96-75 看護師候補生たち
さて、同26日、看護師候補生たち5人も懸命に学んでいる。
「まずは衛生について熟知してもらいます」
講師はエルザ。
「『衛生』とは『生』を『衛』ことです。主に『清潔を保つこと』を意味します」
考え方の基本である。
「では、清潔とは何か。……ナルンさん、わかりますか?」
「えっと、有害な病原体がいないこと、でしょうか」
「半分正解です。……アリーヌさん、補足できますか?」
「ええとー……わかりません」
「では、分かる人」
紅一点ならぬ黒一点(?)、ライモンド・ド・ヴァレンシアが手を挙げた。
「では、ライモンドさん」
「はい。有害な物質もないこと、ではないでしょうか」
「正解です。具体的な状態を思い浮かべてみればわかるかと思います。……泥まみれの状態などはわかりやすいでしょう?」
「あ、そうか」
「確かにそうですね」
「泥の中に病原菌や毒物が混じっている可能性がありますものね」
……と、このようにして、午前中は講義中心の授業である。
そしてこの日の午後は実習だ。
まずは傷口の洗浄の練習。
『魔導樹脂』を使ってエルザが作った人体模型を使う。
講師はリシア。
戦場での実践経験が豊富なので、よい講師である。
「生食……『生理食塩水』を使って傷口をよく洗い流します。この時、生食をいわゆる人肌に温めておくとなおいいでしょう」
「生理食塩水がない場合は水でもいいですか?」
「外傷の場合は大丈夫です。ただし、清潔な水、できれば蒸留水……は無理にしても、一旦煮沸してゴミをろ過した水や『浄化』を掛けた水が望ましいです。それもないなら、飲料水でもいいでしょう」
「外傷の場合とおっしゃいましたが、それ以外というのはどういうケースですか?」
「内臓の手術や、複雑骨折の時です」
その理由として、生きた細胞は細胞内部と同じ浸透圧でないと活動できなくなるから、である。
外傷の場合は、浸透圧の差などは大したことではない、ぶっちゃけていえばもっと傷に悪いことを沢山しているからこの程度ではほとんど問題にならないというわけである。
「もっと悪いことって何ですか?」
「『傷口の乾燥』『傷口の執拗な消毒』『傷口をこする』などですね」
「ええと、消毒はしてはいけないんですか?」
「『執拗な』です。例えば破傷風の心配がある時は消毒が必要ですし、膿を出すために切開した傷口は、症状によっては生食による洗浄だけでは済ませない場合もあります」
ただしそのあたりの判断は『医師』が行うので、医師がいる場合はその指示に従うことが望ましい、とリシアは言った。
「ですが、その医師が間違った指示をした場合は?」
「最優先すべきは患者の健康です。医師といえども人間、間違うこともあるでしょう。ですから盲目的に従うのではなく、限界はあるにせよ現場での判断も要求されます」
「……」
リシアの言葉を聞いて無言になる生徒たち。
「……ちょっと理想を述べすぎたかもしれません。ですが、そのくらいの覚悟を持って患者さんと向き合ってください」
「……はい」
「……わかりました」
リシアも『医師』としての心構えに近いものを要求してしまったことに気付いたので、すぐにフォローした。
「ええ、では、傷口を洗浄した後の手当について、説明します」
傷口がきれいになったら、消毒したガーゼやハンカチなどを当て、圧迫する、と模型に対して実践して見せる。
「これを圧迫止血、といいます」
「それでも血が止まらない時はどうすればいいんですか?」
「傷口よりも心臓に近い側の動脈を圧迫します。ただしこれは応急処置ですから、速やかに治療を行わなければなりません」
「治療って、具体的にはどうするんですか?」
「『医療魔法』であれば外科系の魔法を使います。手術であれば動脈を一時的に結紮して血流を止めた後に切れた部分を吻合します」
要するに、一時動脈を縛って血を止め、血管同士を縫い合わせる、ということである。
「手術は『医師』の仕事ですが、緊急時はそうも言っていられません。動脈の結紮くらいはできたほうがいいですね」
「……」
「ああ、また厳しいことを言ってしまったようですが、人の命を預かるということはそういうことです」
「はい」
「わかりました……」
そんな風にして午後の講義も進んでいったのである。
* * *
午後3時に休憩を挟んで、午後5時まではミーネの指導で患者の世話の仕方を教わることになる。
「基本は清潔なベッドメイクからです。患者さんが気持ちよく寝られるよう、きちんと整えましょう。シーツは清潔なものを使ってください」
これは、侍女経験があるフリーデ・ガイニス・フォン・クラウダが手慣れていた。
「患者さんの症状によっては、足を少し高くしたほうがいい場合や、逆に頭を高くした方がいい場合もあります。ベッドにそうした機能があればいいですが、ない場合には毛布やクッションを使って調整します」
「ああ、なるほど」
「それから、寝たきりの患者さんは『床ずれ』と言って、背中や腰の一部分が擦れたり当たったりして赤くなったり、酷いときには皮膚炎を起こすことがあります。ですので1日に2回から4回くらいは姿勢を変えてあげましょう」
「そういう気遣いも必要なんですね……」
「そうです。患者さんには家族のように接する、そんな気持ちが大切ですよ」
「わかりました」
ミーネの指導はわかりやすく、好評である……。
* * *
そして、時間外には講師たちの反省会が行われた。
「……ちょっと、厳しかったでしょうか?」
「ん、ちょっと。リシアさんは『救護騎士』だったから、要求が厳しいのかも」
「あ、そうかもしれませんね。気を付けないと」
騎士の心構えを一般の貴族の子女に要求するのは酷である……。
「母さまの指導はわかりやすいって好評、だった」
「だったら嬉しいわね」
「エルザさんの講義もちょっと難しかったのでは?」
「ん、反省。もう少し基礎教育を行わないといけないみたい」
指導者側もこうして苦労しているのである……。
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