フランスは本当に遠かったのか?
突然ですが、フランスに行きたいけれど、フランスはあまりに遠い、と詩ったのは萩原朔太郎ですが、彼は本当にフランスに行きたかったのか?
学校の授業なんかでは、
フランスというのは実在する国としてのフランスではなく、手の届かない憧れの象徴としての普遍名詞(そんな言葉、ない?)としてのフランスなのですよ。
などと教えそうな感じだが。
いぎりす、ならどうだったんだろう?
あめりか、なら?
たとえば、ぱり、って都市名では?
そんなことを考えて、やっぱりフランスが一番合ってるなぁと彼は思ったのだろうか?
文字数的には、四文字だし。
一番文化の香りが漂うし。
なんといっても、鮮やかなイメージが一番強いし。
日本の都市でいったら、京都にあたるのはフランスだし(なんだ、そりゃ?)。
とか?
そんなことを考えてみたりしたのだろうか?
それとも、第1インスピレーションで決めちゃったんだろうか?
それとも、本当にフランスが好きで、フランスに行きたかったのだろうか?
ただ、面白いのは、彼自身が「これこれこういう理由て、フランス」って言っていたとしても、それがあからさまな嘘の場合もあったりするからねぇ。
どだい、詩人の言葉くらい信用できないものはこの世に政治家の言葉くらいですからねぇ。
なーんて、ね。