一生思いを遂げるという事~モテない男の幻想~
自分の中の女性が目覚める。彼女の言葉が、心の中で紡がれ始める。まるで、眉から糸をほどくようにゆっくりと心情が表出されて、春の淡雪のように溶けていく。
「私は、一生、一人の人を愛せると思った」
素直に心情を吐露したが、すぐに別の自分に打ち消される。
「あんた、性別は男だろ。男にそんな真似ができると思えないね。あんたの実人生を顧みてごらん」
もう一人の自分は辛辣に、無垢なままの女性である私にきつい言葉を浴びせかける。むき出しの心が砂埃で洗われる気がした。
「たしかに私の女性遍歴は多いけど、それは、片思いの恋愛が駄目になったから別の人を探すしかなかった」
私は健気にも必死に抵抗した。意地悪なもう一人のざらついた声に抗うように。環境が自分を、様々な思い人との出会いを促すように仕向けたと主張した。苦手なドリブルを何回も練習するようなひたむきさで、声の主に反論した。
「なら、思い起こしてごらん。最初の初恋を」
私の初恋は遅く、専門学校で出会った18歳下の同級生だった。そそっかしくて、忘れ物が多く、裏表のない態度に、深く引っかけられた。
タバコを吸わないのに、彼女に会いたいために喫煙所に通ってバス待ちをした。私の恋愛は周囲にばれている。でも構やしないと思っていた。海育ちのせいで、ハスキーな声、ちょっと茶色がかった髪の毛、細くて切れ長の目、よく似合っていたストリートファッション、全部が好きだった。
結局、彼女とは仲良くなれず、失恋した時は、自分のすべてを否定されたことと、思い道理にならない状況と、周囲の上手く行ってるカップルたちとの比較で、冬の窓の結露のようにとめどなく涙があふれた。人目もはばからず、駅や電車の中や往来で泣き続けた。
「彼女との関係は淡い片思いから無残な失恋になった。それは仕方のないことです」
女性の心を持った自分は、当時の状況を淡々と告げた。
「なら、卒業式に時間を進めようか」
意地悪な声の主は、相手に卒業式の頃を思い出させた。スーツに身を包んだ同級生が、会場のロビーでたむろしている。その中に勝手の片思いの相手がいた。似合わないブラウスを着こなして、やや魅力が損なわれたイメージがあった。
「もう、その頃になると、わだかまりも消えて、お前と彼女はじゃれ合っていたよな」
彼女は、私のメタボ腹を見ると「なんだその腹は」と言い出して地獄突きをかましてきた。手刀が死亡に食い込む時、私は小さな悲鳴を上げて、笑い転げた。
「その時に、なぜやり直そうとしなかった」
意地悪な声の主は、私の心を爪で鷲掴みにして、力を込めた。ハートが押しつぶされて、真実を悟った。偽りの気持ちが染み出てきて、指を伝わって流れ落ちた。
結局、私は、ストリートファッションに身を包んでいた頃の彼女は好きだったが、ダサいブラウスの彼女は好きではなかったことに気づいた。女性にメタモルフォーゼしていた私は、ただの男に戻った。
失った時間が、様々な可能性が、もう戻れない黒い結晶になって、わが身に降り注いできた。仲良くじゃれていたのなら、関係性を取り戻せたかもしれない。腹をへこめてやると、彼女に宣言すればよかったかもしれない。結局、私はどこにでもいる、遺伝子をばらまきたいだけの浮気者の男性だと悟った。一人の人を愛せるという認識は幻影だった。




