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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

巣立の子 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふむ、また明日辺りから天気がぐずつきそうという予報か。つぶらやくん、悪いけど傘立ての掃除を念入りにしておいてくれないか? ここのところ、室内に置きっぱなしだったから、ほこりがだいぶ溜まっているだろうしね。

 ――はい、ありがとう。そういえば、つぶらやくんはウチの店も含めた傘立てについて、気に掛けたことがあるかい? 一本ずつ差し込めるよう、碁盤の目を思わせる区切りがつき、シュートを備えたものも存在している。外から見た感じでも判断がつくような仕組みというわけだ。

 どうしてこれらのスタンドを使うことが多いか、考えたことがあるかい? もちろん、お客様がご自身の傘を判断しやすいように、という配慮もある。だが、ひょっとするとこうしてあけっぴろげにしないといけない理由があるかもしれない。

 私も前に、そう考えさせるような出来事にあってね。その時の話を聞いてみないかい?


 子供にとって傘というのは、手軽に持つことができる武器のひとつだ。朝は雨が降っていたけど、帰り際に止んでいたりすると、たちまち男子同士でちゃんばらタイムに突入する。漫画のキャラクターが放つ剣技を、実際に真似して、友達に斬りかかってみたりとね。

 今のように「危ないから真似しないでください」という注意ごとが、丁寧に示される時代でもなし。激しい剣戟が繰り広げられ、その中に突き技を初めとする致命の一撃が、ちょくちょく混ぜ込まれた。

 それでもお互い、大きなけがをすることなくチャンバラを続けられたあたり、当時の自分たちの運動神経に感謝だね。わずかにでも防ぎや身のこなしがずれていたならば、生涯にひびく「カタワ」になっていたかもしれない。幸いなことに私たちはそれらの深い傷は負わなかったものの、傘の石突きで叩いたり叩かれたりが絶えない。くたびれて杖代わりにしながら帰ることもあったが、止めることなんて考えなかったね。

 しのぎがいくら紙一重であろうと、実際に食らわないうちはすべてがエンターテイメント。そのうえ子供は常に、ドキドキとワクワクに飢えているときた。

 私たちは傘を持って行っても、帰りは使わない日が来ることを心待ちにし、そのたびにお互いの剣士ならぬ、傘士としての腕を磨き続けていたんだ。


 一緒に帰る友達のうち、何人かは私が通っている習字教室でも顔を合わせる。新しめの住宅団地の一角にある教室は、先生の自宅をそのまま使っていた。開始時間がきっちり決まっているわけではなく、学校が終わり次第来なさいという約束。時には、大人の人が混じっていた時もあったっけ。

 合格をもらうと、先生が飴玉を用意してくれることもあって、私たちは雨の日でも欠かさず教室へ通っていた。先生の家の玄関前には、かなり大きめの傘スタンドが用意してある。

 全身が陶器でできた円筒状で、直径が私たちの片腕くらいはあるんじゃないかという、大きな口が開いていたんだ。数十本はゆうに突っ込むことができたねえ。スタンドは一切、透けていない。横から見えるのは傘の柄だけで、誰がどの傘を使っているのか、想像してみることも私の楽しみのひとつだ。

 その日は学校を出た時から、ずっと雨降りだった。玄関先で傘についた水滴を十分に飛ばし、「お願いしまあす」と声を掛けながら、私は先生宅の中へ。


 玄関から広間まで、じゅうたんのように敷かれ、ところどころの目張りも担当する新聞紙たち。使い込んだ習字道具の墨汁の匂い。半紙の上を走る、筆先の音。これらに包まれると「ああ、習字に来たなあ」とつくづく実感する。後は月ごとに発刊される冊子で、自分の級位が上がっていることを確認できたならば文句なしだ。

 今日は月初め。新しいお題が提示される日。私たちの学年では「巣立の子」と書くことになった。

 こだわり始めたら、とことんまで時間を盗んでくれるのが、「道」のつくものの特徴といえる。「書道」に関しても同じことで、書いては先生に見せに行き、朱墨による手直しをもらって、また半紙に向かいの繰り返しだ。

 個人的には漢字よりも、ひらがなを書くことの方が難しく感じる。漢字は大半が直線で作られるのに対し、ひらがなのメインは曲線だ。筆の曲がり方次第で、味わいが変わってくる。実際、私がいくつももらう修正点には、毎回「の」の字が含まれている。

 後から来た子にも追い抜かれると、気持ちに焦りを感じなくもない。でも、それを筆に乗せると、たいてい自分でも満足がいかない作品ができあがってしまう。先生に見せるまでもない、半紙の無駄だ。

 私は先生に声を掛けて、トイレを使わせてもらうように申し出る。先生の家のトイレは玄関を入ってすぐ左手。広間から見て新聞紙のじゅうたんを抜けた、真向かいにあった。


 途中、脇にある階段から、先生の奥さんが降りてくる。50代そこそこといった見た目で、顔には寄る年波のしわが浮き上がっていた。これから風呂掃除でもするのか、両手には明るい緑色のゴム手袋をつけている。

 すでに何度か会ったことがある人だ。私は軽く頭を下げながら、トイレに入る。ややあってこのトイレの前を通り、玄関を開ける音。おそらく出ていったのは奥さんだ。

 用を足しながら気持ちを落ち着けている私。すっと目を閉じて精神統一していると、不意に壁一枚を挟んだ外から「ダーン」と物を叩きつけるような音がした。

 雷に似ている。もしかしてまた雨が降り始めたのかと思ったが、雨粒の音は続いてこない。尻を拭くことも忘れて、じっと聞き耳を立てている私に、またも「ダーン」。


 近くに柔剣道場の類はなかったはず。よっぽどご立腹な誰かが暴れているのかと、少しひやひやしていると、今度はズザザ……と、たくさんそろったものを一斉に流す気配。

「ケー!」と、けたたましい鳥の鳴き声がワンテンポ遅れて耳に飛び込む。そこからはもう盛んに羽ばたく音と、獣が喉から漏らすうめき声が何度も入り混じり、私の耳へ叩き込まれてくる。

 3度、「ダーン」と来た。先の2回よりもずっと近い。私のいるトイレ全体が一瞬だけ揺れた。きっとこの壁に何かが叩きつけられたんだ。

 すぐにでも飛び出したいところだったが、便意もちょうど佳境。途切れさせるにはかなりの力が必要で、下手に垂らしているところなぞ見られたら、出入り禁止を食らいかねない。

 私が自分を急かしている間に、外は打って変わって静まり返ってしまう。やがて、先ほどまでの音たちより、ずっと小さく響いてくるものがある。それは傘をスタンドに入れ直しているように聞こえたんだ。

 何本も何本も戻していき、それが終わると玄関を開け、このトイレの前の新聞紙を踏みしめていく音が続く。私が出た時には、もう上り階段の音がわずかに響くばかりだったよ。


 先ほどのことが気になって、筆致に精彩を欠く私。先生にそれを読み取られたらしく、「今日はもう帰りなさい」と進められる。やる気がない人に下されるのと同じ、強制送還命令だ。もちろんご褒美の飴をもらうことができない、屈辱の措置。

 速やかに立ち去らないと周囲の目が痛い。そそくさと退席した私は、玄関の戸に手をかける。外は雲がだいぶ晴れてきて、太陽がのぞいていた。

 トイレに面する壁を見る。全体的にクリーム色をしている先生宅の壁が、ここの部分だけ渇いた泥をこびりつけていた。泥の跡から察するに、人に比べてだいぶずんぐりとした物体がぶつかったと見える。

 傘立ての中にはまだ十数本の傘。私はそっと手を伸ばして「あれ?」と思った。

 この傘スタンドには、海が荒ぶるさまをモチーフにした波模様があしらってある。模様の一部はスタンドの口にまで届いていて、私はいつもそこに傘の柄を引っかけているんだ。名前を書いたシールも柄に貼っているが、重ねて自分のものだと分かるようにする目印だった。これまでずらされたことは、一度もなかった。

 それが今は模様の反対側へ移されている。誰かがいじったのは明らかで、私はトイレに籠っていた時に聞いた、あの音を思い出してしまう。

 おそらくは先生の奥さんの仕業。何を考えているのだろうか?


 疑問の答えはすぐに出る。柄を掴んで引っ張った傘は、接着剤で止めたかと思うように、取れなかったんだ。

 私はいったん戻し勢いをつけて、再トライ。何度目かの挑戦で引き抜けた時、勢い余ってスタンドを倒してしまったんだ。

 何本もこぼれ落ちる傘たちに混じり、スタンドの口から垂れてきたのは緑色の液体だった。苔か? と思った私の前で、漏れ出て水たまりを作っていた液体は、じょじょに白く濁る。同時に、水たまりの端と端が風呂敷のようにつながり、全体が丸く収まっていく。

 ややあって。できあがった球の中央にひびが入ったかと思うと、中からはさみの先を思わせる細長いくちばしが飛び出した。その穴を手掛かりにどんどん広がる球の穴は、内側にあった黒く小さな鳥の姿をあらわにしていく。

 ツバメに似ていたが、くちばしは異様に長く、頭が禿げ上がっている。ひなと成鳥の中間と思しきその小鳥は「けー!」と、トイレで聞いた時より若干の舌足らずな声をあげた。直後、手の中に隠せてしまいそうな小さな羽を広げて、空へと飛び立った。

 地面から離れ、遠ざかっていく小鳥の姿は、なかなか小さくならなかったよ。おそらくは飛び去りながら、ものすごい大きさで大きくなっていたんじゃないかと思う。


 習字の先生ご夫婦が、何を思ってあの鳥を育てていたか分からない。だがあれはきっと、私たちの傘の石突についた雨水とか汚れとか皮脂とかを餌に、あのスタンドの底で生きていたんだろうね。



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― 新着の感想 ―
[一言] 本当に……なんだったんでしょうね。見当がつきませんが、面白かったです。 ふと、あれにとっては、子どもの傘のほうが色々なものに触れているので、好物だったかもしれないと思ったりしました。しかし、…
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