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鉄が出演した作品に「剣聖」というものがある。
主役では無かった。武士では無いのに刀を持ち、人を斬って日銭を稼ぎ、人を斬って女を買う、そんな影のある主人公の敵役を熱演した鉄は容貌も相まって一躍スターになった。
それももう50年以上前も話だ。
警察についた。
刑事課に通される。すぐに、中島を見つけた。昔と比べて腹も出たし髪も白くなっているが、あのやんちゃだった俊一だと一目で分かった。俊一のおとっつぁんと瓜二つだ。
自分への視線に気付いた中島は、視線の元に目を向け死ぬ程驚いた。
「鉄さんとうとう死んで化けて出たのか!?」
「何言ってやがる!俺ぁは死んじゃいねぇ!」
二人のやり取りを目撃した他の警察官たちはあっけにとられる。あの、鬼の中島課長が、たかだか20歳そこそこの男に一喝されている。
「!?え、じゃあ孫か何かか?いや、でも俺って…」
「階段から転げ落ちてな。
気を失って、目が覚めたらこの通り。若返った。」
「は?……いや、冗談は良くないぞ坊主。
警察からかっちゃダメだ。」
「なんだてめえ俊一!信じねえのか!?
美代ちゃんにお前の性癖ばらしてやらあ!!」
「は!?」
「美代ちゃんのリコーダー盗んだのはてめーだってばらしてくる!!」
美代とは、中島の恋女房だ。小学生の時から片思いしていた。
鉄はよく中島の恋の相談を受けていた。大学の時にようやく口説き落とし、そのまま結婚。鉄は二人のために披露宴でスピーチもした。
「ちょ!」
なぜ知っている!
「なんだ。」
「わ、分かった。分かりました。いいから座ってくれ。」
「おうよ」
中島のデスクのすぐそばにキャスター付きの椅子を持ってきて、鉄はドサッと座った。
「…じゃあ、まず、身分証明書を見せて欲しいんだが…」
「年金手帳と免許証くらいしかねえぞ?」
「…本当に鉄さんなのか?」
「まだ信じねえのかい。
おまえさんのやらかした高校ン時の武勇伝やら、良樹とやった悪さやら、おまえのおとっつぁんの話やら、なんでもいいぞ。
わししか知らんようなやつを話してやろうじゃねえかい。」
何がいい?
お前の若え頃のあだ名とか?お前が高校の時に俺ンちに泊まって良樹に誘われて屋根登ったときの話とか、美代ちゃんが子供生む時あんまりに痛そうだったもんだからお前は見てるだけだったのに失神しちまった話とか、なんでもいいぞ?
そう鉄が言うと中島の顔が青くなった。
たしかに当時自分の周りに居た人、近しい人ではないと知らないような事を知っている。
「わ、わかった、鉄さんなんだな?本当に鉄さんなんだな?」
「おーよ。
若ェ頃のまんまだ。俺だってビックリしてンのヨ」
「で、なんでここに居るんです?」
「家の前にひったくり野郎が通ってよ、玄関に置いてた箒で叩きのめしてやったのさ。」
「な!鉄さん、ちゃんと手加減してやったか…!?」
「するわきゃねえだろぉが。」
がくりと中島は項垂れた。
若い頃の鉄はそれはもう強かった。
殺陣の練習のために剣道をならっていたのだが、もともと腕っ節の強かった鉄はメキメキと上達し、剣道の先生には『あんたは続けりゃもっと強くなれるよ。時代が時代だったら良い侍だったろう』と言われていた。
そんな鉄にしごかれたおかげで、剣道で大学に進学したようなもので、中島は鉄の実力を身を持って知っている。
「まあ、たかだか箒で叩いた程度サ。
原付で転んだ時に靭帯やらやってるかもしれねェが、大したこたぁ無いよ。」
「はぁ…」
「あ、そうだ、美代ちゃんと娘の…幸代ちゃんだっけ?元気にしてんのかい?」
「おかげさんでね…」
49歳と、もう中年でビール腹の親父だが、今の数分でそれ以上に一気に老け込んだ。
「はっはっはっ、お前さんも俺と同じように階段から落ちたら人生変わるかもなあ!」
「…しっかしなんでまた、若返ってんです…」
「知らねえよォ。
こっちもこれからどうした良いもんか、決め倦ねてんの。
葬式用の金やら遺言やら、全部きっちり準備したっつうのに、
この体じゃあと60年は死にそうにねぇ。」
あのまま階段から転げ落ちてぽっくり逝けりゃ楽だったんだが。そう言うと、少し中島は寂しそうな顔をした。実の親より濃い時間を過ごした鉄は、中島にとって第二の父親で、そして年の随分と離れた兄貴だった。
「剛さんとか良樹とか清子ちゃんとかには連絡しました?」
「それが、若返ってからすぐにあの大立ち回りでなあ。」
「してないんですね…じゃあ良樹に連絡します。良樹が役に立つかはわからないですが、剛さんは医者だし、清子ちゃんは大学の研究員だ。なんか分かるかもしれない。」
「すまんな、俊一!何から何まで!」
「はぁ…」
それからさっさと家に帰り、風呂を沸かして飯の仕度をした。時計の短針が9を指している。腹も十分に満たし、寝ようとした。
しかし、体が若くなった分体力が付いていた鉄は、どうも眠れない。
もう9時だと言うのに、いつものように眠くならない。
テレビを付けても自分好みの番組はやっていない。
ニュースとお笑いとドラマとトーク番組。
芝居はなんでも好きだしドラマを見るのも良いが、最近の女子高生やOLが主人公の女性向けラブコメや、変に小難しい言葉ばかり使ったサスペンスものは、どうにも見る気にはならなかった。
ーーーそうするとやっぱりナンプレとクロスワードだな。
ナンプレの問題集を取り出し静かに解き出した。
しばらくして玄関の戸がダンダンと叩かれる音がした。最初は風か何かかと思ったが、一定の間隔でその音は鳴り響く。どうやら誰かが戸を叩いているらしい。
「誰でぇ、こんな夜更けに。」
そしてガチャガチャと音を立てて戸が開く。
「入るぞ!」
「親父無事か!?」
「父さん!」
「あ?」
「は?」
「え?」
「へ?」
入ってきたのは鉄の可愛い3人の子供たちだった。
「おう!お前ら久しぶりだな。」
「…父さん?」
「?おう。」
「俺は幻覚を見ているのか?」
「お前にも見えているのか?」
「ぷ、プラズマよ。幽霊なんて存在するわけないわ。」
「何ブツブツ言ってやがる。
ま、せっかく来たんだ、まあ座れや。」
自分が昔の姿になっているだなんてことは忘れ、子供たちを中に招き入れ座布団を出してやる。
「で、どうした?わざわざ何しにきたんだ?」
長男、剛は東京の大学病院で医局長をやっている忙しい男だ。性格は実直で分かり易く、子供の頃は家族全員から剛はおちょくられていたが、真面目で頼りがいのある男だ。
次男、良樹は大手家電メーカーの本社で働く営業部部長。これまた忙しい男だ。母譲りの器用な性格に父譲りの顔は営業にとても役立っている。少しいい加減で物臭なところはあるが、それも個性というものだろう。
末っ子、清子はとある大学の研究員をやっている。3人の子持ちでバツイチな清子は剛と良樹とはまた別の意味で忙しい。学会誌に論文が載るような優秀な研究員でありながら、子供のために毎日弁当を作るやり手のママである。
この三人がそろって家にやってくるなんて、何年振りだろうか。
今にも泣きそうに清子が口を開く。
「父さんが、階段から落ちて、大変って良樹くんから聞いて…」
続いて、眉間に深い皺を作った剛も口を開いた。
「俺もそう良樹から…」
頭を掻きながら居心地悪そうに良樹も口を開いた。
「俺は俊一から、親父が階段から落ちて、よみがえったとか、若返ったとか聞いて、よく分からないけど、落ちたっつうのは大変だって…」
「あ!そうそう、おめえらに連絡結局入れんの忘れてたなあ!わりぃなあ。
ほれこの通り、若返ったんだよ。
いやーすっかりお前らよりも若くなっちまったなあ」
ニッコニコと鉄は言った。
「「「は!?」」」
しかし、現代人の、それも知識人やそれなりの地位に立つ子供たちが、そんな世迷い言に付き合うはずも無く、
「いやいやいや、あり得ないだろう、お前誰だ、新手の詐欺か、」
「最近の詐欺、進化しすぎだろう」
「すごいわ。こんな精巧な整形ができるなんて。」
三人で盛り上がり始めた。
「めぇら!!詐欺ってなんだ、信じねえのか!自分の親父の言う事をよぉ!!」
と、鉄が喚くも、
「すごいな!口調までそっくりだ。ここまで研究すんの大変だったろうな。」
「でもここまで整形して、口調まで研究して…この家にそんな凄いものあったかしらね。」
「俺たちから金を巻き上げる算段だろう。」
などと、まったく取り合わない。
「そこに直れえ!!」
腹の底から鉄は叫んだ。
子供たち三人はビックリして、条件反射のように姿勢を正す。若い頃の鉄が怒った時と同じ声音と口癖だ。
「おい、てめぇら…俺の目ェ見ろ。
俺が嘘ついてる目に見えるか?あぁ?
どうなんだ。言ってみろ。」
詰め寄られて焦った良樹が口を開く。
「み、見えないです…」
「そうだよなァ?見えねぇよなァ?
ったくよぉ…
俺から連絡入れなかったのも、俊一が正確に良樹に伝えなかったのも悪かったサ。
しかしよぉ?俺は芝居やっても嘘なんざつかねえ。それはてめぇらに見せて生きてきたと思ってたんだがね?」
外見は大昔、母親が見せてくれた映画のチラシに描かれた父親そっくりで、言っている内容も、母親が健在で自分達もこの家に住んでいた頃の説教の内容を思い出させる。
「ほ、本当に、本当に父さんなの?」
「おう。
今なら一人一回の拳骨で許してやるよ。」
ニカッと笑うその姿も、がつんと女子供にも容赦ない拳骨も、若い頃の父と同じだった。
「俺たちもう40代なんだから容赦してくれよ!」
「はんッ!
俺がおめぇらくらいの頃、まだ俊一のおとっつぁんと本気の殴合いの喧嘩してたヨ。その程度なんだってンだよ。」