廃墟の晩餐 4
制服姿の3人は、不思議屋奥の喫茶テラスで小腹を満たしていた。
本日のおやつは、手作りプリンとホットココアだ。
「前の、地縛霊を剥がしたカミソリでなんとかできないか」
3個目のプリンを平らげ、流石が言った。
「交通事故のリコちゃん?」
と、聞く景都も、2個目のプリンを食べ終えたところだ。
咲哉はゆっくりと1個目のプリンをスプーンですくいながら、
「引っぺがすカミソリだったっけ。あれは違うんじゃないか」
と、言っている。
老婆は隣のテーブルで、縄の束を持ち上げて見せた。
「あのカミソリでは、今回の霊たちは救えないよ。今回は、これだ」
「ロープ?」
「特殊な編み方の縄だよ。広げると輪になっている。その場に縛り付けられた地縛霊たちの通り道だ」
「地縛霊の通り道……」
「どんな霊でも通れるわけじゃない。この輪は、真の被害者のみを判断して通す。被害者気取りの霊は通れないんだよ」
老婆が言うと、咲哉は頷き、
「それ、いいね」
と、呟いた。景都は少し不安げに、
「罪の意識が大きすぎたみたいな、何かの加害者の霊はいないの?」
と、聞いた。
「おそらく、その場にこの輪が被害者と判断しない者はいないだろう。なんらかの罪を犯していても、被害者が被害者ではなくなるわけじゃないからね」
もう一度、咲哉は頷き、
「死人に口上は無用。こういう不思議道具が、ありのままを判断してくれるのが一番いい」
と、言った。流石も老婆のテーブルに置かれた縄の束を見詰めながら、
「ありのままを判断か」
と、頷いた。
「例えば『いやだ』という言葉でしか意思表示できない霊がいたとするだろう。殺されそうなほど殴られるのは嫌だ、毎日のように偉そうな罵声を浴びせられるのは嫌だという『いやだ』なら、この輪は被害者と判断する。もし、人を殴った事にされるのは嫌だ、暴言を吐いた事にされるのは嫌だという『いやだ』なら、どれだけ他に言い訳を繰り返したところで、この輪は救うべき者とは判断しないんだよ。元々そういう者には、拒否せずに受け入れれば進める道が用意されているからね」
横目で3人を見ながら、老婆は話した。
「この輪は、進む方法がない地縛霊を助けてくれるんだな。どうやって使うんだ?」
「地縛霊たちのいる場所で、流石が輪を広げるんだよ。咲哉は輪に近付かずに、霊たちに輪を通るように話すんだ」
景都が目をパチパチさせ、
「僕は?」
と、聞いた。老婆は、
「留守番だよ。新しい癒しの方法を教えてやる」
と、答えた。
「えっ、いたいのいたいの飛んでけとは別のやつ?」
「おー、特技が増えるな」
と、流石は景都の頭を撫でながら、
「地縛霊たちがいる場所ってどこなんだ? 俺たちも会えるのか?」
と、老婆に聞いた。
「最後の晩餐とやらをしていたのは、霊たちが縛られた場所じゃないんだよ。地縛霊たちの居場所は、実際に死んだ地下室だ」
「地下……」
流石は、咲哉が1階で足元を見ていたのを思い出した。
「……よし、行こう」
緊張の面持ちで、流石は立ち上がった。老婆が差し出す縄の束を片手に掴む。
景都は不安げに、
「……行ってらっしゃい。気を付けてね」
と、呟いた。
「うん。行ってきます」
と、咲哉が優しく言い、景都の髪を撫でた。
不思議屋と旧開発地区、2往復目だ。
高級ハイヤーの紳士運転手は笑顔を変えず、何も不思議がる様子もなく車を走らせる。プロの仕事だ。
先ほどと同じように、ハイヤーは旧開発地区の隅を通る道路から砂利道を進んだ。すぐに廃墟の雑居ビル通りに到着した。
暖かかった昼間より、風が強くなって冷えてきた。
もうすぐ日も傾き始める。
縄の束を小脇に抱えた流石と咲哉は、もう一度、高地ビルに侵入した。
1階フロアのエレベーターや管理人室よりさらに奥まった陰に、地下へ降りる階段があった。上階への階段より暗く狭い。
外の明かりも届かない地下へ降りるため、不思議屋で大きなランタンも借りてある。
「不思議屋だとオイルランタンかと思ったけど、普通に電池のやつだな」
スイッチをオンにすると、暖光色の明かりが周囲に広がった。
「けっこう明るいな」
「うん」
流石の持つランタンの明かりを頼りに、ふたりは狭い地下への階段を下りた。
暑いのか寒いのかわからないような、よどんだ空気が肌に触れる。
砂埃の溜まる廊下に、段ボール箱や錆びたパイプ椅子などが乱雑に残されていた。
廊下の奥には何も見えない暗闇が続くが、咲哉は、
「こっちだ」
と、階段横から廊下を左へ曲がった。
「わかるのか」
「うん。その部屋だ」
咲哉が指差す先に、扉のない出入口がぽっかりと口を開けていた。
目張りされていたらしい扉が、ガムテープの跡を残したまま廊下に横たえられている。ずいぶん前に、廊下側から蝶つがいを切って開けたものらしい。
急に背後から冷たい空気が流れたような気がして、流石は後ろを振り返った。同時に、前にいる咲哉に何かあったらと想像し、すぐに視線を戻した。
咲哉は、暗い部屋の中を見詰めている。
学校のトイレほどの大きさの部屋には、何も置かれていなかった。砂埃が降り積もっているのか、床もまっさらに見えた。
「この部屋か?」
流石は咲哉の肩越しに、ランタンで部屋の中を照らしながら聞いた。
「……」
部屋の中央に練炭を並べ、四方の壁に添って死者たちが横たわっている。
練炭から出たススの色なのか地縛霊特有の色なのか、横たわる死者たちは全身がうっすらと灰色に見えた。咲哉の目に映る、当時の様子だ。
「……俺が見えるって訳じゃなくてさ」
呟き、咲哉が流石の手を掴んだ。
「ん?」
「見えないようにする能力が、俺には欠損してるんじゃないかと思うんだ」
ランタンに照らされた咲哉の表情は、いつも以上に無表情に見えた。
流石はランタンを足元に置き、ポケットから水晶玉を取り出した。しかし、すぐに咲哉の片手が水晶玉を覆った。
「やめとけ。死者たちは壁際に寄りかかってる。部屋の中央に、輪を広げてくれ」
「……おう」
直径2メートルもない、太い縄の輪だ。
暗さに目も慣れてきたので、廊下に置いたランタンの光だけで縄の輪を広げる事ができた。
流石が部屋を出て、
「こんなもんか?」
と、聞くと、咲哉は床をゆっくりと見渡しながら頷いた。
咲哉の目に映る地縛霊たちは、壁際に横たわったまま目を開けていた。
充血した目を見開き、床に広げられた輪を凝視している。
咲哉は静かに、薄灰色の霊たちに語りかけた。
「この輪は、地縛霊の通り道です。ここに入れば、本当の終わりがきます。無理に忘れようとしつづけなくても、全てから離れることができます」
言葉を終えると、霊たちの眼は咲哉に向いていた。
ひとりの女性がむくりと起き上がった。
怖気腰で輪に近付く。覗き込み、そのまま吸い込まれるように頭から輪の中へ落ちていった。
お互いに他の霊を気にする様子はなく、地縛霊たちは次々に起き上がり、立ち上がり、輪の中へ進む。
流石は水晶玉をポケットにしまっていた。
咲哉に『やめとけ』と言われたのもあるが、流石は目に見える咲哉の様子の方が気になった。
倒れそうなら抱き止める。逃げるなら担いで走る。霊の姿は見えなくても、咲哉の様子で判断するべきと思ったのだ。
咲哉はしばらく、輪の左横を見詰めている。いつもの無表情ながら、どこか優しげな視線に見えた。
それでも、顔色は蒼ざめている。その視線が、ゆっくりと輪の中へ移動した。
「……」
咲哉は、小さく息をつき、
「みんな、輪を通っていったよ」
と、呟いた。
「そうか」
「輪を拾って帰ろう」
そう言って、咲哉は足元のランタンを持ち上げた。
流石は床を見回しながら部屋へ入り、縄の輪を拾い上げた。先ほどと変化は感じられない。咲哉は話してくれるだろうか。
縄の輪を軽くまとめて元通りの束にすると、流石は廊下で待つ咲哉に視線を送った。咲哉は小さく頷き、
「埃っぽいな。くしゃみが出そうだ」
と、肩を落とした。
「早く外に出ようぜ」
「うん」
冷たい空気は、いつの間にかモワッとしたカビ臭さに変わっていた。
1階の玄関フロアには夕暮れの日差しが入り込んでいた。まぶしさに目を細めながら、ふたりは窓から抜け出した。
もう二度と、このビルに入り込む事もないだろう。外に出た流石は、すりガラスの窓をしっかりと閉じた。
狭い通路から歩道へ出ると、流石は大きく深呼吸した。咲哉も、ふぅと息をつく。
「……疲れたな」
呟いた咲哉が、ふわりと身を崩した。
「わっ、咲哉っ」
慌てて、流石は咲哉を抱き止めた。ランタンが足元に落ち、カシャンと音をたてる。
ビルの正面で待っていた紳士運転手も、慌てて駆け寄って来た。
「咲哉様」
ぐったりとして、咲哉は気を失ってしまっている。流石は軽く咲哉を抱き上げた。
「俺が車に運ぶんで、ランタン持ってもらって良いっすか? また不思議屋までお願いします」
「かしこまりました」
後部座席を倒し、咲哉を寝かせた。
ハイヤーは夕日に照らされる道を、不思議屋へ向かって走り出した。
夕暮れ時の楓山は、カラスの鳴き声で賑やかだ。
強まる風で木々もざわめいているが、どこかの高原の風景が広がる喫茶テラスはとても静かだった。
不思議な喫茶テラスの奥で、景都は咲哉を抱きしめていた。
昼寝場でクッションに座り込み、眠っている咲哉の耳を自分の心臓にあてている。
景都が抱きしめて心臓の音を聞かせると、疲弊した精神力が回復するのだという。『いたいのいたいの飛んでけ』とは別に、新しく教えてもらった景都の治癒力だ。
咲哉を担いで戻った流石は、景都に話を聞き、目を丸くしたところだ。
「これで良いの?」
表情を曇らせたまま咲哉を抱きしめる景都は、顔を上げて老婆に聞いた。
薬場で薬湯を作りながら老婆は頷いて見せ、
「耳の良い咲哉にはよく効くだろう。自殺者たちが知って欲しがろうと、全部見てやる必要はないものをな。よほど、疲れたんだろうね」
と、話した。流石も肩を落として見せる。景都は、
「……なにが、見えたの?」
と、流石に聞いた。
「俺は見てないんだよ。水晶で見ようとしたら、咲哉がやめとけって」
「ああ。それが正解だ」
薬を混ぜながら、老婆が言う。
「地下で亡くなった人たち、咲哉にはどんな風に見えてたんだろう」
と、景都は咲哉を見詰めて呟いた。流石も咲哉に毛布を被せてやりながら、
「たぶん、死体の様子だけじゃないんだ。ひとりひとり、死を選ぶことになった状況みたいの、誰がどんな気持ちで死を選んだのかを感じ取ってたんじゃないかな」
と、話した。
「……死にたいくらいの状況?」
「自分が見えるわけじゃなくて、見えないようにする能力が欠損してるんじゃないかって言ってた」
「見えないようにする能力……」
「確かに、そういう捉え方もできるね」
そう言って、薬湯を入れた湯飲み茶碗を片手に、老婆が昼寝場に歩み寄った。
景都の腕の中、咲哉が薄目を開けた。
「……景都? あぁ、不思議屋に帰って来たのか」
「咲哉、目が覚めた? 大丈夫?」
不安げに聞く景都に、咲哉はゆっくりと起き上がりながら薄い笑みを見せた。
「うん。なんか体が楽だ。何かしてくれたのか?」
「新しい治癒力? お婆ちゃんに教えてもらったの」
「へー。それは凄いな……あ、流石。俺、いつから寝てた? ここまで運んでくれたんだよな」
「ビルを出たところだよ。まだ車は外で待っててもらってるんだけど」
と、流石は答えた。
「ほら。これ飲んで、今日はもうお帰り」
と、老婆は咲哉に湯飲み茶碗を差し出した。咲哉は両手で受け取りながら、
「あー、あの苦い薬湯……」
苦笑して、ぐっと飲み干した。
「上高地先輩とかビルとか、解決したの? パーティーはもう開かれないの?」
と、景都が聞く。老婆は、
「もう、パーティーしていた霊たちはあの世へ逝けたよ」
と、言った。飲み干した湯飲みを見下ろし、咲哉は、
「俺には、上の階でパーティーしてたって方が信じにくい。確かに、その場所の記憶も残ってはいたんだろうけど、先輩を連れてこうとするような強い意志みたいなもの、上からは感じなかった」
と、話した。
「パーティーが最後の楽しい時間だろうと、自ら死を選ぶほどの理由の方が、死者たちにとっては強い記憶だったんだろう。時が経って消えそうになる、数少ない楽しい時間を残しておこうと、入り込んで来た子どもを使っていたんだろうね」
「それが上高地先輩だったってことか」
流石が聞くと、老婆は深く頷いた。
「じゃあ松本も、もう大丈夫なんだよね?」
「厄介な体質は、どうにもなってないだろうがねぇ」
老婆が、クックッと笑う。
3人は顔を見合わせていた。
自殺や廃墟侵入という内容ですが、それらの行為を容認・推奨するものではありません。




