第7話「デート」
デート回です。そのまんまですね
次の日。
ネコは朝食を済ませると、いつも通り化粧を行い、ベージュの襟がレースになったカットソーにカミツレの制服と似たデザインのハイウェストスカートをチョイス。肌寒くてもいいように黒のショールを羽織って出掛けた。
実家に帰るのにかかった時間の半分ほどかけて、ある大きな病院へと赴く。
そこの入院患者にネコの祖父、有坂隆臣がいる。
病床の上で身体を横にして窓を眺めるその老人は、齢が70を越えてなおも若々しく活気に溢れた眼差しをしていて、ベッドで横になっているのが似合わない。そう思わせる人物だった。
彼は、ネコの姿を見ると一瞬驚き、すぐニカッと笑う。
「おう、ネコか。一瞬、どこの美女がやってきたのかと思ったぞ」
「おばあちゃんに怒られるよ。久しぶり」
「ああ、久しぶりだな。2年前にリヴァルツァへ遊びに行った日以来だ」
「これ、お土産のプラモデル」
そう言って、ネコは戦車のイラストとM46パトリツィアと書かれたプラモデルを渡す。
受け取った隆臣は目を細めると、にやりと笑いながら箱を開けて中身を検める。
「ほほう、俺の親父様がグランタニアで作ってた奴だな。お前にもよく話したよなぁ」
「胃の調子は大丈夫なの?」
「あぁ……大好きだったリヴァルツァのキングバーガーはもう二度と食べられないかもしれないが、まぁ命に比べたらな」
そういって、彼は腹をさする。
隆臣は社長職を辞して以来、リヴァルツァ合衆国に伯母と住むネコを訪問しては有坂家の歴代長男の話をし、またミリタリーの知識を授けたのも彼だ。
今のネコを形成した人物の一人と言っても過言ではない。
「最近はどうだ」
「笑わない?」
「善処はする」
「女の子のフリをして、カミツレ女子に通ってる」
彼は飲もうとした水を盛大に噴き出した。
「凄いな、確かにお前はその気になったら下手な女よりも美人だからな! うわっはっはっはっ!」
「もう、笑わないって言ったじゃん」
「善処はしたんだ。けれど耐えれなかったんだ」
彼は水を飲みなおし、咳払いをする。
「それで? カミツレというとミーティアか。着けるのは久しぶりなんだろう?」
「うん。だけど問題無し。むしろ上級生よりも上手く扱えてるって褒められた」
「なんと言っても有坂家の長男だからな」
その後も、世間話は続く。
伯母の真子は元気していたか? とか、ガールフレンドはできたか? 学校では友達ができたか? いじめなんか受けていないか?
そんな些細なことばかりだが、隆臣が体調を崩してから2年もの間、待ち望んでいた時間でもある。
やがて、いつになく隆臣は真剣な表情になって神妙な声色になる。
「なぁ、ネコよ」
「うん、なぁに?」
「急がなくていいが、恋をしろよ」
「恋?」
「ああ。恋は人を変える。俺の親父、ネコにとって曾爺さんはそれで有坂重工を立ち上げた。曾爺さんとの差で悩んでた俺を救ってくれたのも婆さんだった。そして隆文。お前の親父もだ」
「父さんが?」
「アイツはずっと好きな物を作って遊ぶ、それしか考えられないで、あまり誰かに寄り添うような奴じゃなかった。けれど、お前のお母さんと出会いを経て、人を想うという事を初めて知ったんだ。今は、アイツも試練の時だが……」
ネコは、喉の奥がきゅっと乾くような気がした。
父さんは、今も母さんのことが好きなのだろうか。
そんな事を考えていると、隆臣はネコの肩に優しく手を乗せた。
「そして次はお前だ、ネコ。一人でも良い、心の底から人を愛し、人を想いなさい。それはお前の糧になるはずだ。だけれど、糧にしようと恋に恋する事だけはやめるんだぞ。それは愛とは言わない」
「恋に恋する?」
「ああ。目的と手段が入れ替わってしまった奴のことだ。人を愛するのは飽くまでも手段だという事を忘れるなよ」
「覚えておくよ……じゃあ、今日はもう帰るね」
「おう、気を付けて帰れよ」
「また近い内に来るから」
「ハッ。年頃のガキがジジイのところに顔を出すのなんてのはな、プレゼントとお年玉をねだる時だけでいいんだ。貴重な時間は同じ年頃の奴らに使ってやれ」
「わかったよ、じゃあね」
ロビーにて自販機から飲み物を買って休憩していると、ネコは予想外の人物を目にする。
ぼさぼさのボブカットで貧相な身体に眼鏡、微妙な柄のパーカーと色の抜けたジーパン。
佐藤加奈その人だ。
「やぁ、佳奈? 奇遇だね!」
「なんだこの美人っ!? ってネコくんか! 私に声をかける美人がそうそう居てたまるかってね! ――って、なんでネコくんがここに!?」
「それはこっちのセリフだよ。帰り? それなら一緒にどこかでお昼ご飯を食べよ?」
「えっと、席代……要りますか?」
「いつも一緒に食堂で食べてるじゃん!」
場所は近場のバーガーショップに決まった。
ネコの姿はどこでも目を引いて、佳奈は一緒にこんな場所へ連れてきた事にいたたまれない気持ちになっていた。
「私、こういうところしか知らなくて……」
「いいよいいよ、こっちの方がボクも楽だし」
そういって、ネコは適当なセットメニューを選ぶ。
対する佳奈は最安値の単品メニューを数点と水という徹底的なコストパフォーマンス重視のメニューを選んだ。
「こんなところで会うなんて奇遇だね。ボクはおじいちゃんのお見舞いなんだけど、佳奈も?」
「私は……うん……そうなの、弟のお見舞い……」
「ふ~ん? じゃあ、帰省みたいなものって弟のお見舞いの事だったんだ? 隠す事ないのに」
「うん……」
そういう佳奈の顔は暗い。
ネコは、これ以上詮索するのはまずいと判断してそれ以上は何も言う事はなかった。
やがて、二人が食べ終わって暫くしてから佳奈が口を開く。
「この間ネコくんが色々話してくれたからさ、私も話すよ」
「わかった」
「弟はね、生まれつき心臓に病気を抱えていて入院しがちだったんだけど、ウチのお父さんの工場が経営難で治療費をねん出する事ができなかったんだ」
そう言うと、手にした紙コップをくしゃっ、と握りつぶした。
「私が中学3年の時には高校いくお金も無くなちゃって弟を生かす為に私が働くかって状況だったの。けど、国がやってるミーティアの適性検査で良い結果が出たお陰でカミツレの入学が決まってさ。お陰で学費は全部タダだし、実験に参加すれば謝礼も出るし、それで……いまに至るって感じかな」
たどたどしく、一気に吐き出すように。
伝わりづらくて、ある意味で佳奈らしい言葉の羅列を、ネコは頷きながら応える。
「そういう経緯があったんだ……」
「言うほど隠す様なことでも無かったし、ただ運が良かっただけ」
「でも、お陰で皆が幸せになれたんだからいいじゃないか。佳奈の優しさが幸運を呼んだんだよ」
「皆が幸せ……か……」
「やっぱり、君は凄いよ。誰かの為に何かを出来るっていうのは」
「でも、それ以上に迷惑をかけてるし……」
「もう、また自分の事を悪く言ってる。大丈夫だよ迷惑に思ってないってば」
「本当に……?」
「そうだ! ねぇ、佳奈はこの後どこかに行く予定はある?」
「ん? 無いよ? このまま帰って学校戻るだけ」
「それじゃあさ、一緒に遊んでいかない?」
「それって、デートですか!? やっぱり別途料金いりますか!?」
「ん~、どうしよっかな~? ボクみたいな美人は高いよ~? 払える~?」
「が、ガチャ禁します……」
「あははっ! 冗談冗談! 一緒に遊ぶのにお金は取らないって!」
「いやぁ~、それ超ご褒美じゃん!」
そうして二人は街に繰り出した。
大きな駅が傍にあるだけあって、この都市にはどんな店でもあった。
二人が一緒に食事をとったファーストフード店は元より、居酒屋チェーン店、カフェテリア、レストラン。
食事処以外ならば、駅の傍ではお土産屋があり、ご当地の菓子やグッズが置いてある。
駅そのものもまた、小さな観光名所といえる建造物だ。併設したビルは高く、その中には多種多様な店舗がひしめき合っている。
少し歩けば、ネコが贔屓にしているファッションブランドの店。
更に進めば、ゲームセンターだってあった。
バスも利用すれば、観光名所を巡ることだってできるだろう。
HALは隕石の被害を受けた国のひとつではあるが、隕石の落下を免れ、また内陸にある土地は比較的被害は軽微で、この街もそうだ。
お陰で、ここは隕石落下以後暫くの間は経済の中心地として栄えた。
首都復興後にはその発展に陰りを見せて一部シャッター街となり始めてはいるが、それでも年頃の少年少女が遊ぶのには十分だろう。
スマートフォンの地図を見ながら、二人は離れているところから順番に駅へ向かっていき、着いたら駅の中の店を周って解散。という計画を立てる。
善は急げと市営バスで早速ゲームセンターへと向かう。
市内のゲームセンターだけあって活気に溢れていて、佳奈ですらここまで人でごった返すゲームセンターを見るのは初めてだった。
「やぁ、混んでるねぇ。どうする? ネコくんが先にやる?」
「ん~、いつも通り後ろで佳奈がやってるのを見てるよ」
「わかった。でも私も久しぶりだからな~」
そういって、リズムゲームの筐体に並んでいく。
このリズムゲームは大きな液晶画面の手前にタッチパネルがあって、それで操作するタイプのものらしい。
また、手の動きを感知するセンサーがあるらしく、それによって、手を振り上げる、手を振り下ろすなどの動作も操作に取り入れているようだ。
順番が来ると、佳奈は財布の中から100円玉を投入してプレイ状況を保存する為のICカードを当てる。すると、アップデートが必要と表示され、佳奈はそれを連打で適当に「はい」と押しまくると、佳奈のプレイカードに登録されている名前と称号が表示される。
「なになに、KANA。そのまんまか。それで称号は……『その為の右手。あとその為の拳?』って、なにこれ?」
「あぁ……元ネタはあんまり詮索しないで」
ログインボーナスを獲得し、プレイコースを選択すれば、ようやく曲の選択だ。
佳奈はカテゴリーから、「アニソン」を選択し、佳奈のカバンに着いている缶バッジのキャラクターが歌うOPに決めた。
『レディ~…………ゴー!』
ゲームのマスコットキャラによるシステム音声が開始を続ける。
その瞬間、アップテンポのイントロと共に画面上部からいくつものノーツ(というらしい事を後でネコは知った)が勢いよく流れてきて、それを佳奈はタイミングよく手前のパネルに触れてコンボを繋げていく。
ネコは動体視力には自信があったが、慣れない画面で全く目で追えず、目を回す。
そんなネコをよそに、佳奈はゲームに没頭していく。
少しコンボを途切れさせることがあったものの、ゲームクリア。ランクはSS。一番上がSSSなので、上々といったところか。
「すごいすごい! 佳奈、上手だねぇ」
「えふぇ、えへへへ、いやぁ、まだ簡単な方だしぃ」
「それでもボクが全然見えなかったのを、こう、ばばばーっ! って手を動かして繋げていくんだもん! すごいよ!」
「ど、どうも……うへへ……」
照れ臭そうに頭を掻いて佳奈はにやけ顔から戻らなくなる。
続けて遊んでいくと、いつの間にかネコも目を輝かせて待機列に並んだ。
「ど、どうしたの?」
「なんだか佳奈のやっているところを見たらやりたくなってきた! このゲームならボクでも遊べそうだし」
「そうだねぇ、結構判定緩いし」
暫くして、ネコの番がやってくる。
画面の案内に従いチュートリアルを受け、それが終わると、ネコは一番簡単な難易度で佳奈が遊んだ楽曲を選ぶ。
佳奈が遊んだ時と比べて、ノーツの間隔は広くて少ないし、流れてくる速さもゆるやかだが、それでもネコは苦戦する。
リズムゲームそのものが初めてなのだから、無理もないが。
「なるほど、わかった」
「そういう時って……いやでもネコくんなら?」
ネコが言った通り、次の選曲では、見事にフルコンボを達成する。
「え。やば」
「ノーツ? の配置はセオリーがあって、それの取り方にもパターンがある。なら、あとは動体視力でなんとか! やり方あってる?」
「まぁ、大体は……」
得意気に笑うネコだった。
次はブティック。
このブランドは清楚な可愛らしさをモチーフにしたブランドで、海外にも広く展開されていて、HALから離れたリヴァルツァ合衆国でも、その店舗を構えているほどだ。
理事長との面談の際に着た服もこのブランドのもので、ネコにとってとびっきりのお気に入りブランド。
対する佳奈の方はあまりにもお洒落なデザイン過ぎて、自分じゃ着る勇気が出ないブランドという印象。
そんな佳奈を尻目に、ネコは店舗内の服をステップでもしそうな勢いで見て回る。
選ぶのは夏服。
涼しげな印象を与えつつ、それでいて身体のラインを出さないもの。そこから、色味をネコ自身の好みそれとの組み合わせを見栄えが良いように頭で構築しながら選んでいく。
最初からテーマは決まっていたので、現物を見れば次第に選択肢は決まっていく。
群青色のロングワンピースと薄手でショート丈な桃色のカーディガンを手に取って、ネコは佳奈の手を引いてウキウキと試着室の前まで歩く。
「試着したら佳奈にも見てもらうからね、感想よろしく!」
そうして、試着室へ入っていった。
布の擦れる音が中から聞こえてくるのを、佳奈はだらしのない間抜けた顔で聞いていた。
「(かぁ~~……いまネコくんが中で? 服を脱いで? あのどう見ても美少女な男の娘が下着姿でいるって訳で? しかも出てきたら薄着? えっろ、ドえっろッ!)」
そう考えるのをよそに、試着を終えたネコは佳奈の前に出て、ゆっくりと回りながら前と後ろを見せる。
「佳奈、似合う?」
「勃起もんやで」
「なんてこというの!?」
あらぬ事故が起きて、「服の感想にそういう事言うのはどうなの!」とか、「もっとまじめな感想考えて!」などの説教を終えると、試着していた服を抱えたままで再度店内を見て回りだした。
「ネコくん、まだ買うの?」
「そうだね、ボクの分は決まったけど、佳奈の分も」
「え?」
佳奈は目が点になり、2、3秒を考えたあとで「いまなんて?」と問いかけた。
「だから、佳奈の服選び」
「ええぇぇ!? 無理無理無理無理無理無理!!! わ、私にこんなかわいいの無理!」
「無理じゃないよ、大丈夫。ボクが似合うの選んであげるから」
「私じゃ似合わなさが酷いからいいよぉ!」
佳奈の悲鳴もお構いなしに、次々と服を選んでいく。
ネコの想定としては、佳奈は上半身が細くて下半身が少し太い、洋梨というよりは台形といった体型。そのため、ボトムスはゆったりとしたスカートにしつつ、トップスは身体のラインを出して、細さをアピールさせる方向性で行きたい。
そうして選んだのは、ボウタイという襟がちょうちょ結びになっている白のブラウスと暗い赤の裾がレースになったフレアスカート。
「はい、これ試着してみて」
「ひぇっ……私には眩しくてとてもとても……」
「お願い!」
媚びに媚びた上目遣いで佳奈を見つめるネコ。自分の可愛さ、美しさを知っているからこそできる芸当だ。
「わ、わかりまひた……」
及び腰になりながらも、佳奈は試着していく。
「ひぃ、スカートの丈短いよぉ!」
「えぇ~? そう?」
「陰キャには膝上時点で十分短いよ!」
着替えが終わり、おずおずと試着室から出てくる佳奈。
「うんうん、ボクの見立て通り似合ってる似合ってる! 可愛いよ!」
「ひぇぇ……」
耳まで赤くしているのを無視して、ネコはぱしゃりとスマートフォンで佳奈の全身の写真を取る。
「わぁぁ~~!? と、撮らないでぇ!」
「ふふふ~ん。実は……」
そういってネコが画面を見せると、縷々と円香も入っているグループチャットに写真を投稿していた。
即座に二人の既読が着き、縷々、円香ともにチャット書き込み中の表示が現れた。
先にチャットを送ったのは円香だ。
『すごくかわいいです!!! もっと写真を送ってください!!!』
そして、続けて縷々。
『なんでおにいちゃんが佳奈の写真送ってるの????? いま一緒にいるの???? どうして??? なんで???』
もの凄い勢いで彼女は連投していく。
あわあわと慌てる佳奈をよそに、ネコもチャットに加わった。
『偶然出掛けた先で会った! いい機会だから遊んでる最中!』
『ぴ』
『ぴ?』
それだけ言うと、途端に縷々の連投は止まる。他の3人は知る由もないが、彼女は一人の寮のリビングでスマートフォンを放り投げると、頭からソファに突っ伏して「うあああああん」と絶叫していた。
ひと騒動の後、二人はカフェテリアにやってきた。全国的にチェーン展開されてる店で比較的良心的な値段設定と多彩なメニューが売りだ。
やはり佳奈はあまり……というより今回が初めての来店になる。
呪文の様な長い注文をするネコに佳奈は同じものを頼む。
「ひどい目にあった……」
テラス席に二人向かい合って座りながら、まだ興奮冷めやらない様子で顔に向かって手を仰ぐ。
「あぁ……それで、ホントにいいの? 服のお金出して貰って……」
そういって、抱えた紙袋に目をやる。
あの後、佳奈に試着させた服の代金をネコが出したのだ。
「いいのいいの。ボクが選んでボクが着せたいものだから、むしろボクがお金を出すのが筋ってもんだよ」
「じゃあ……ありがたく……」
「でも、ちゃんと着るんだよ?」
「は、はひぃ……」
小さく縮こまりながら、佳奈はアイスのキャラメルフラペチーノをすすり、ぼうっと街並みを眺める。
日曜日という事もあって、色々な人が行き交い、当然家族連れもいる。その中で、5歳ほどの少女が弟と手を握り、それを挟むようにして父と母も手を繋ぐ家族を見かける。
きゅっ、と胸が締め付けられる思いを覚えて、たまらず佳奈は口を開く。
「ねぇ、土曜日に聞きそびれちゃったんだけど、円香ちゃんと縷々ちゃんの小さい頃ってどんなだった?」
「二人の小さな頃? そうだなぁ、縷々は気弱な女の子で、いつもボクの後ろにくっついてたよ。それで円香はわがままお姫様って感じだった!」
「えぇ~~! どっちも考えらんない!」
いつもすました顔をして、ちょっと口が悪くて、けど照れ屋でネコのことになるとムキになる縷々と、おしとやかで友達想いで、少し世間知らずなおっとりとした円香。
それが佳奈の印象。
けれど、ネコの口から語られる二人はそこからかけ離れたものだった。
「――それで家に帰る時間になったら、ずっとボクの家にいるんだって言って聞かなくてボクのベッドの足にしがみつくんだよ? 迎えの執事の人が困り果てちゃって」
「ロリ円香ちゃんも可愛すぎか~~!」
「縷々は縷々でねぇ、雨の日でも怖くて一緒に寝てってくっつくぐらいには怖がりで、ホントは雷はボクも怖かったんだけどね」
「ショタネコくんとロリ縷々ちゃん萌えポ高いっ!」
「あははっ! ねぇ、そういう佳奈は小さい頃はどんな子だったの?」
「え? あ、あぁ……私は、食いしん坊だったかなぁ。お蕎麦を吐いちゃうまで食べたりなんかして」
手にしたカップが空になって、結露が蒸発して、それでも二人はお互いの小さな頃の話に盛り上がる。
やがて、行く先の駅は夕陽に照らされてオレンジ色に染まる。それは、お互いに別れの時間が近い事を意味していて、寮に戻ればすぐに会えるというのにどこか寂しさを感じてしまい二人は口をつむぐ。
沈黙に耐えれなくなった佳奈はホームの前でつい口を開いてしまう。
「すっかり夕方になっちゃったね」
当たり障りのない言葉。
だが、軽い足取りで前を行くネコが足を止め、振り返る。
「ねぇ、佳奈。また一緒に出かけようね」
夕陽に照らされたネコの笑顔は佳奈の知るどんな宝石よりも眩く輝きを放っていて、それは元からネコが美しい顔立ちをしているからではなくて、しかしそれを言葉にできるかと言えば見当もつかなくて。
ドクン、ドクンと心臓の音が佳奈の耳を打つ。
「えと、う、うん! 今度はみんなも一緒に!」
そういいながら、佳奈は顔を逸らす。
顔の熱さから、自分が赤くなっているのがわかる。
どうか、夕陽がそれを隠して欲しいと願ってやまないのは何故か。
佳奈にとって何もかもが初めての感覚だったがそんな想いを引きずって、別れの電車に乗っていく。
「恋をしなさい、か……」
寮へ戻るバスに揺られながらネコは隆臣に言われたことを反芻する。
その言葉と共にネコの中で浮かぶのは佳奈の顔で、浮かぶ度にネコはそれをかき消す。
「佳奈は寮で相部屋になっただけで、友達で……それで……それで……」
それでもかき消せない。
泣いて、笑って、色んな顔を見せる佳奈が、かき消せない。
バスの帰り路はまだまだ続く。
同じ時刻。
「ただいまぁ……」
そう言いながら、2LKの狭いアパートの中へ歩く。
ここが、佳奈の実家だ。
「(どうかだれもいませんように……)」
そう願いながら、佳奈は自分と弟の部屋へ早足へ向かう。
「ただのお見舞いにどこまで行ってたのよ佳奈」
年を取った女性……佳奈の母親がいた。
「あ……ちょっと……友達と……」
胃がキリキリと痛むのを感じる。そんな佳奈の気持ちを知らずに、母親はずけずけと佳奈の持つ紙袋を覗いていく。
「あんた、何を色気づいて服なんか買って! 無駄遣いはしないでっていつも言ってるでしょ! それにこんな高そうな……どこにそんなお金あったのよ!」
「う、ちが……友達がプレゼントしてくれて……」
「にしたってこんなフリフリの……センス無いわねぇ」
「そんなことないもん……」
うつむきながら、佳奈は部屋に戻り、怒りに任せて荷物をまとめる。
「どこ行くの?」
「もう学校に戻るよ」
「ご飯はどうするのよ! 用意だってしてるのよ?」
「ごめん、休み明けに出さなくちゃいけないの、溜まってるから」
「ったく……ホントにあんたはいつもいつも……」
「ごめんなさい……じゃあ、もう行くね」
そう言って、逃げ出すように佳奈は走る。
流れる涙を拭うこともできずに。