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5.パンケーキに、こんにちは

だいじに、大事に、少しずつ食べてきたお菓子が空っぽになった時のような、満足なんだけど少し寂しいような。あの感じ、なんていうんだっけ?



「雨宮さん」

エレベーターを降りると声が掛けられたので振り返る。

「はい」

ライオンみたいな髪の色をしてる。あ、パンケーキの人だ。

「台風きてるけど、大丈夫? 送っていこうか?」

彼の言葉にゆるく首を振る。

「大丈夫です。車で送っていってもらう約束をしているので」

言いながら少し前の会話を思い出した。



「台風?」

私が聞き返すと雪ちゃんが明るく答えた。

「そう、ひどくなる前に帰った方がいいでしょ。今日は残業なし」

「うん」

「じゃあ、澄弥すみやが車で送ってくれるから4人で帰ろうか」

千冬ちふゆ 澄弥すみやさん、雪ちゃんの彼氏さんの名前が出た。

雪ちゃんと、千冬さんと、村瀬さん、と私の4人で帰ることになった。電車もストップしているので、助かった。


そんな訳で1階に降りてきて、いまから帰るところで呼び止められた。

思い出した時に落ちてしまった視線を上げると、表情を曇らせて笑う彼が言った。

「もしかして、村瀬さんに送ってもらうの?」

千冬さんの車だし車を運転するのは、たぶん千冬さんだから送ってもらうというよりは一緒に帰るって感じかな。ぼんやりと考えながら視線をそらさずにいると、彼はそれを肯定ととらえた。

「やっぱり、仲良いんだね」

「……よくしてもらってます」

「付き合ってるの?」

「付き合っていません」

「でも、見込みないよね」

私が意味を飲み込めずにいると、彼が困った顔で、困った声で言う。

「俺さ、雨宮さんが好きだったんだ」

付き合ってるの? は、本日二度目なのですぐ返せたけど、そう言われてしまうと言葉に詰まる。

「困らせるつもりはなかったんだけど……」

あなたの方が困っていると思う。だってそんなにも瞳は曇っているのに私は晴れにすることはできない。

彼が溜息を吐いて背を向けた。

私、最低だ。


「あの、待ってください」

どうして、こうゆうときいい言葉が思い浮かばないんだろう。

どうして彼女にも気の聞いた言葉を返せなかったんだろう。

「待って!」

遠ざかる背中にもう一度大きな声を掛けた。


「え」

こちらに気付いたので、彼の背中に追いついた。

「ごめんなさい。私、あなたの名前も知らない最低な人なんです」

いつからだか、自分とはタイプの違う人や異性と距離を置くようになった。誤解も幻滅もされたくないから。

でも、彼は一歩私に歩み寄ってくれたのに私はこのまま動かないままでいいのだろうか。

いいわけがない。動かなくても傷つける。だったら、


もう一度真っ直ぐに視線を向けると、彼は驚いて目を見開いていた。そうして、彼はゆっくりと冷静になると微笑んで言った。

「……岩永いわながです」

「え」

岩永いわなが 塔矢とうやだよ。同期だから敬語もいらない」

「雨宮 結音です」

「うん、知ってる」

「ごめんなさい。私、嬉しいんです。……パンケーキはその、甘いもの苦手なので食べないかもしれないですけど、見るのは好きです。キラキラして可愛いです。岩永……くんも、ライオンの髪みたいに見えて緊張したけど優しくしてくれたのは分かります。こんな人間でも好きになってくれて、ありがとう」

がばっと勢いよく頭を下げると、頭上で吹きだしたような笑い声がはじけた。

「ライオンって、あはは。やっぱり、雨宮さんは面白い」

怒っていないようで、そろりと頭を上げると眩しい笑顔で言われた。


「最低じゃないよ。有難う」


チカチカと瞬いたそれの正体を知っている気がした。

「結音」

離れた距離から村瀬さんの、私を呼ぶ声が耳に届いた。私が振り向けずにいると、岩永くんが口を開く。

「じゃあ、もう行くよ。気をつけてね」

「うん。岩永くんも。……また、明日会社で」

「うん、また」

ひらひらと手を振って彼は去っていった。


「結音、どうしたの?」

近くまで歩み寄ってくれた村瀬さんが言った。それに私は笑みを返す。


「……少し会話していただけです」

「そう」





車内から外を見ると滝のような雨が窓を覆う。もう、すぐそこまで来てるんだ。

「大丈夫? 家に泊まろうか?」

私があまり空ばかり見ていたからか、後部座席の隣に座る雪ちゃんが心配そうに言った。

「大丈夫だよ。雷鳴っても隠れるし」

安心させるように、やわらかく笑ってみせた。


「雨宮さん、雷苦手?」

千冬さんが助手席から振り返って言った。

この車は最初に私の家に向かっているらしい。私の家、村瀬さんと順に行き、ここまでは村瀬さんの運転になってその後、千冬さんが運転するらしい。

「雷が得意な子って、あんまりいないと思うけど」

唇を尖らせて雪ちゃんが言う。雪ちゃんと千冬さんの視線が交わる。千冬さんが、にやりと形のいい笑みを浮かべた。

「じゃあ、家に来る?」

「お泊りセット用意してないし」

「そっちに行くならいい?」

「いい」

唇を尖らせたまま、雪ちゃんの顔が少し赤くなった。照れた雪ちゃんは貴重だ。

と、思っていたら千冬さんの唇が雪ちゃんの唇に重なった。


「ごねんね、変なの見せて」

赤い顔のまま私を振り返ったので、私は息をすることを思い出した。

ぶんぶんと首を横に振る。こわいのが少し飛んでいった。

「ぜんぜん、そんなことない。仲良しでいいね」


「車内なんだけど」

村瀬さんがボソッと軽くとがめる様に言えば、千冬さんが気にせずけろっとして返した。

「いいじゃん信号待ちだし」


人のラブシーンはドキドキする。でも、きゅんってならない。

「雪ちゃん」

「ん?」

「きゅん、ってした?」

私が聞くと、ぽかんと赤い口が開いた。それから、またちょっと赤くなって慌てて顔の前で手を振った。

「ちょっと、あれは忘れて。恥ずかしいから」


「なに、なんの話?」

意地悪そうな笑みで千冬さんが雪ちゃんをからかう。雪ちゃんが少し声を荒げて視線をはずした。

「なんでもない」



ぱしゃん。

車内から右足を出すと足元で水溜りが跳ねる。車のドアが開いているので雨と風の音で耳が埋め尽くされる。

顔を上げると、傘を広げた村瀬さんが待っててくれてた。その後ろに街の明かりが映るけどピントは彼に合ったままだ。その優しくて、眩しくて、ほっとして、少し切ない微笑みに私は恋をしていた。


「村瀬さん、ハンバーグが食べたいです」


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