1.ブラックコーヒーが降ってきた
全7話予定です。
「ごめん。雨宮さんは可愛いけどイメージと違ったというか、俺たち合わないと思う。
雨宮さんなら他にいい人がいるよ。だから――」
勝手に想像されて、勝手に幻滅されてもう何度目かの言葉を聞き流す。
「わかりました。さようなら」
私、雨宮 結音は恋に終わりを告げた。悲しくはあっても泣くことはしない。
この答えは付き合ったときから予想していたから。
人は嘘つきで身勝手だ。私は最初にちゃんと言ったのに「幻滅すると思いますよ」と。
可愛いものが好きだ。それが似合う容姿だったので着飾るし、自分磨きもする。
髪は猫っ毛で困ったけど、それが映えるように頑張った。自然と甘くて可愛い色使いが
多くなった。
紅茶とケーキが似合うふわふわした女子。いつの間にかそう見られるようになってしまった。
可愛いと言われるのは嬉しい。もっと頑張ろうと思えるから。
でも、勝手に理想を抱いて幻滅しないでほしい。
「ふぅ」
溜息を小さく吐いて社内の小さな休憩コーナーに向かった。
部署の中ではなく通路の片隅にある。
自販機が2つと机1つと椅子が2つだけ置いてある場所だ。こじんまりしていて、人があまり来ない。こんな時は誰もいない場所で1人、コーヒーを飲みたい。
紙コップの自販機の前で私の足が止まる。
「あれ、雨宮さんも休憩?」
「はい」
そこにいた先客に、かろうじて笑みを浮かべて返す。
短く返事だけ返す私を変に思われただろうか。まぁ、いい。口数が少ないのは自分のことを好きだから緊張してるのではないかと、勝手に勘違いされるよりいい。
近くに置いてある椅子に座って財布を取り出そうとして手が止まる。財布を忘れてきてしまった。
仕方ないから、とりあえず戻ろうと席を立つ私の目の前に紙コップが置かれた。
「俺の奢り。よかったら、どうそ」
そう言って彼は私の斜め前に置いてある椅子に座った。そこで初めて彼の顔を見た。
村瀬 拓真
部署は違うけど名前は聞いたことがある。女子社員によく噂されているから。
もちろん良い意味で。黒い瞳の、やわらかい目元と、口元、黒髪が少年らしさも垣間見え、大人っぽさも合わせもつ美丈夫さん。私よりいくつか年上だった。たぶん。
「あの……」
断ろうと口を開きかけたとき、コーヒーの香りが私をくすぐった。
「コーヒー好きでしょ?」
彼の言葉は確信があるように聞こえた。私は小さく頷いて口を開いた。
「ありがとうございます」
ぐるぐると深いブラックコーヒーのように気持ちは沈んでいた。深い濃い色なのに、あったかい。
あったかい湯気と一緒に香りを吸い込んで一口飲むと、口いっぱいに広がる。
この温かさが好きで、口元が緩んだ。暫く余韻に浸ってると笑い声とともに私の耳に届いた。
「本当に好きなんだね」
「意外ですよね」
思わず自嘲的な笑みが出た。それを肯定するわけでも話を合わせようとするわけでもなく、
彼は綺麗に笑って言った。
「ううん、可愛い」
その返しはどうしたものか。
結局、曖昧に微笑んでその場を離れた。
オシャレなカフェの影響なのかコーヒーを飲む女子が増えているから、あんまり意外じゃなかったとか?
でも、あれ以上好み聞かれてたら引かれてただろうな。
*
「雨宮さん、誰かに用事?」
二度あることは三度あるって誰が言ったのだろう。
いやいや、まだ二回目だ。気を取り直して目の前の彼に返事をした。
「こんにちは。書類を届けにきました」
私がそう言うと彼も、こんにちはと返して手を出した。
書類を確認してもらってハンコを貰うだけなので別に誰でも良かったんだけど、出されたら預けるしかない。
別の部署にいるからか何だか居心地が悪くなり、逃げるように口を開いた。
「村瀬さん」
「名前覚えてくれてたんだね」
そんなに嬉しそうに言わないでほしい。
「急ぎではないので、忙しいようでしたらまた取りに来ます」
早口で言い切ってくるりと来た道を戻ろうとしたが、呼び止めるように声が上がった。
「そうだ。頂いたケーキがあるんだけど食べる?」
……ケーキ。喉がひくつく。
悪気はないことぐらい分かってる。だからといって上手く誤魔化せるほどテンションも高くない。
だって今日は最悪の気分なのだ。だから別に本当のことを言ってもいいと思う。
「私、ケーキ嫌いなんです」
冷たく言ってから、しまったと思ったがもう遅かった。
もっと冗談みたいに笑って流せばよかったのにと思いながら相手の顔色を窺うと彼はキラキラと輝く瞳を私に向けていた。
「じゃあ、なにが好き?」
「こし餡が……好きなので和菓子が好きです。でも甘すぎるのは苦手です」
そこまで言ってチラリと相手の表情を窺うが落胆した様子はない。
それどころか相槌をうって続きを促してくれる。なんだか気分が上がってきて思い切って言った。
いままでだったら、絶対に引かれた言葉を。
「お酒も好きです。ある程度の量しか飲めないですけど、飲むのが好きなんです」
酔うとふわふわして、いろんな味で満たされた感じが好きだ。
「だから、居酒屋も好きです」
一気に言い終わって、そこでハッと冷静になった。ここまで言ったら引かれたんじゃないだろうか。
そんな考えがよぎったが彼はこう言った。
「おすすめの居酒屋があるんだけど、一緒に行く?」
*
冷たいお酒を喉に招きいれ、小さく息を吐きグラスをそっと机に置く。
ごくごくと一気に飲んでしまいそうになるけど、もう半分以上も減ったので名残惜しい。
居酒屋の席は区切られているが、個室にはなっていないので周りの声がぼんやりと聞こえる。
お皿の上に乗っているナンコツのから揚げをいくつか口に入れると、小さな音が心地よく届く。
この食感が好きだな、と思ったら空気が少し優しくなった気がした。
「美味しそうに食べるね」
「はい、おいしいです」
素直に返せば彼も笑みを返してくれる。それが心地いい。
「村瀬さんは私に幻滅しないから、いい人ですね」
「幻滅? なんで?」
「コーヒーも、お酒も、居酒屋も引かないし……」
「好みなんて人それぞれでしょ」
「そうですけど……」
「良いと思うよ。好きなものに素直になれるのは」
「そうですか?」
「うん。おいしそうに食べてるの見ると、俺も嬉しい」
「……そんなこと初めて言われました」
おいしそうに食べるとは言われたことがあるけど、……嬉しい?
「結音は可愛いね」
ドキリと心臓が跳ねると、同時に頭の中にある記憶の付箋がちらつく。
可愛いけど――違う。見た目のイメージ。
「がいけん、が?」
おそる、おそる聞き返す。
「容姿も可愛いけど、そうやって戸惑って一歩後ろに下がるとこ。懐かせたくなる」
「わたし、猫じゃないですよ?」
「うん、知ってるよ」