追憶
美香の過去。
幸せだったあの頃の日々。
ちょうど10年前の夏、私は8歳。
小学校2年生だった。
当時は勉強もそこそこによく友達と外で遊びまわっていた。
学校が家から歩いて1分もかからない上、家と学校の中間地点に公園があった。
そのために友達からよく遊びに誘われては、ゲームや本には目もくれず毎日泥だらけになって、
時には生傷を負いながら帰宅して怒られる。
勉強はあんまりしない。
そんな子供だった。
そのころはよく笑い、よく泣いて、いろんなところに関心を持っていた。
マグロのように動いてないと死ぬのか、某司会者の如く喋ってないと死んでしまうのか、まるでお祭りのように賑やかでうるさい子だった。
一言で言うと落ち着きがなかった。
そして今でこそセミロングであるが、当時の自分は短パンにベリーショートヘア、野球帽をかぶり
男子と混じってスポーツに興じていた。
本当に女の子らしくなかった。
私自身も昔から思っていたし、それ以上に周りの人から、担任の先生や友達からも
口うるさく言われた。
担任の先生は女の人だった。教師として働き始めたのは私たちの学校が初めての新任さん。
まだ教師になって3年めということもあり初々しく、ちょっとぎこちないながらも生徒のことを弟妹のように扱い、大切にしてくれていたし私も例外ではなかった。
おっちょこちょいでよくミスをしては少し泣きそうな顔で生徒の顔を見るのが可愛らしく、そういう一面が生徒や保護者からもとても愛されていた。
友達はみんな活発で、クラスの中心的存在になる子が多かった。それに影響されて当時の私はクラスでも常に囲まれて喋ったり遊んだりと充実していた。
その頃の私が学校を楽しめていたのも周りに恵まれていたのが大きい。
と同時にあまりに女の子らしくない自分を心配してたり、少しおせっかいさんな一面もあったが。
似たようなことは私の本当の両親からも口うるさく言われていた。
父親は普通のサラリーマンではなく、フリーライターとして生計を立てていた。
お金に困ったことはないのでそこそこ順調だったのだろう。
いつも自宅で作業しているのでまるで迷路に四苦八苦してるような難しい顔をしながら、パソコンとにらめっこしているのを家でよく見かけた。
時々出版社に原稿を持って行ったり、職業柄打ち合わせのために自宅に来る出版社の人がくることも多かったため、多忙だったのだと思う。
仕事に対する愚痴はあまり言わない人だったので今となっては推測でしかないが。
口数は多くなかった。しかし、怖いわけではなく、むしろとても穏やかで私が汚れて家に帰ってきても何も言わない。
それどころか、微笑ましく思うかのような優しい目線が印象的な人で、その目を今でもよく覚えている。
叱るときはちゃんと理由を説明して言い聞かせるように叱った。
母親の家事をいつも手伝っていたし、嫌がる素振りなんて見せなかった。
結婚記念日や誕生日は忘れない人だった。
そしてよくリビングで本を読んでいた。
どこまでも思慮深く優しい人。
母親は専業主婦をしていた。父とは職場で知り合い結婚したのだと後に知った。
父とは対照的によくしゃべり、感情をはっきり表に出す人だった。
よく笑い、よく泣き、時々怒る。
兄弟姉妹が居なかったので、一度怒るとこちらにすべて矛先が向いたり、
頼み事が全部自分にきたりと
正直めんどくさいなと思ったこともあった。
しかし、褒めるときは褒めてくれたし、私が小さいころから私という人間に沿った教育をしてくれてたのだと、今は認識できている。
正反対の性格なのに、私に対する意見は一致していたから不思議である。
母親の少し子供っぽく素直な生き方に私達家族は遠心分離器のようにぶんぶんと振り回されて、喧嘩も時々しながら私達家族は普通の家庭と変わらない、少し退屈で幸せな毎日を過ごしていた。
そんな家庭で育った8年目の夏、ちょうど一学期の修了式の日に担任の先生が、
「すでにお父さんお母さんから言われた人も多いかもしれませんが、
最近、近所で怪しい人の目撃情報が相次いでいます。
― 25歳位・・・私より若いとか言わないの。私だってまだ若い・・―
ゴ、ゴホン・・・黒いジャケットに黒いズボン、メガネをかけてお昼や夕方に近所のうらなだ公園、
うんそうだねすぐ学校から見えるとこ。
そこでよく見かけるそうです。みなさんはこれから夏休みなので気をつけてください。
それではみなさんとまた9月に会えることを楽しみにしてます。」
そんなことを言われた。
帰宅したら両親からも同じこと同じ日に言われたし、母親はさらに手紙も音読していろいろ言っていた。
自宅の近くだから用心するんだぞと、あまり外で遊んじゃ駄目だぞと。
はっきり言ってその時の私は修了式の校長先生の話が長くてそこまで真剣に聞いてなかったし、
早く遊ぶことしか考えてなかった。
私は目撃情報に危機感も抱かずに、いつものようにのんきに考えていた。
夏休みの中盤、8月の中旬。うだるような暑さと虫の声、陽炎がゆらめきカンカン照りの太陽が照りつけたあの日。
私はいつもの様に家事に忙しい母親に代わって買い物を頼まれ、
熱中症と不審者が危ないから寄り道しないで帰りなさいとも言われた。
父はこれまたいつもと同じように自分の部屋でパソコンとにらめっこしていた。
めんどくさいなと思いつつ、水筒と少しのお金を持たされた私は近所のスーパーに買い物に行った。
スーパーの中は冷房が効いてて気持よく、
頼まれた買い物もそこそこにしばらく涼むためウロウロして、
なんとなくまだ帰りたくなかったので言いつけも守らずに公園に寄った。
木陰で座ってしばらく地面を見てボーッとしてると、いきなり小銭の落ちる音。
自分の目の前に転がってきたので拾い、転がってきた方を見る。
おとなしそうなお兄さんが財布を持ってなにか探しものをしてウロウロしていた。
なんとなく察した私がすぐ駆け寄って渡すと、
「ありがとうございます!落としたけど見つからなくて・・・」
とバツの悪そうな笑み。
半袖のチェック柄Yシャツ、ジーパン。ドコか頼りなさそうだけどいい人そうだなとその時は思った。
礼を言われたら照れてどうしていいのかわからなくなる私は、
、どういたしましてという言葉を早口ですこし緊張しながら言って早々に立ち去ろうとした。
早く家に帰らないと怒られるのもあった。
すると、
「お礼にコレあげるよ。
いつもいい子そうだなって思ってて、これが渡したくてねいつも・・・」
渡されたのは一冊の本。
「お兄さん、この本なあに?」
たしかそう言った。
そうすると、そのお兄さんは狐憑きにあったかのごとく人が変わったようにいきなり、
「みんなが幸せに生きられる方法が書いてあるんだよ!」
そう言ったことをよく覚えている。
大声ではっきりと皆に聞こえるかのように、発した一言。
その目は輝いていたが、どこか、死んだ魚のように濁り
何か遠くを見ているような焦点のあってない感じがして怖くなった。
それはほんの一瞬のことで優しそうな眼差しにすぐ戻ったが、
もとに戻った後も私をじっくりと観察しているようだった。
まるで私のことを前から知ってるかのような、年の離れた妹を見てるかのような目つきだった。
言った言葉の意味はわからなかったし言葉と目つきがちょっと怖い気もしたが、
変なものではなさそうだし、せっかく貰い物をしたわけである。
そこだけはやけに律儀だった私はとりあえず礼をして立ち去った。
家に帰ると両親はリビングでバラエティ番組を見ながら寛いでいた。
明るい笑い声とともに、おかえりの一言が2人から。
なんで遅かったのか、と母親が私に。
普通に買い物してたよ、と私は返した。
冷房涼しかったんでしょーとニヤニヤさながら返されてうろたえた。
まあまあ、となだめる父親。
母親が変な人見なかったか気持ち悪くないかとかいろいろ聞いてきたが、
帰ってきた私はものすごく汗だくで、肌にシートのように張り付く衣服が気持ち悪く、
しかもとても眠かった。体調は良かったけど。
そのためとりあえずさっぱりして寝ようと、話もそこそこ切り上げてお風呂に入った。
公園でお兄さんとあったこと、本をもらったことも言わずに。
お風呂から上がると眠かった私は、自分の部屋でお昼寝をした。
プライバシーを尊重する我が家は自分の部屋には鍵がついていて、
まだ小さかった私でも鍵をかけて眠りにつく習慣があった。
天気だった外は曇り。
今にも空から雨粒が落ちてきそうなほど重たくのしかかる空。
まるで嵐の前の静けさのような静寂。
それが、数時間後の私達の未來を暗示してるとはその時夢にも思っていなかった。
いろいろ明らかになってまいりました。
長くなりそうなので幾つかに分割して構築することにしました。