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次の日の朝、僕は久しぶりに自発的に起きた。
瞼が重たく、半開きな状態だ。
「こら、晴翔! 早く起きなさい! って、あら。起きてるじゃない」
「起きてるよ。これが夢の中じゃなかったらね」
「何馬鹿なこと言ってるのよ。ほら、さっさと降りて来なさい」
「はーい」
いつも起こしに来る母さんが肩透かしを食らった様に一階に降りて行った。
まったく、早起きして偉いねの一言もないのかよ。
まあ別にそんな年頃じゃないから良いんだけどさ。
部屋着から制服に着替えて、ついでに鞄の中身の入れ替えも行う。と言っても、基本的に家で勉強しない僕が入れ替えるのはラノベなのだが。
昨日で十一巻を読み終えたので、続けて十二巻と十三巻を入れる。
ついでに沢田さんから返された一巻を本棚のもとある場所に戻して、二巻を入れた。
中に入っている本の数は変わらないのに、何故か少しだけ鞄が重たく感じた。
母さんから弁当を受け取り、家を出た。
自発的に起きたせいもあって、いつもより早めに家を出てしまった。
気温もいつもより低い気もするし、人通りも少ない。雀の鳴き声も聞こえず、煩いカラスも群れていなかった。
自分で起きた朝は昨日よりも気持ちがよかった。
足取りが軽く、教室までたどり着く。
いつもよりも三十分も早く来てしまった。
そのせいか沢田さんはまだ来ていなかった。
まあ、俺が早過ぎただけだし仕方がない事だ。
自分の机の上に沢田さんのために持って来た、『ダンまち』の二巻を用意して、自分用の十一巻を読み始める。
そして三十分後。
いつも僕が来ている時間になっても、沢田さんは来なかった。
いつもよりも教室が広く感じる。
時計の音ってこんなに大きかったかな。
チクタクと小刻みに時計の針が動く。
その度にチッ、チッと音が鳴る。
嫌でもこの教室には僕しかいないんだって分かる。
それが嫌で僕はイヤホンをして、時計の音を聴かない様にした。
それからかなり時間が経って、時計を見るとまだ十分しか時間は経っていなかった。
いつもよりも時間が経つのが遅い気がする。
いや、実際に遅く感じていた。
『ダンまち』を読んでいても、集中し切れていない自覚があった。
沢田さんはまだ来ない。
まだ、と言うよりも、多分だけどずっと来ない。
僕は浮かれていたんだ。
沢田さんくらい美人な人と約束が出来て、また明日も会えると思ってしまった。
僕はただの日陰者。
対して沢田さんは太陽だ。
本来なら、会うはずと話す事も無かった存在だ。
期待してしまったんだ。
また沢田さんと話せると。また会えると。
沢田さんにとっては、ずっとレギュラーバーグを食べていたけどたまにはチーズバーグを食べてみよう的な、そんな軽い気持ちで僕と話したんだ。
『ダンまち』を面白いと言ったのも、続きが読みたいと言ったのも、また明日と約束をしたのも、全部。全部。全部。
隠キャの僕には一生楽しめないくらい、とても楽しい悠久のひと時だった。
だから悲しく無いんだ。寂しくも無い。
沢田さんの付箋だらけの辞書だって、沢田さんの照れ臭そうな笑顔だって、沢田さんと交わした約束だって。
忘れられていくんだ。
この気持ちだって、いつか忘れ去られてーーーー。
「ごめーん! 寝坊して遅くなっちゃった!」
怖いくらい静かだった教室の扉が開かれて、大きな声が響いた。
沢田さんは、来た。
大きな声で謝りながら、隣の席に腰を下ろす。
「ごめんね、寝坊しちゃって」
「い、いや、大丈夫」
「えへへ。ありがと」
こんな時でもぶっきらぼうな言葉しか自分を恨めしく思いながらも、沢田さんがはにかみ笑う姿に見惚れた。
こんなに見つめていたら気持ち悪がられると焦って、すぐに鞄から『ダンまち』の二巻を取り出した。
「あっ、持って来てくれたんだ。ありがと」
手渡すと嬉しそうに感謝された。
僕も嬉しい。
「主人公が可愛いよね〜、まだ子供っぽくて。でも、いざって言う時に頼りになるし」
と言って、沢田さんは『ダンまち』の主人公について語る。
確かにあの主人公は情けなくて、でも頼りになる少年だ。
嬉々として語る沢田さんの推しは彼になったかもしれない。
ああ、もう隠せないよ。
隠キャが恋をするとどうなるかなんて分かっているのに、この気持ちにも、胸の高鳴りにも目を背けられない。
僕はギャルに恋をしてしまった。
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