メカフィッシュ・バトラー・タロウ
メカフィッシュ・バトル!それは22世紀の若者達が己の青春を賭けて挑む究極の戦いである。
急速に発展したバイオ・ミミクリー技術により生物を緻密に再現したロボットが開発されると、それは瞬く間に民生品へと広まった。その最たる例がメカフィッシュ!実在の魚類を模したロボットであるメカフィッシュは、登場すると同時に全世界の少年少女を魅了した!そして、互いの所有するメカフィッシュを水槽の中で戦わせ雌雄を決する、という発想に至るのは、快活無比な彼らにとって至極当然のことであった。こうしてメカフィッシュによるバトル、メカフィッシュ・バトルは、21世紀におけるサッカーや野球のようなメジャースポーツとして、世界中の少年少女を夢中にさせたのである。
そんなメカフィッシュ・バトルの魅力に取り憑かれた少年がここにも1人。田代太郎、小学5年生である。彼は今からメカフィッシュ・バトル関東大会の決勝戦に挑もうとしている。
彼はちょうど3ヶ月前に全国大会のラジオ実況でメカフィッシュ・バトルのことを知り、その熱狂に憧れを抱いた。しかし、太郎の家はたいへん貧しい農家である。大会出場用の高価なメカフィッシュなど購入できるはずは無かった。
では何故彼は今メカフィッシュ・バトルの大会に出場しているのか。それは、太郎の父が太郎を悲しませまいと徹夜して作った手製のメカフィッシュを彼にプレゼントしたからである。メカフィッシュといっても自作ゆえ、動力や操作を担う重要な機械パーツ以外は、田んぼで余った藁を編み合わせて作ったたいへんみすぼらしいものだ。機械パーツも故障した型落ちの耕運機の部品を流用した信頼性に欠ける代物だ。日本の伝承にある藁人形にも似た貧相なメカフィッシュだったが、自宅の庭を泳ぐ鯉に似せて作られたそれを太郎はストローハイムと名付け相棒のように大事にし、自身のメカフィッシュ操縦技術を鍛えた。そして、3ヶ月もの血の滲むような努力の結果、遂に彼は憧れのメカフィッシュ・バトル大会の決勝戦の場、トーキョー・フィッシュバトル・スタジアムに立っているのである。
『メカフィィィィィッシュ・バトォォォォォォッ!』
『遂に決勝戦が幕を開けます!赤コーナーは田舎から登って来た期待の新人!田代ォォォォォ、太郎ゥゥゥゥゥゥッッッ!!!』
司会の男が太郎の名を言うと、観客席で拍手が起こった。太郎はスタジアムの脇の入り口から歩いて中央に向かう。ここが憧れの決勝の舞台か。彼は感慨と共に緊張を抱く。
司会の声は続けた。
『そしてェッ!誰しも羨む最強のフィッシュ・バトラーにして今大会最大の優勝候補!この女に敗北無しッ!水麗院・アンドレ・杏子ォォォォォォッッッ!!!』
司会が叫ぶと、衝撃波にも似た巨大な歓声が観客席から湧き起こり、スタジアムを揺らした。太郎がバトルのリングとなる水槽の向こうを見ると、1人の少女が脇に初老の男性を侍らせてこちらへ歩いてくる。少女は太郎と同じ小学生のようだが、彼女が歩く様は気品に溢れていた。
彼女は水槽の前に着くと、わざとらしく周りを見渡してから薄ら笑いを浮かべて言った。
「あらぁ、対戦相手が見えませんわぁ。いったいどこにいらっしゃるのかしら?」
「あの……ここに……よろしくお願いします……。」
太郎は恐る恐る口を開き、挨拶した。
「あらあらあらぁ、ちっさ過ぎて見えませんでしたわぁ!それにそのみっともないお召し物ッ!高貴なわたくしと戦うにあたって、無礼でなくて?」
何ということだろう。確かに太郎は短パンにヨレヨレの白いTシャツ1枚という田舎の小学生みたいな格好をしていたが、勝負に際して相手に挨拶を返さないこと、ましてや対戦相手の身なりを侮辱することなど許されるのだろうか?しかし、観客達は彼女の非礼に抗議するどころか、むしろ一層の盛り上がりを見せた。
「「「杏子!杏子!杏子!」」」
スタジアムに杏子コールが響き、中央の水槽の水面が波立つ。杏子は右手を上げて観客に応えた。予想以上のアウェーの状況に驚愕する太郎。
『ではッ!いよいよバトルを開始しますッッ!ルールはシンプル!試合は一回勝負、どちらかのメカフィッシュが行動不能になれば決着です!では両者、自分のフィッシュを水槽に出してくださいッ!!』
太郎は司会の指示を聞いて、自らのフィッシュ、ストローハイムに語りかけた。
「よし、頑張ろうね、ストローハイム!」
言い終わると、太郎はストローハイムを両手で水面に浮かべた。
それを見た杏子はここぞとばかりに太郎を挑発する。
「あらぁ〜〜〜ッおかしいですわ〜〜??タロウさん、だったかしら?貴方のメカフィッシュがどこにも見当たりませんわぁ〜〜ッ」
太郎はムッとしてストローハイムを水面で飛び跳ねさせた。杏子はさらに調子づく。
「そんな水戸納豆の包みみてェなダッセェのが貴方のフィッシュでしてッ!?場違いもいいところ!ですわッ!」
観客席からクスクスと笑い声が聞こえた。
「決勝の相手として相応しくありませんことよッ!早く田舎の用水路にお帰りになったら……」
「杏子様。そのあたりで。」
興奮する杏子を落ち着いた声で諭したのは、彼女の隣に立つ初老の男である。身なりからして杏子の執事のようだ。
「なっ……まぁ、仕方ありませんわね。とっとと蹴散らしてさっさとおうちに帰りますわ!」
そう言うと同時に、杏子は執事に合図した。すると彼は灰色のメカフィッシュを水槽に入れた。手のひらサイズのストローハイムよりひと回りもふた回りも大きく、金属製でどっしりとした重厚感があるそれは、ピラニアを模したメカフィッシュだった。ギョロっとした眼がプラスのボルトで再現されており、口には鋭い牙が並んでいる。華麗な杏子の印象とは対照的なそのフィッシュを見て、太郎は圧倒される。
両者のフィッシュが揃ったのを見て、会場がしんと静かになる。余裕の表情で太郎を見下ろす杏子。太郎は固唾を呑んだ。
『ではッ!用意……はじめェェェェェェッッッ!!、』
司会のシャウトと共に、フィッシュ・バトルが始まった。
「ノーブル・ピラニアッ!」
開始の合図と共に杏子は自らのメカフィッシュ、ノーブル・ピラニアを突進させた。
『まず仕掛けたのはノーブル・ピラニア!圧倒的エンジン性能を活かした巨体による攻撃はッ!まるで砲弾のようです!!』
「速い……!かわせ!ストローハイムッ!!」
ノーブル・ピラニアの突撃をすんでのところで避けるストローハイム
『ストローハイムは藁人形ゆえの機体の身軽さを利用し突進攻撃をかわしていますッッッ!』
「まだまだナマヌルいですわぁッ!!」
鋼鉄でできたロボットとは思えないスピードでスッ飛んでくるノーブル・ピラニアにストローハイムは翻弄されていた。
『軽いのは良いがストローハイム!藁でできた脆いボディー、ノーブル・ピラニアのタックルを喰らったらひとたまりもありません!』
「やばいやばいッ、頑張って避けるんだストローハイム!」
太郎の額に玉の汗が浮かぶ。ストローハイムは防戦一方である。
「ええいちょこまかとッ!ターボ吹かしますわよッ!!」
杏子がそう言うと、ノーブル・ピラニアがゴォーッと唸り声を上げた。
「フランス製の最新式ターボエンジンッ!馬力で勝てる奴がいるなら出てきやがれッッ!!ですわッ!」
『おっとぉ!ここで早くも必殺技を繰り出すか、杏子!準決勝で相手のフィッシュを粉々に粉砕したターボ・タックルだぁぁぁッ!!』
「ブッ壊れろッ!!ですのよッッ!!」
ノーブル・ピラニアは突如、目にも止まらぬ速さでストローハイムに突っ込んだ。何たる獰猛さ!ストローハイムは横から吹き飛ばされ、そのまま水槽の壁に激突する。
『食らわせたァァァァァッ!!ストローハイムは早くも敗退かッ!?!?』
「魚の形はしていても所詮は藁人形、わたくしのノーブル・ピラニアの敵ではありませんことよ!」
勝ち誇る杏子。しかし、ストローハイムはすぐに再び泳ぎ出した。
『なんとッ!!ターボ・タックルをもろに食らったストローハイムがまだ動いていますッ!これは一体どういうことだ!!』
「ストローハイムは藁でできてるから柔らかい、衝撃に強いんだ!まだまだ泳げるぞッ!!」
「チクショーッむかっ腹が立ちますわッ!!死ねッ死に晒せッッ!連続タックルですわッッッ!!」
ノーブル・ピラニアは超高速のターボ・タックルを連続で繰り出す。ストローハイムは避けきれず何度もタックルを受けた。観客はタックルが決まるたびに歓声を上げた。ちぎれた藁が水面にたくさん浮かんでいる。
「このまま鳥の羽根をむしるみたいに削り殺しますわッ!!」
『これはッ!ストローハイムはタックルに辛うじて耐えていますが、内部の機械にダメージがあるはずだ!』
何という絶望的状況、太郎の優勝への夢はここで断たれてしまうのか?
「いやッ、機械にダメージがあるのはお前の方だッ!ノーブル・ピラニア!!」
太郎ははっきりと言った。
『タックルを受けたストローハイムでなく、タックルをしたノーブル・ピラニアにダメージがあるとはどういうことだッ!?!?』
見ると、ノーブル・ピラニアの動きが鈍り、先程までのような高速を出せなくなっている。
「これは一体全体どういうことですのッッッ!?!?」
『機体温度だッ!機体温度が上昇している!ノーブル・ピラニアのエンジンが出力を上げ過ぎて高音になり、本来のパワーを出せなくなってきているッッッ!!!』
「バカなッ!冷却装置があるのにエンジンが過熱するなどあり得ませんわッ!」
「いいや、お前の冷却装置はもうまともに機能していない!藁だッ!タックルを受けて飛び散った藁が冷却装置の吸水口に詰まったせいで、エンジンがちゃんと冷却できていないんだッ!!!」
見ると、ノーブル・ピラニアのエラの部分には藁がたくさん詰まっている。太郎は相手の攻撃を逆に利用し、突進を封じていたのだ!
「今だストローハイム!ノーブル・ピラニアの尾ひれに噛みつき攻撃だ!」
ストローハイムはスピードの落ちたノーブル・ピラニアに近づき、尾ひれに噛み付いた。
「そのきったねえ口でわたくしに噛みつくなァァァァァッッッ!!」
尾ひれを猛烈に振りまくるノーブル・ピラニア。ストローハイムは振り払われてしまった。
『ストローハイムの顎のパワーでは、ノーブル・ピラニアの頑丈なボディに傷ひとつ付けられないッッ!』
「くそッ、ダメか!」
太郎はストローハイムの体勢を立て直し次の攻撃に備える。杏子は太郎を見据えて言った。
「貴方、ちょっとはおやりになるみたいですわね。でも上手くいくのはここまでですわ。貴方のストローハイムがどんなにすばしっこかろうが関係なく、貴方を倒す方法を思いつきましてよ。」
『出たァァァァァッ!杏子の勝利宣言だッ!この勝利宣言を受けて無事だったメカフィッシュは存在しませんッ!!』
「ノーブル・ピラニアッ!飛び跳ねろッ!ですわ!」
杏子が言うと、ノーブル・ピラニアは水面で何度も激しく飛び跳ねた。重いボディが水面に叩きつけられ、水槽全体に大きな波が立つ。ストローハイムは波に翻弄されている。
「まずい!波に煽られてストローハイムの操作が効かない!」
「そしてェッ!操作できなくなったところにッ!ゆっくり近づいて確実に噛み砕いて差し上げますわッ!」
『ノーブル・ピラニアの最も得意とする噛み付き攻撃だァッ!あの鋭い牙と恐ろしい顎はたとえ鋼鉄の塊でも容易く噛み砕きますッッッ!!!』
ノーブル・ピラニアはコントロールを失ったストローハイムに近づき、口を大きく開けた。なす術なく死を待つストローハイム。
『まさに「まな板の上の鯉」とでも形容すべき絶望だッッッ!!!』
ついにノーブル・ピラニアの鋼の牙がストローハイムの胴体に食い込んだ。顎が閉じきり、藁のボディが力なく潰される。湧き立つ観客席。
「フフ……あはははははははは!!!便所の床拭くボロ雑巾みたく死に晒せッ!!」
杏子は高笑いした。やはり藁の貧弱なメカフィッシュでは優勝など無謀だったのだろうか?
「なんて事だ……」
『太郎は絶望しているようですッ!!』
「ストローハイムが壊れちゃった……修理が大変だ!」
「ちょっとぉ?貴方、自分の置かれた状況を分かっていまして??貴方は試合に負けたんですのよッ!フィッシュの心配なんかしてないで、ちょっとは悔しがったらいかがですのッ!?!?」
「負けた……?いやッ、僕は負けてないぞッ!」
「貴方、まさかあまりの大敗に現実を直視できていないんですのねッ!!」
「いいや違う!僕は負けてない、逆だッ!僕が勝ったんだッ!お前のノーブル・ピラニアをよく見てみろ!」
「何をバカなことを……」
彼女がみると、ノーブル・ピラニアには欠けた部品も無く、ストローハイムの残骸をくわえている。しかし何か様子がおかしい。そう最初に気づいたのは杏子だった。
「あれッ……嘘、なんで操作が効かないんですのッ!?このッ、このッ……ちゃんと動きなさいな!」
『ノーブル・ピラニアが動かないッ!!これは一体どうなっているんだッ!?ただ今審判が勝敗判定を審議しています!!』
「ノーブル・ピラニアは確かにストローハイムに喰らい付いた!だがストローハイムはノーブル・ピラニアの顎が閉じ切る前に藁のボディを切り離し、中の機械部分だけがノーブル・ピラニアの体内に潜り込んだんだ!!」
「まさかッ!体内で操縦用の電気ケーブルを食いちぎりましたのッッッ!?!?」
「お前のノーブル・ピラニアは外側こそ丈夫だが、内部ならストローハイムにも破壊できるんだ!!」
太郎が言い終わると同時に、ノーブル・ピラニアの口からストローハイムの骨組みと機械部分だけが飛び出してきた。ノーブル・ピラニアは力を失い水槽の底へと沈んでいった。
『たった今判定が下りました!この試合ッ!田代太郎とストローハイムの勝利ですッッッ!!!』
スタジアムは歓声に包まれた。観客達は口々に太郎の健闘を褒め称える。
太郎が水槽のそばへ駆け寄ると、水槽から飛び出してきたストローハイムを両手で受け止めた。
「やったぁ!やったな!ストローハイムッ!!」
太郎が観客席に目をやると、最前列で太郎の家族が太郎の勝利を喜びあっていた。彼が手を振ると、みな大きく手を振り返した。
杏子は顔を俯かせ、両手を握りしめている。少しの間の後、彼女は俯きながらずかずかと太郎の方へ向かって行った。執事は慌てて彼女を止めようとするが遅かった。杏子は太郎の前に着くと言った。
「このわたくし相手にここまでやるなんて……今回だけは優勝の座を譲って差し上げますが、次の大会では絶対に負けませんわよ!」
杏子は勢いよく右手を前に差し出した。彼女の目は潤んでいたが、しかし決して涙を流さなかった。太郎は彼女の行動の意味を理解して、差し出された右手を握り返した。
『白熱のバトルを繰り広げた2人ッ!戦いの末に新たな好敵手と巡り合ったようです!』
スタジアムを包む万雷の拍手は、しばらくの間鳴り止むことはなかった。
おわり
3時間ちょいで書き上げた勢いだけの一作