27-03 最終段階
恒常性の維持、という言葉がある。
本来は、生物が持つ自己保存の機能として使われることが多い用語だ。
暑い時には発汗作用で、寒い時には震えを起こすことなどで、体温を一定に保ったり、血液のpHを一定に保ったりする作用のことである。
これを受けて、室温や湿度などの環境を一定に保つことに転用する場合もまれにある。
そして仁は、その考えに行き付いていた。
「フィードバック、か……」
温度が上がったら下げ、下がりすぎたら上げる。湿度も同じ。
また、酸素濃度が下がったら上げ、上がりすぎたら下げる。
仁は、こういった機能を持つ魔導機を作ろうとしていたのである。
そしてこれは、宇宙服内部の環境維持だけでなく、宇宙船内部にも応用できる技術である。
「温度だけならサーモスタットを使っているんだよな……」
この技術の鍵を担うのはセンサーである。
つまり、温度、湿度、酸素濃度、CO2(二酸化炭素)濃度などをできるだけ正確に検知するセンサーが必要になるということだ。
これは、仁にとってもなかなかの難題である。
「酸素と二酸化炭素は『分析』の魔導具を応用すればできそうだな」
危険なガスなども検知できるだろう、と仁は考えていた。
「温度と湿度か……」
特に温度が難しい。湿度は0パーセントから100パーセントの間で振れるだけなので、『分析』の応用でできそうな気がしている。
しかし温度は、数値化する基準が無いため、相対的にしかわからないのである。
魔法を使えない者にもわかるように言うと、湿度なら、『0と100の間のこれくらい』といった感じでわかるのだ。
しかし温度はそういう基準点が無いため、術者が設定する必要があるのだ。
で、その『設定』が難しい。『このくらい』としかできないため、仁であっても、10回設定を行った場合に同じ値になることは皆無といっていいほど高難度なのである。
「やっぱり0℃と100℃かなあ……」
「難しいですね、お父さま」
「……何か考えごと?」
仁と礼子が悩んでいると、そこにエルザがやって来た。
「あれ、エルザ、カイナ村の方は?」
久しぶりに子供たちにミーネと一緒に勉強を教えていたはずなのである。
「もう終わった。……ジン兄、まさか!?」
「え!?」
仁は思わず工房の窓を見た。真っ暗である。午後6時を過ぎているのは間違いない。
時差を考えると、エルザはカイナ村を午後4時頃に出たのだろう。
「……危なかった」
放っておくと夕食も食べずに没頭する仁ゆえに、このセリフは当然である。
「レーコちゃん、気を付けないと」
「……いえ、午後7時になったら強制的にお父さまをお食事に連れて行くつもりでした」
礼子もわかってはいたようで、考え込む仁の邪魔をするのはギリギリまで待つつもりだったようだ。
食事の仕度はルーナとソレイユが済ませてくれていたので、エルザと仁は食卓に着いた。
「蓬莱島のご飯、美味しい」
「ああ、美味いよな」
「恐縮です」
夕食を担当したソレイユが頭を下げる。
カイナ村の主食は麦系(パンやお粥)なので、お米のご飯はなんといっても蓬莱島、なのである。
海水から取ったにがりを利用した豆腐や、北の海からマーメイド隊が見つけてきた昆布を使った出汁もここならでは。
食後のお茶も、テエエ・カヒィ・ペルヒャ茶・緑茶・紅茶・ほうじ茶・玄米茶と揃っている。
今回はほうじ茶である。
「……おいしい」
ちゃんと飲み頃に冷ましてあるお茶をすすりながら、仁はエルザに話しかける。
「さっきの話だけどさ、温度センサーをどうやって作ろうかと悩んでいたんだ」
何に使うのか、というところは省略したが、エルザは薄々勘付いているようだ。
「……基準が無い、ということで悩んでいた?」
さすがである。エルザももう超一流の魔法技術者であるから、仁が何を悩んでいるのか見当が付いているようだ。
「温度は、基準点が無いと、制御しづらい」
「うん、そうなんだよ」
「……確かに、難しい」
その後、エルザも無言になり、考え込んでしまった。
「要は、基準があればいいんだよな……」
ここで、仁は一つのアイデアを思いついた。
「そうか、基準だ! 20℃とか30℃の状態を魔結晶に記憶させて、それを使えばいい」
電気回路でも、基準電圧を作って比較する場合があるが、それに似た発想である。
「それなら、できそう」
「あとは、温度をどういう情報として記録させるかだ……」
これまた難しい問題である。
湿度なら一定空間内の水分子、というように定義できるが、温度となると……。
再び考え込む仁とエルザ。
「温度計しかないか……」
結局はそこに落ち着く。
「温度計の目盛りをゴーレムの目で監視して判断する、というのが一番単純、というか簡単に作れるんだが……」
どうにもスマートではない気がする仁。
「他の方法で温度計を作れないか考えてみよう」
現代日本にも、水銀やアルコールを使った温度計以外にも、色々な方式の温度計がある。
熱電対と言って、異なる2種の金属を接合させて作るもの、赤外線を使った放射温度計というものがある。
「そうか、赤外線だ!」
別名を熱線ともいう、波長が700ナノメートルより長い電磁波であり、残念ながら人間には見ることができないが、礼子は見ることができる。どんな色なのか、想像もつかないが。
だが、確かに、礼子たち自動人形やゴーレムには『見る』ことができるのである。
「室温の時の『色』を覚えさせて、その『色』を維持するように制御すればいい」
「……ジン兄、難しくてわからない」
仁の説明を、理解しきれないエルザ。
「あ、ああ、済まない。……そうだな、エルザに、最終段階の『知識』を持ってもらう頃かもな」
何度かの『知識転写』を経て、今のエルザは現代日本でいう高卒レベルの知識を持っている。
最終段階というのは、仁がこれは、と厳選した雑学を含めた専門知識である。
SF小説やアニメ、マンガから得た知識や、新聞、TVなどで知った知識、社会人になって研修で習い憶えた知識がそれである。
その中から、覚えるに値すると仁が厳選した知識、それが最終段階であった。
仁は全属性の魔結晶を、壁に取り付けた保管庫から取り出し、もう1つの魔結晶と一緒にエルザに差し出した。
「エルザ、これが最終段階の知識だ。受け取ってくれるか?」
もちろん、仁が持つ知識の全て、というわけではない。知らなくてもいい知識は含まれていないのである。
「……はい、喜んで」
エルザは、これにより、更に仁の手伝いができると、躊躇うことなく魔結晶を受け取った。
そしてすぐに、もう1つの何も記録されていない魔結晶に情報を移す。
「『知識転写』」
こうして、エルザ自身の魔力パターンに変換された情報は、直接読み取り、頭脳に取り込むことができるようになるのだ。
「『知識転写』」
エルザは、その魔結晶から己の頭へと情報を転写した。
「……」
厳選された知識ゆえ、大きな負担にはならないが、それでも、いきなり増えた知識により、少し混乱するエルザ。
だがそれも、時間と共に落ち着いていく。
「……ありがとう、ジン兄。これからも、よろしく」
「ああ、エルザ。これからも、ずっと一緒だ」
「……ん」
珍しく仁の口から発せられた『らしくない』言葉に、エルザは少し頬を染めながら頷いたのである。
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20150927 修正
(旧)カイナ村を午後4時頃出たのだろう
(新)カイナ村を午後4時頃に出たのだろう
(旧)センサ
(新)センサー
2箇所修正
(旧)持ってもらう頃合い
(新)持ってもらう頃
(誤)熱電対と行って
(正)熱電対と言って
(誤)躊躇うことなく魔結晶受け取った
(正)躊躇うことなく魔結晶を受け取った
20181003 修正
(誤)どんな色なのか、想像も着かないが。
(正)どんな色なのか、想像もつかないが。
(誤)最終段階の『知識』を持ってもらう頃合いかもな」
(正)最終段階の『知識』を持ってもらう頃かもな」
修正されていませんでした