26-01 春の味覚
「ほら、あれが沙漠だ」
「本当に岩と砂ばかりなんだね!」
「……興味深い眺め」
仁とハンナ、エルザは塀の上からハリハリ沙漠を眺めていた。
ここはショウロ皇国の西の端にあるイスマルの町。
周囲を5メートルほどの高さを持った石造りの塀に囲まれた町である。この塀は沙漠に棲む『砂虫』から町を守っているのだ。
塀の厚みは1.5メートルほどもあり、平時は上を歩くこともできる。
仁たちはその上から沙漠を眺めていたのである。
仁、エルザ、サキ、そしてハンナは、仁が作った自動車に乗って西を目指していた。
『コンロン2』より遅いが、その分、行く先々の町をゆっくりと眺められるという利点がある。
付き従っているのは礼子、エドガー、アアル。中でもエドガーは、運転手を務めてくれていた。
ハリハリ沙漠の南端でもあるイスマルの町は、環境がかなり特殊なので、数日滞在して行くことにしていた。
「お父さま、サキさんとアアルがやって来ます」
目のいい礼子が、遠くに2人の姿を認めたようだ。
それから10分、サキとアアルは塀の下までやって来た。
「くふ、ジン、ほら、面白い植物だろう?」
サキはアアルと一緒に沙漠探検(といってもほんの入口付近だけ)をして帰ってきたところだ。
「……サボテンか?」
アアルが手にしていたのはトゲだらけの多肉植物。
サボテンの一種か、そうでなくても乾燥する気候に適応した植物だろうと思われる。
「うーん、ちょっとわからないな。でも、標本にして分類していきたいものだよ」
サキも、仁から現代日本の高校生レベルの知識を得ている。とはいえ、それがそのままこの世界に当てはまるわけでもない。
「まあ、そういう作業も楽しいんだけどね!」
仁の自動車には、四つん這いになれば人間も移動できる大きさの超小型の転移門が備え付けられている。それを使って蓬莱島に送れば老君が標本にしてくれるというわけだ。
「しかし、この格好は暑いね!」
フードを跳ね上げ、サキがぼやいた。
今、一行は皆、フード付きのマントを羽織っている。砂の侵入を防ぐためだ。だが、日射しが当たると中が蒸れて暑い。
じっとしていれば耐えられる程度ではあるが、ずっと歩いて来たサキは汗だくになっていた。
午後の日射しがじりじりと照りつけ、気温は摂氏25度くらい。
乾燥しているから日陰にいれば快適なのだが、いかんせん砂避けのためにフード付きの長袖長ズボン姿だ。しかも袖口と足首部分が紐で締めてあるから服の中が蒸れてしまうのであった。
「じゃあそろそろ宿に帰るか」
「うん」
「賛成!」
彼等は、イスマルの町で今一番大きな宿屋、『砂の薔薇亭』に泊まっている。
部屋、料理に不満はない。だが唯一の不満はやはり『水』だ。沙漠にほど近い立地上、水利が悪いのである。
風呂はもちろんのこと、シャワーすらない。体を布で拭くのがせいぜいである。
「我慢できなくなったら蓬莱島へ行こう」
「くふ、なんというか、『ジンと一緒の旅行ならでは』だね!」
以前は面倒くさがりのサキだったが、温泉の快適さに目覚めてからはすっかり入浴好きになってしまっていた。
今日は4月5日。
最後に風呂に入ったのは3日、礼子の誕生日を祝うため蓬莱島へ戻った時である。
風呂に入れなくなってまだ2日目なので、今夜は体を拭くだけで済ませておくことにした。
「くふ、昔を思い出すね」
アアルに背中を拭いてもらいながらサキが呟く。
「……サキ姉、自慢にならない」
ハンナに背中を拭いてもらっているエルザが少し呆れたように言った。
「温泉、きもちいいもんね!」
「うん、ハンナちゃん、同感」
今度はハンナの背中を拭いてやりながらエルザが答えた。
借りた部屋は大部屋と小部屋の2部屋。仁と礼子が小部屋で、後のメンバーが大部屋だ。
仁はといえば、体を拭き終わり、今度は礼子の髪をブラッシングしてやっていた。
「お父さま、ありがとうございます」
久しぶりに仁と2人きりで過ごしている礼子はご機嫌である。
「先日も、わたくしの誕生日を祝って下さって」
旅先ではあったが、仁は礼子と一緒に蓬莱島に戻り、礼子の身体をオーバーホールしてやったのである。
「ああ、これからもよろしく頼むぞ」
「はい。お父さまに、そしてまだ見ぬお父さまのお子様に、この身を捧げます」
「お、おい」
「ふふ、お父さま、早くお子様を抱かせて下さいね」
こんなセリフが出ると言うことはエルザのことを完全に認めたのだろうか、と仁は安心したのである。
翌朝早く、仁はイスマルの町を散歩しに出掛けた。お供は礼子のみ。
女性陣は皆、まだ寝ているようなので起こすのも可哀想だと、そっと宿を出て来たのだ。
沙漠が近いせいか、朝の空気は冷たく冴えており、フードを被っていても少し寒い。
「お父さま、その先が鰹節を手に入れた、オリヴァーさんのお店ですね」
「ああ、あそこなのか」
なかなか立派な店構えだ。聞くところによると、ミツホとの最初の交渉時、使節団に同行したらしい。
店を覗いてみたいとは思うが、まだ開店時間には早すぎるため、仁は素通りしてその先へ。目の前は町を取り巻く塀となる。
「おや、これは……」
塀の下にある土手状に盛り上がった場所に、昔懐かしい植物を見つけた。
そっと指先で摘んでみる。細かい軟毛の密生した、菊の葉に似た小さな葉。
「間違いない、『ヨモギ』だな」
見渡せば沢山生えているではないか。
仁は礼子に手伝わせて、二掴みほどを摘んだ。それ以上は乱獲になりそうなのでやめておく。
「お父さま、これをどうなさるのですか?」
「春の味……草餅を作るんだ」
大昔はハハコグサを使ったというが、今はヨモギを使うのが一般的である。
仁が院長先生に習ったレシピはというと。
1.洗ったヨモギを茹でる。その際、塩少々と重曹ひとつまみを入れる。
2.茹でたヨモギを冷水にさらし、すり鉢ですり潰す。
3.上新粉(うるち米の粉)を練りあげ、お湯で茹でる。
4.すり潰したヨモギと一緒にして、すり鉢で混ぜ合わせる。
5.食べ頃の大きさに丸め、黄粉やあんこを付けて食べる。
というもの。もち米に搗き込むやり方もあるのだろうが、施設には臼も杵もなかったので、草餅と言えばこれだったのだ。
「懐かしいな」
仁も随分手伝わされたものだ。ヨモギを取ってくるのは年少の子で、仁は主にすり鉢担当だった。
「朝食には間に合わないだろうが、お昼には間に合うだろう。礼子、上新粉とあんこ、それに黄粉を取り寄せてくれ」
もちろん、蓬莱島からである。
蓬莱島には赤目豆、丸豆のストックもたくさんあるからだ。
宿の食堂を使って草餅を作ろうと仁は考えていた。
「お父さま、それならいっそのこと蓬莱島でお昼になさったらいかがですか?」
上新粉は保存が利くので持ち歩いていたと言い張れるが、あんこと黄粉はどうであろうか。
そこまでするなら、無理にこの町で食べるより、一旦蓬莱島に行けばいい、と礼子は主張した。
「確かにな……。でもな、出先で食べるというのはまた格別なんだよ」
家で食べなれているものでも、野外で食べると美味しく感じるという、アレである。
「でしたら蓬莱島でお作りになって、こちらでお食べになれば?」
「ああ、それならいいか」
宿の食堂にすり鉢があるかも分からないし、まして重曹などはないだろう。今のところ、重曹はカイナ村特産で、余り普及もしていないのだから。
礼子の進言に従って、仁は蓬莱島で草餅を作ることに決めたのであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
20150727 修正
(旧) 朝の空気はひんやりしており、フードを被っていてちょうどよい。
(新) 沙漠が近いせいか、朝の空気は冷たく冴えており、フードを被っていても少し寒い。