香梨寺 1
今回はホラー要素が少なめです。
青森流石、富山景都、栃木咲哉たち3人の家の近くに、香梨寺という寺がある。
3人が6年生の時、住職の息子が小学校へ教育実習に来ていたのだ。
住職の息子、山梨栽太はその後、教師になる事なく寺で働いているという。
大きくも小さくもなく、古くも新しくもない。
田舎町にも背景の山や竹藪にもよく似合う、ごく普通の質素な寺だ。
きらびやかな装飾は見当たらないものの、静かで手入れの行き届いた香梨寺は厳かな空気を感じる場所だった。
周囲に広がる竹藪の笹が、風にサラサラと優しい音を鳴らしている。
山梨栽太は、竹箒で境内の掃除をしていた。
この季節は散った桜の花びらが大量に集まる。門の両脇にも、裏手の駐車場にも大きな山桜の木がある。葉桜になりかけてはいるものの、まだ花の残る枝も多い。もう少し花びら掃除も続きそうだ。
「あっ、ナッシーいた!」
「ナッシー!」
「まだ毛がある」
門の方向から、元気な声が聞こえた。
「ん?」
学ラン姿で駆けて来る流石と景都の後ろを、トコトコと早歩きで咲哉もついて来る。
「ナッシー、久しぶり!」
「おー、お前らか。ちゃんと中学に上がれたんだなぁ」
竹箒を小脇に抱え、山梨は突進してくる流石と景都の頭をわしゃわしゃ撫でてやった。
あまり体力のない咲哉も息を切らせながら追い着くと、山梨の頭を見上げた。
「まだ毛があるんだね。いつ無くなるの?」
「……まだ無くならないよ」
「作務衣、似合ってる」
青色の作務衣だ。草履履きの寺男姿だが、短い黒髪は健在だ。
「制服見せに来たんだぜ!」
と、流石が言うと、景都と咲哉も並んで新品の学ランを見せた。
「お前らも中学かぁ。早いなぁ」
「いろんな人に見せに行ってるんだよ。北小の先生たちにも見せに行ったし、新しい生徒会のとこにも行って来たんだー」
と、景都は学ランを着ていなければ女の子と間違えそうな、可愛らしい笑顔で言う。
「北小の先生に、ナッシーが学校の先生にならないで、実家の寺で働いてるって聞いたから見物に来た」
と、咲哉は、山梨の寺男姿の全身を眺めながら言っている。
「おー、そうかそうか。麦茶でも飲むか?」
山梨は竹箒と塵取りを抱えて、3人に手招きした。
本堂の横には大きなスズカケノキがあり、その向こうに住職一家の住む母屋がある。
母屋の横手、境内を見渡せる廊下に上がり口が見える。
3人は廊下の上がり口に並んで腰掛けた。
山梨が出してくれた温かい麦茶を飲みながら、3人は『願いを叶えてくれる』という都市伝説(村伝説)の不思議屋の話をした。
「3人とも同じクラスになったのか。不思議屋、すごいなぁ」
と、山梨は目を丸くした。
「9百円で、お願いを叶えてくれたんだよ」
と、景都が目をキラキラさせながら言う。
「いや、3万9百15円だったかも知れないぞ」
流石が悪戯っ子のような笑みで言うと、ゆっくりと咲哉がそっぽを向いた。
「……」
「なになに?」
景都が流石と咲哉を交互に見る。
「俺たち不思議屋に行く前にも、ここに来てお願いしただろ。5円ずつ賽銭箱に入れてさ。その時に、俺たちが目をつぶってお願いし始めてから、咲哉がポケットから3万出して賽銭箱に入れてたんだ」
と、流石が言った。
「見てたのか」
「3万円も!」
「マジかお前」
と、山梨はもう一度、目を丸くした。
「賽銭なんかは多い方がいいと思って。畳んだまま入れたのに、よく3万ってわかったな」
と、咲哉は無表情に言う。
「俺、目は良いんだぜ」
「咲哉はお金持ちだなぁ」
「まぁね」
「それ、お年玉全部とかなんじゃないの?」
麦茶の湯飲み茶碗を両手で持ちながら、景都が聞く。
「中学からは毎月、小遣い3万になったんだ」
咲哉が平然と答えるので、流石と景都も目を丸くしている。
「本当に金持ちだったのか……」
「僕は3千円だよ。お母さんのお手伝いしたら余分にもらえるけど」
「あ、俺も3千。食い物代は別にもらえるけど」
景都と流石が言うと、咲哉は薄く笑い、
「お手伝いしたら小遣いって楽しそうだな」
と、言った。
「咲哉んちは、そういうのしないの?」
「しないなぁ。あぁ、でも俺も食費とかは別だな。いくらでも食えって言われる」
「咲哉、痩せすぎだもん」
「確かに。ちゃんと食ってるか?」
山梨は咲哉の背中を撫でてみる。
「不思議屋かぁ。うちの親父も行ったことあるって言ってたよ。その時は『願いが叶う』じゃなくて『困り事を解決する』とかだったけどなぁ。まぁ、似たようなもんか」
「ナッシーのお父さんって、ここの住職?」
「うん」
「へー。やっぱ村の都市伝説って昔からあるんだな」
納得するように流石が頷いている。
「でもさぁ。ナッシー、北小に『先生の卵』って言って教育実習に来てたじゃん。てっきり学校の先生になるんだと思ってたのに」
と、景都が言う。
「公務員試験に受からなかったんじゃないか」
などと、咲哉が言うので、山梨は咲哉の頭をポンポン撫でながら、
「受かったよっ、筆記の一次試験は。途中で辞退したんだよ」
と、答えた。
「えー、なんで?」
と、流石が聞き返す。
「実はさ」
と、山梨は苦笑しながら話し始めた。
「俺はこの寺の次男でさ。長男の兄貴が寺を継ぐはずだったんだけど、ずっと嫌がってたんだよな。でさ、親父がうるさく言うもんだから、家を出て行っちゃったんだよ。兄貴がそんなに嫌なら、別に俺が継いだっていいんだ。そうすれば、帰って来るかと思ってさ」
「帰って来てねぇの?」
と、流石が聞くと、山梨は頷いた。
「もう、一年くらい連絡取れないんだ」
「連絡も取れないの? 失踪届けとかは?」
と、咲哉も聞く。
「いや、昔からふらっと出かけて、しばらく帰って来ないことあったからさ」
「プチ家出みたいな?」
「放浪癖のある人なのか」
景都と咲哉が言うと、流石はポンと膝を叩いた。
「また不思議屋に行ってみるか」
「あっ、そうだね」
「ナッシーの兄貴の名前は?」
流石に聞かれ、
「果絲だよ」
と、山梨は答えた。
「かいとさん。飛んでっちゃいそうな名前だよぉ」
と、景都が言っている。
「じゃあ、人探しだな。不思議屋の婆さんに頼んでみようぜ」
「いいね」
そういう事になった。
冷涼な地域の山々も新緑の季節を迎えている。
楓山の砂利道に生える雑草も、元気に復活していた。
初めて来た時と同様、先頭の流石が草を踏みしめながら進み、景都が咲哉の手を引っ張って山道を登った。
息を切らせているのは体力のない咲哉だけだ。元気あふれる流石と景都は、山道を登りきると不思議屋に駆け寄った。
「あれ、お品書きが変わってる」
店の外壁に下げられた品書き札が『占い』の1枚だけになっている。
「今日は占いだけってことか?」
「人探しは占いに入るのかな」
と、流石と景都が首を傾げているところへ、やっと咲哉が追い付いた。
「咲哉、大丈夫か」
流石に聞かれ、咲哉は息を整えながら親指を立ててグッドサインを見せた。
夕方というにはまだ早い、午後の日差しに包まれている。
流石を先頭に、咲哉の手を引く景都も続いて不思議屋の暖簾をくぐった。
薄暗い店の中は、以前に来た時よりも重苦しく感じた。
戸の開け放たれた入り口には暖簾の隙間もあるが、不思議と明かりは差し込まない。しかし店の中には、ランプも灯篭のようなものも灯っていた。
店の奥。番台のような高さのある囲み机の中に、置物のような老婆が座っていた。
「よく来たな」
と、迎えたのは、囲み机にお座りしている白狐の笹雪だ。
「なあ、婆さん」
流石が歩み寄りながら声をかけると、
「人探しだね」
と、老婆は顔も上げずに言った。
囲み机の中で水の張られた金属の皿、水盆を見下ろしている。
「お、おう」
「お前たち、家出したいと言っていたクラスメートが姿を消したらどうする」
「探すよ。そいつが行きそうな所とか、他の友だちの家に隠れてるんじゃないかとかさ」
流石が答えると、老婆は横目でちらりと3人を見た。
「それなら、お前たち3人の内、誰かひとりが突然姿を消したらどうする」
「……そりゃ、なんかあっただろうと思うよな」
「うん……」
顔を見合わせる流石と景都の横で、咲哉が、
「あ、そうか! 警察には届けられてないんだ」
と、声を上げた。
「どういうことだ?」
「失踪とかプチ家出とは限らないんだよ。べつに荷物を持って出かけたのを見てる訳でもないし、探さないで下さいなんて手紙があった訳でもない」
と、咲哉が話す。
「でも、だとしたら、どこ行っちまったんだ?」
「……」
「家出するつもりもない者が突然姿を消したのなら、普段の生活の中で何かあった事になるだろう」
水盆に視線を戻し、老婆は静かに言った。
咲哉だけが老婆の言おうとしていることを察していた。少々蒼ざめながら、
「それって、近くで事故かなにかに遭ってるって事じゃないのか」
と、呟いた。
「えっ、そんな――」
老婆は無表情に一言、
「寺の山裏を探してごらん」
と、言った。
3人は顔を見合わせ、流石を先頭に無言で駆け出した。
楓山から香梨寺まで走り続け、流石だけ一足先に到着した。
道の向こうから、景都と咲哉も足早にやって来る。
体力お化けの流石は息も切らせず、香梨寺の敷地内を見回した。『寺の山裏』という場所を探す。
もう境内に山梨の姿はない。
風もなくなり、笹の葉の音も静かだ。
本堂の裏手に、母屋の奥へ続く通路があった。
流石は、やっと門をくぐって来た景都と咲哉を、手招きして呼んだ。
香梨寺の後ろに見えていた山は、寺の裏から少し離れているようだった。寺の裏側は谷のように低くなっていて、下まで続く竹藪が見下ろせた。
「婆さんが言ってた山裏って、この下の方の事かな」
と、流石は、足元に広がる竹藪を指差した。
「向こうから降りられそうだな」
住職一家の住居のさらに裏手。古い井戸や物置はあるものの雑草だらけだ。
かろうじて通路とわかる泥の道を下りて行くと、少し低い位置に小さな畑があった。しおれた白菜や咲き終えてタネになった菜の花が放置されている。そのさらに先には、山裏の竹藪へ降りる土の階段が続いていた。
「なんか荒れ放題だな。泥の階段、すべるなよ」
「ヘビが出そうだよぅ」
いくら動物好きでも、ヘビやハチなどの毒虫は景都も怖がる。
「爺さんの住職とナッシーだけじゃ、寺の方だけで手いっぱいなんだろうな」
足元と周囲にも目を向けながら咲哉が言う。
3人は階段を降りきると、元々は通路だったであろう草の道を進んだ。
「本当にヘビでも出てきそうだな」
「足元も気をつけろよ」
そう言ったあとは、無言で藪を分けて進んだ。
枯れた竹や折れて倒れかけた木も放置されている。
すぐ横の茂みから、カラスがバサバサっと飛び出した。
「ひゃあっ」
流石と咲哉のうしろについて来ていた景都が、尻もちをついた。
「大丈夫か」
「景都、立てるか?」
「う、うん」
飛び上がったカラスが、バサバサと枝葉を揺らしている。
そして、それを見上げた景都は、見付けてしまったのだ。
「きゃあぁ――っ!」
「景都っ?」
「どうしたっ」
草の上に尻もちをついたまま、宙を見上げてガタガタ震えだした。
流石と咲哉も景都の見上げる方向に目を向けた。
「あ、あれ……」
景都が震える手で指差すのは、斜めに倒れかかった古木の向こう。
乱雑に伸びる青竹の一本になにか、黒い塊がまとわりついている。
よく見ればそれは、青竹に貫かれた作務衣姿の骸骨だった。
流石と咲哉も目を見張った。
「……ナッシーの兄ちゃんか」
「うわぁぁんっ」
泣き出す景都を、流石がぎゅっと抱きしめた。
咲哉はポケットからスマホを取りだしたが、圏外の表示だ。
「圏外だ。戻るか……」
来た道を知らせに戻ろうかと咲哉が振り返った時、ガサガサと足音が近付いてきた。
景都の悲鳴を聞き付けて、山梨と住職がやって来たのだ。
山梨は先ほどと同じ青色の作務衣、坊主頭の住職は灰色の作務衣を身につけている。
「どうしたんだ、景都?」
「ナッシー、あそこ」
咲哉が指差す先を見上げた山梨と住職も息を飲んだ。
「たぶん、遺体の下から竹の子が伸びたんだ」
と、咲哉が低い声で言う。
「は、早く下ろしてあげようよ」
泣きながら景都が呟くが、住職が、
「いや、だめだ」
と、言った。咲哉も頷きながら、
「遺体は、勝手に下ろしちゃだめだ。先に警察を呼ばないと」
「……110番してくる」
愕然と見上げる住職を残し、山梨が駆け戻って行った。
「近くにおったのか……」
呟く住職の言葉に、流石の目にも涙が浮いた。
不思議屋の老婆の言葉で、予想はしていた。
しかし、いざ本当に『知人の身内の死』を目の当たりにすると、どうしていいのかわからない。
勝手に溢れだす涙をそのままに流石は、泣きじゃくる景都をギュッと抱きしめていた。