60-20 贈り名
時は1日戻って7月6日の朝、『ノルド連邦』。
仁は礼子経由で、モーリッツに子供が生まれたことを聞いた。
すぐにでもお祝いに飛んでいきたいが、今は太上皇帝陛下のお世話中である。
「今すぐは無理だが……エルザが先行してお祝いに行ってくれるのなら安心だな」
義理の関係とはいえ……否、義理だからこそ、挨拶はきっちりしておきたいと思った仁である。
「お父さま、どちらかを『分身人形』にお任せになったらいかがですか?」
そんな仁を見かねて、礼子が提案してきたが、
「……うーん……『分身人形』というのもなあ……」
と、その案の欠点が気になる仁。
太上皇帝とモーリッツ一家。どちらかを『分身人形』に任せるべきか、を考えても答えは出ない。
「どっちにも失礼になるしなあ……」
その上、同時刻に2箇所にいることになり、そこを聞かれたら言い訳ができそうにない。
「でも、お七夜までには挨拶に行きたいしなあ……」
お七夜とは、生まれてから7日目の夜に、赤ちゃんの健やかな成長を願って行うお祝いのことである。
平安時代からつづく民俗行事だといわれ、生まれた子に名前をつける命名式を同時に行うこともある。
……ということを、仁は院長先生から聞かされていた。
自分や、施設の子供たちにはおそらく縁のなかった行事であるが、いや、それゆえに印象に残っていたのだろう、と仁は思ったのだった。
ちなみに、アルスの国々に、そういう習慣はない。
仁が、モーリッツへのお祝いのことを考えていた、その時、背後から声が掛けられた。
「どこに挨拶に行くの?」
「え……わっ、へ、陛下!?」
驚いた仁は、つい『陛下』と言ってしまう。
「だめよ、ジン君。私は『ヒルデ』でしょう?」
「あ、済みません、ヒルデ様」
仁が謝ると、太上皇帝はにっこりと笑って、
「じゃあ、どこへ挨拶に行くのか教えてちょうだい?」
と詰問してきた。
「……参りました」
どう誤魔化そうかと一瞬考えたが、太上皇帝には勝てそうもないと、仁は正直に話すことにする。
「実は、エルザの兄、モーリッツ・ランドルに女の子が生まれたそうでして……」
一応、『コンロン3』内の『魔素通話器』で聞いたことにしておく。
「まあ! それはおめでたいことね!! ……私も行きたいわねえ」
「は?」
太上皇帝は、自分もモーリッツの子供を祝福に行きたい、と言った。
「公人の時は、そんな風に特定の家を贔屓できなかったけれど、今はお忍びですものね。……ジン君なら、何とかできるのではなくて?」
「それ、は……」
できなくはない。いや、問題なくできるのだが、仁は答えを躊躇った。
が、この太上皇帝相手に隠しごとを続けられる自信もないので、
「できます」
と答えたのである。
「『コンロン3』の最高速度なら、4時間くらいでショウロ皇国に着けますし」
辛うじて、『転移門』ではなく『コンロン3』で行くことができる、ということにしておくことができたのみ。
「なら、問題ないわね。今日1日は予定どおりこちらに滞在して、明日の昼前にここを発てばいいわ」
時差もあるから、その時刻なら、7日の夕方にはエルザの実家に着けるだろう、と太上皇帝。
時差に関しては正確に理解している太上皇帝であった。
「わかりました。そのスケジュールで調整してみます」
特に問題になるようなことはないので、十分に調整可能であった。
だが。
「何か贈った方がいいのかしら?」
仁としては、自分からの贈り物はエルザに任せるつもりだっただけに、太上皇帝に聞かれたのには驚いた。
「いえ、陛……太上皇帝様がお祝いに行かれる、そのことだけで十分だと思いますよ」
「そういうものなの?」
「はい、そういうものです」
だが、まだなんとなく納得がいかない様子の太上皇帝。それが、
「ああ、いい考えがあるわ!」
と、突然何ごとかを思い付いたように声を上げた。
「贈り名を付けてあげましょう」
贈り名。
文字どおり、『贈られる』名前である。
ショウロ皇国の貴族は、成人すると『名前・姓(家名)・フォン・贈り名』が正式名となる。
成人する前は一人前とは見なされないので、『フォン・贈り名』の部分は名乗れないわけだ。
とはいえ、成人前から贈り名は用意されるのが慣例であった。
また、贈り名は爵位によって皇族または上位貴族から贈られることになっている。
ゆえに、『予め』『太上皇帝が』贈ることは別段おかしくはない……はず。なのだが。
「準男爵家に太上皇帝が贈り名を……というのは普通なのですか?」
「……あんまり普通じゃないわね」
「うわあ……」
貴族社会では、釣り合いというのは大事である。
不釣り合い、不似合いな贈り物は、周囲からの妬みの種になる。
「でも、過去に例はあるのよ。大きな功績のあった家とか、優秀な者を多く輩出した家とかね」
「あ、それならランドル家は……」
「ギリギリ常識内に収まると思うわ」
『国選治癒師』のエルザを輩出した家、ということで、大義名分は十分だろうということかな、と仁は思った。
が、それでも少し心配なので、
「エルザ本人が今現在向こうにいるはずですから、それも考慮していただけたら、と思います」
出る杭は打たれる、とも言う。仁は、再興したばかりのランドル家が、他の貴族から嫉まれるのを心配したのである。
その点、エルザ本人を介して贈り名を与える、という建前なら角が立たないのではないか、と仁は考えたのだった。
「ああ、それなら十分な箔が付くわね。エルザと『ジン君』がいるんだから」
「……はい?」
きょとんとした顔の仁に、太上皇帝は苦笑しながら説明してくれる。
「『国選治癒師』のエルザと『魔法工学師』のジン君の姪御さんなら、私が顔を出してもおかしくないわよ」
「そ、そうですか」
自分のことはすっかり頭から抜け落ちていた仁であったが、確かにそうした人脈があれば、太上皇帝陛下が関わるのもおかしくない気がする。
そして太上皇帝は、
「女の子なのよね。……なら、フォン・『ルベーラ』。どうかしら?」
と、仁に尋ねた。
ルベーラの元になったのは『ルベライト』。ルビーと同じく、赤い色の宝石である。
「よろしいかと思います」
ランドル家の贈り名は、宝石からとられたものが多いことを知っている仁は肯定した。
「そう? それじゃあ、『ルベーラ』にしましょう」
モーリッツ義兄が、卒倒しなければいいな、と思った仁であった。
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