは昼間なんだ。昼休みに時間作ってくれてるんだよ」
「めっちゃハイテクだな。いまどきは海外ともテレビ電話できちゃうのか」
と、いまどきの子どもの流石が言っている。
「これなら寂しくないねぇ」
景都がしみじみというので、咲哉は笑って景都の髪を撫でた。
「もう寝ようぜ。くたびれちゃったよ」
「うん」
一緒にトイレも済ませ、クイーンサイズのベッドに潜り込む。
景都を真ん中に、3人は川の字で並んだ。
「お母さんが1週間もいないとか、どうなるかと思ったけど。楽しい」
毛布に包まりながら景都が言う。
部屋の明かりを消し、ベッド横のスタンドライトの淡い光だけを照らしている。
「咲哉の父ちゃんがイギリスってのは聞いてたけど、母ちゃんまで海外とは知らなかったぜ」
と、流石が言った。
「母さんは最近、イタリアに行ってる。ちょっと前まではフランスだったけど」
「あ、お父さんとは別なんだ」
「うん。母さん、じっとしてられないんだよ。日本人なのにヨーロッパのだいたいの国の言葉ベラベラだから、色んな国の通訳とか相談役とか頼まれて飛び回ってるよ。連絡もなしに、いきなり帰って来たりもする」
「すげぇな」
「子どもの頃からそうだったってさ。あれは治らないね」
と、咲哉は苦笑している。
「咲哉パパが、トランシーバーって言ってたね」
と、景都が楽しげに言った。
「ガキの頃、憧れたよ。トランシーバーとか無線機みたいの」
と、流石が言うと、咲哉も、
「朝、寝坊したから先行っててーとか、気楽に伝えられて便利かもな」
と、言う。流石が笑って、
「もうちょっと、夢のある使い方もしようぜ」
と、言うので、咲哉と景都は首を傾げた。
「それって、どんな使い方?」
「んー……尾行とか、捜査とか?」
「探偵みたいだな」
「夢があるだろ」
「そうか?」
咲哉が首を傾げると、景都が楽しげに、
「じゃあ、不思議屋探偵団だね!」
と、力強く命名した。
「不思議屋探偵団?」
「不思議屋、どっから出てきた?」
流石と咲哉に聞かれ、景都は、
「この前、笹雪が僕んちまで迎えに来てね。東区のお総菜屋さんに、稲荷寿司を買いにお使い行って来たんだよ。トランシーバーあったら、ふたりも誘いやすいよね」
と、話した。
「不思議屋のお使いって言うか、笹雪の買い物に付き合った感じか」
と、流石が言っている。
「なんか、笹雪ひとりでは町に出ちゃ駄目って言われてるんだって」
「へー」
「なんかねぇ。これから、不思議屋のお婆ちゃんにお使いとかも色々頼まれそうな気ぃする」
小さなあくびをしながら景都が言う。
「そう言ってたのか?」
「ううん。ただの勘」
「景都の勘は当たりそうだなぁ」
咲哉が、毛布を景都の肩まで掛けてやりながら言った。
「じゃあ、朝寝坊しそうな予感も当たらないように、もう寝よう」
「うん」
目を閉じて景都は、
「咲哉、お泊りさせてくれてありがと。流石も」
と、呟いた。
スタンドライトを消しながら咲哉は、流石と顔を見合わせた。
流石は景都のおでこを撫でてやりながら、
「どういたしまして」
と、答えた。咲哉も、
「俺も楽しいから、またお泊りしようぜ」
と、言った。
景都はすぐに寝息を立て始め、流石と咲哉もすぐに眠りに落ちていた。
冷暖房は無くても心地よい、良い季節だ。
窓は小さめながらも、咲哉の部屋にはまぶしい朝日が差し込んでいる。
香ばしい匂いに景都が目を覚まし、
「あっ、流石、起きて! 咲哉が朝ご飯作ってくれてる!」
と、隣で寝ている流石の肩を揺すった。ベッドに咲哉の姿はない。
「んー……?」
部屋の扉が開いている。廊下を、お掃除ロボットのタンゴが高速で走り去っていく。
パジャマ姿のまま景都と流石が1階へ下りて行くと、すでに制服に着替えた咲哉がエプロン姿でキッチンに立っていた。
眼鏡はしておらず、コンタクトレンズも装着済みのようだ。
「あ、おはよう」
「おはよう、咲哉。朝ご飯、作らしちゃってごめんね。すぐ手伝うから」
と、景都が腕まくりをするが、咲哉は、
「もう出来るからいいよ。ふたりとも顔洗って、学校行く支度しておいで」
と、言った。
寝ぼけ眼の流石は、大あくびをしながら手を振り、洗面所へ向かって行った。
「じゃあ、すぐ着替えて来るね」
と、景都も言うと、流石と一緒に廊下を戻って行った。
朝の身支度も簡単に済む少年たちだ。
制服姿で3人は、ダイニングテーブルに並んで朝ごはんにありついた。
重箱に並んだ秋のお手製おにぎりと、咲哉が用意したスクランブルエッグにベーコンとアスパラガスのソテーだ。
「すげぇ! ベーコン分厚い」
香ばしく焼かれたベーコンに噛り付きながら、流石が言っている。
「流石はタンパク質かなと思って、分厚く切ってみた。ちゃんと中まで火も通ってると思うけど」
「うん。美味い」
「明日は僕が朝ごはん作るね」
と、景都もスクランブルエッグを頬張りながら言う。
「よそんちの台所、使えるのか?」
と、流石に言われ、景都は広々としたキッチンに目を向けた。
「あ、無理かも……」
「いいよ。一緒に作ろう」
と、咲哉が楽しげに言う。
「俺、朝起きるの苦手なんだよな」
流石はおにぎりを手に持ちながらあくびをしている。
「じゃあ流石は明日の朝、ベーコンソテーオンリーな。秋さんのおにぎりは無し」
と、咲哉が言った。
「ベーコンオンリーってめっちゃ贅沢じゃね?」
「あ、でもベーコンひと塊しかねぇや」
「僕、目玉焼き作る!」
「お。いいねぇ」
「あ、急がないと、もうすぐ家を出る時間だぞ」
「あっ、本当だ!」
急いで朝食を平らげると、流石と景都は初めて見る食器洗浄機に食器を突っ込んだ。
留守になる家に、
「いってきまーす」
と、声をかけ、3人は元気よく登校して行った。




