不思議屋 2
北小学校の生徒会室は、西日が差し込んで橙色に照らされていた。
生徒会メンバーもすでに代替わりし、元生徒会長の青森流石は窓から校庭を眺めていた。
元生徒会書記の富山景都も窓の近くのパイプ椅子に座り、ぼんやりと生徒会室の天井を眺めている。
西日を眩しそうに元生徒会副会長の栃木咲哉は、奥まった位置でパイプ椅子に座り、落書きだらけのホワイトボードを眺めていた。
なんだかわからない書類やファイルの詰まった棚が壁際に並び、ささくれ立った長机にパイプ椅子を並べている。形ばかりの小さな生徒会室だ。
「短かったな。生徒会」
流石がぽつりと呟いた。
「うん」
景都も頷きながら、流石と並んで窓の外を眺めた。
咲哉は長机に頬杖をつきながら、夕日を浴びるふたりを眺め、
「あっという間だったな」
と、言った。
「生徒会で、俺たちまだ知り合ったばっかじゃんか」
「うん。もっと一緒に遊びたい」
流石と景都が窓の外を見下ろすと、校庭で高学年の生徒たちのサッカー教室が行われていた。
鉄棒や、うんていなどの固定遊具で遊ぶ生徒たちの姿も見える。
「でも、中学は1年生だけで9クラスもあるマンモス校だ」
西日の当たらない棚の陰に座る咲哉が、流石と景都を眺めながら言った。
「北小なんか3クラスしかないのに、僕たちバラバラのクラスだもんね」
と、景都も呟いた。
「……」
「……」
「だけど、なんでも願いが叶うって噂の不思議屋も本当にあったんだ。俺たちの願いは叶うって信じようぜ」
流石が力強く言うと、景都と咲哉はしっかりと頷いた。
街の駅には新幹線もとまり、私鉄が走り路線バスも幾重に広がっている。
しかし、街の駅から離れるほど、昔ながらの田舎の町並みになっていく。
過疎化をまぬがれるため、小さな村や町を合併した『四季深市』が誕生したのは約二十年前。村や町を隔てる山や森は開発され、道路や施設も整備された。
合併都市開発の一環として、閉校に追いやられそうだった学校をまとめて、大きな中学校が建てられたのだ。
緊張の時が来た。
本日は、四季深市立中央中学校の入学式だ。
小学校を無事に卒業した流石、景都、咲哉の3人は、おろしたての学ランに身を包み、中学校の入学式へやって来た。
北小学校と違い、真新しい大きな校舎に広々とした校庭。
校門横に植えられた桜もまだ若木だ。細枝に残る桜の花びらが、風にひらひらと舞っていた。
白く艶やかな校舎中央の昇降口に、人だかりが出来ている。
昇降口前の広場に、新入生のクラス分けが貼り出されていた。
大きな紙に担任名と生徒の名前がずらりと印字され、9台のホワイトボードに貼り出されている。
「この中から探すのかよ。アナログだなぁ」
と、溜め息をつく咲哉に、
「名前の順になってるから、そんなに大変じゃないだろ」
と、流石が言う。
「1組には僕たちの名前、無いみたい」
早々に1組の生徒名に目を通した景都が、流石と咲哉の袖を引っ張った。
「あ、俺2組だ」
相沢、青島の次に青森流石の名前があった。
「……俺も」
「僕も!」
男子の名前の中ほどに、栃木咲哉と富山景都の名前も並んでいた。
「不思議屋、噂通りだったな!」
力強く言い、流石が景都と咲哉の手を握った。
「マジか……すごいな」
「担任の先生が女の先生って言うのも、たぶん当たってるよ。香川茉莉先生だって」
丸い目をキラキラさせ、景都が言う。
「あとは、Eカップかどうかか」
などと、咲哉も言っている。
『まもなく入学式が始まります。新入生の皆さんは、クラスを確認したら体育館へ集合してください』
校庭のスピーカーから、女性教師の声が言った。
「やったな。楽しくなってきた」
「うん」
「びっくりだ」
流石、景都、咲哉の3人は、もう一度クラス発表に目を向けてから、体育館へ足を進めた。
焼き菓子の甘い香りが漂っている。
流石、景都、咲哉の3人は制服姿のまま、不思議屋へやって来た。
薄暗い不思議屋の店内。3人の学ラン姿に、老婆は噴き出して笑っている。
「制服に着られてるって、さんざん言われたよ」
と、流石が口を尖らせている。
長い袖と裾を内側に折り上げた縫い目の見える景都も、だぶだぶの袖を揺すって、
「僕なんか、すぐに大きくなるってみんなに励まされたよ」
と、肩を落としている。
「女子のスカートは腰で折り上げて調節できるから良いよな」
と、言っている咲哉はひとり、サイズの合った学ランをしっかりと着こなしていた。
「婆さん。俺たち、同じクラスになったぜ」
流石が言うと、老婆はニンマリと笑った。
チンっと店の奥から、返事をするようにオーブンの音が鳴った。
「ガレットが焼けたよ。奥にお上がり」
入り口側からは陰になり気付かなかったが、囲み机の向こうに小さな木戸があった。
「こんな所にドアがあったのか」
囲み机から降りた老婆は、
「お入り」
と、木戸を開けて入って行った。
香ばしい焼き菓子の匂いをクンクンしながら、
「ガレットってなに?」
と、景都が聞いた。
「クッキーの分厚いやつみたいのじゃないか」
と、咲哉が答える。
「クッキー! お腹空いてきた!」
流石、景都、咲哉は順に木戸を通った。
木戸の奥の部屋は、席数の少ない喫茶店のような造りだった。
落ち着いたえんじ色の壁紙に、窓には白いカーテン。
広々とした部屋の奥など、ガラス張りの洋風テラスになっている。
3人は横に並んで、ぽかんと口を開けていた。
「わぁ、キレイだね。どこかの喫茶店みたい!」
と、最初に感想を述べたのは景都だ。
「へぇー、奥はこうなってたのかぁ」
と、流石もテラスを見回しながら入って行くが、咲哉はつっこまずにいられない。
「いやいや、なってなかっただろ。よく見ろよ、窓の外。どう見ても楓山の風景じゃないだろ。どこの高原だよ」
窓の外には、なだらかな丘が見える。青々とした草木が風になびいていた。
「そう言やそうだな」
「窓を開けるんじゃないよ。外がこことは限らないからね」
大皿に焼きたてのガレットを持って来た老婆は、そう言ってクックッと笑った。
「なにそれ、どうなってるの……」
「不思議屋に来て、なにをまともな事なんか言ってるんだい。早くお座り」
と、部屋の中央のテーブルにガレットの大皿を置く。
「それもそうだな」
「うんうん、すごくいい匂いだよ」
「……まぁ、そうだな」
そういう事にした。
清潔な白いテーブルクロスに、青い花柄のティーセットが並んでいる。ご丁寧におしぼりやナプキンも3人分の席にセットされていた。
3人が素直に腰掛け、おしぼりで手を拭いていると、老婆はティーポットからカップに紅茶を注いだ。
目の前に置かれた紅茶の香りに、
「変わった香りだね」
と、咲哉が聞いた。
「これでもベースはダージリンだよ。適当なブレンドに桜葉を混ぜてある。いい季節だからね」
「桜か。いいね」
「いただきまーす!」
3人は、大皿の熱々ガレットにも手を伸ばした。
「美味しい! なんだっけ、ガレット? お母さんに言ったら作ってくれるかな」
と、景都は目をキラキラさせている。咲哉は目を丸くし、
「いや、これすごく良いバター使ってるよ。そこらのスーパーじゃ材料を買えないんじゃないか」
と、言っている。
老婆は隣のテーブルの椅子に腰かけ、
「バターも手作りだよ」
と、言った。
「えっ、自家製バターなの?」
もぐもぐと頬張る流石と景都が、ふたつめ、みっつめと口へ運んでいく様子を見ながら咲哉は、
「いくら取るつもりだよ」
と、聞いた。
「菓子作りは趣味だから代金はいらないよ。作っても食う者がいなきゃ菓子が可哀想だろう?」
「俺たちが来るのわかってたから作ったのか?」
と、流石が聞いた。
「小気味いい食いっぷりだね」
老婆は、しわだらけの口元で余計にしわを刻んで笑った。
テラスのガラス窓から、暖かい午後の日差しが入り込んでいる。
ガレットを平らげたテーブルに、白狐がポンと飛び乗った。
すぐに景都が、ふわふわな毛を撫でている。
「制服に毛が付くぞ」
と、今日も白狐は小さな口で言葉を話した。
「やだやだ、抱っこしてよぅ」
「抱っこさせてだろ」
「えへへ、そうだった。ねぇねぇ、名前は?」
景都の腕の中に抱かれながら白狐は、
「笹雪だ」
と、答えた。白狐という生き物で、笹雪という名前のようだ。
紅茶のお代わりを飲みながら、流石が、
「本当に3人同じクラスになっちまうなんて、すごいよな。9分の1だぜ」
と、言った。
その隣で何度も頷く景都と、大きく頷いている流石を交互に見て、咲哉は、
「9クラスの内の1クラスに3人が揃う確率の事を言ってるなら、9分の1じゃないよ」
と、言った。
目をパチパチして首を傾げる流石と景都に、咲哉は指を立てて説明しようと口を開きかけたが、
「いや、説明面倒臭いな。これから中学の数学で習うよ。3人別々になるか、ふたりが一緒でひとりだけ別のクラスになるとか、全部の可能性を数えたら9クラス分だけじゃない数になるだろ」
と、話した。
「そ、そっか……自分だけ別のクラスって事もあり得たんだ」
と、改めて蒼ざめるふたりに咲哉は薄く笑みを見せ、
「9百円は安かったな」
と、言った。
「9百万払うかい」
などと、老婆が笑う。
ぎょっとする流石と景都を横目に、
「払うわけないだろ。でも、店の前の草むしりくらいはしてやっても良いよ」
と、言って、咲哉は上品にティーカップを口へ運んだ。
流石と景都がキラリと目を光らせる。
「なあ、婆さん。また遊びに来て良いか?」
流石が言った。老婆は目を細め、
「好きにしな」
そう言って、ククッと笑った。
「やったーっ!」
流石と景都が元気に万歳し、ワンテンポ遅れて咲哉も万歳した。
中学校から雑木林を抜ける、楓山への近道も見つけている。
3人は中学校で同じクラスになり、小学校の生徒会室に次ぐ溜まり場も見付けたのだ。