85-10 出発と道中の講義
5月12日朝の8時、仁、エルザ、礼子、サキ、グース、ゴウ、ルビーナ、メルツェらを乗せた『ハリケーン』はロイザートの屋敷を出発した。
「……」
「グースは相変わらず高いところが苦手なんだな」
船室の真ん中辺、窓から最も遠い席に座ったグースは目を閉じて座っている。
「同じ高いところでも、山の上は平気なのにな」
「……足が地面に付いていればいいんだよ。でも谷底を覗き込むのは無理だ」
「ここだって足は床に付いているだろうに」
「……そういうことじゃないんだ」
「ジン、そういうことじゃないんだそうだ」
サキはサキで、グースのことをよくわかっているようだ。
……理屈じゃないことを。
「まあ、しばらくはそっとしておいてやってくれ」
「……うん、わかった」
それで、グースのことは見ないふりをして、仁たちは眼下の景色を眺めることにした。
ロイザートと、目指すクェント村の緯度は、ほとんど同じ。なので『ハリケーン』は真東に向けて飛んでいる……というわけではない。
「ああ、アルスは球体だからね!」
その話をするとルビーナがわかったとばかりに声を上げた。
「そういうことだ」
「そうなんですね」
「え、どういうことですか?」
ゴウは理解したようだったが、メルツェはよくわからなかったようだ。
そこで、仁は備え付けのアルス儀を棚から取り出した。
「ほら、これを見てごらん」
ロイザートの緯度は北緯25度くらいなので、(偽)メルカトル技法で描かれた地図との差はあまりないが、それでも2点間を結ぶ直線が、アルス儀と平面の地図とではずれるのがわかる。
「こっちが実際に直線で飛ぶルート。これを平面の地図に写すと……」
「曲線になるんですね」
「そういうことだな。2点間の距離が短いならほとんど差はないんだけどな」
「わかります」
「ただ、こっちの地図は、東西南北がきちんと四方に配置できるというメリットがあってだな……」
この機会に仁は、メルツェに地図と航法の基本を教えていた。
* * *
「うん、素材の工学魔法的な強化はジンのほうが詳しいだろうけどね。素材の開発についてはいろいろ聞いてくれていいよ」
一方でルビーナはサキにいろいろと質問をしていた。
「どこに使ってもいいというような素材はありえないからね。まずはいろいろな素材の物性を理解して、適材適所というか、長所を活かす使い方ができるようになるといいと思うよ」
「なるほど……勉強になります!」
「うん。でだね、やっぱり一度は使って、その素材の性質をじかに感じるというのは大事だと思うよ」
データを覚えただけで性質を知った気になっていてはいけない、とサキは言った。
「天才肌の子によくあるんだよ。データを覚えただけでわかったような気になる、ということが」
「……ちょっと、耳が痛いです」
「データはあくまでも代表値だからね。例えば為人なんて、言葉だけで説明できるものじゃないだろう?」
「はい、それはそのとおりですね」
サキの説明を聞いていたルビーナは、いつの間にかしおらしく耳を傾けていた。
メルツェに説明しながら仁はその様子をちらりと見て、ルビーナにとっていいことだ、と思っていた。
* * *
さて、ゴウはどうしているか。
ゴウは珍しくエルザにいろいろと質問を行っていた。
主な内容は『治癒魔法』についてである。
実は、先日工房でいろいろと試験をしていた時にうっかり指を切ってしまい、その際に自分で『癒し』を掛けたことを話したら叱られてしまったのだ。
「傷口を浄化しないで治癒魔法を使っては、駄目」
と。
そのことについて、詳しい理由や応急手当の方法を教えてもらっているのだった。
「傷口に汚れや雑菌が入らないよう、きれいな水で洗ってから『癒し』を掛けないと駄目」
「……はい」
「その水は水属性魔法で出すのが最も適している。無菌だから」
「わかりました」
「大きな怪我をした際も注意。まず、細胞内のカリウムが一時的に血液に溶け出すと、『高カリウム血症』となって、特に心臓の筋肉の働きが低下する可能性がある」
「ど、どうすればいいんですか?」
「治療薬がない時は、水をたくさん飲ませること」
そうして血液中のカリウム濃度を薄めると共に、尿にして排出することができるとエルザは説明した。
「だから、『治療措置』で内臓の働きを活性化するのも有効」
「ためになります」
「ん。外で怪我をすることがないとはいえない。だから、応急処置を覚えていて損は、ない」
「はい」
「で、さっきの大怪我の場合に話を戻すと、ミオグロビンという物質が腎不全を起こさせることもあるし、乳酸が乳酸アシドーシスを引き起こす場合もある」
「怖いですね」
「そう。私の兄の1人は軍人だったから、常にこうした危険にさらされて、いた」
自分だけではなく、部下や同僚が怪我をすることだってあるのだから、とエルザは諭したのである。
* * *
そうこうするうち、『ハリケーン』はアスール湖をはるか南に望みながらフランツ王国とセルロア王国の国境上を飛翔していく。
ロイザートとの時差は+3時間ほど。距離にして900キロほど。
『ハリケーン』は時速300キロほどで飛んでいるので3時間で翔破する計算だ。
つまり、到着時刻は……。
「メルツェ、計算できるかい?」
「はい。時差が3時間なので、ロイザートを出発した午前8時は現地の午前11時。そして3時間で到着ですから14時、つまり午後2時到着ですね?」
「正解だ」
「ありがとうございます」
短時間の講義であったが、実践を交えてなのでメルツェもかなり理解したようだった。
(緯度は違うけど、経度はカイナ村とほぼ同じなんだなあ……)
アルス儀を見ながら、ふとそんな事に気がついた仁であった。
『ハリケーン』は、まもなく目的地上空である。
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本日2月17日(木)は14:00に
異世界でホムンクルスになっていたのでスローライフを目指す
https://ncode.syosetu.com/n8402fn/
を更新します。
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20220217 修正
(誤)「うん、素材の工学魔法的な強化は人のほうが詳しいだろうけどね。
(正)「うん、素材の工学魔法的な強化はジンのほうが詳しいだろうけどね。




