60-17 実家での語らい
山盛りの果物籠を指差しながらエルザは、
「ペルシカは栄養がたっぷり。アプルルとシトランも身体にいいので、あとで食べて」
と言った。イングリットはその心遣いに改めて頭を下げた。
「ありがとうございます、エルザ様」
そしてエルザはメリア・キャレットにも、
「持ってきた果物は、どれも栄養豊富、だから、これも献立に含めて」
と頼んでおくことも忘れない。
「はい、エルザ様」
メリアは大きく頷いたのだった。
落ち着いたところでエルザは、侍女に命じて花束を花瓶に生けさせた。
「まあ、綺麗なお花もありがとうございます」
横になったイングリットが嬉しそうに礼を言った。
「そういえば、赤ちゃんの名前は、決まったの?」
と、聞いてみるエルザ。
だがイングリットは、首を横に振った。
「それが、まだなんです。おそらく今夜、旦那様が帰ってきましたら決めてくださると思います」
モーリッツは今、城勤めを始めたばかり。なんとか休暇を取って帰ってくる予定だという。
「秋蒔きの麦類の刈り入れが終わり、徴税のために帳簿を作製しないといけないので、忙しいんです」
それでもなんとかかんとか都合を付けて帰ってくるというのだ。
「……兄さま、らしい」
それを聞いたエルザも笑顔になる。
赤ん坊はお腹がいっぱいになったようですやすやと眠っており、イングリットも休んだ方がよさそうなので、エルザは部屋をあとにした。
メリア・キャレットはそのまま部屋に残った。
* * *
「お義姉さま、元気そうで安心した」
居間に戻ったエルザは、マルレーヌとお茶を飲んでいる。ユウとミオも一緒だ。
そのユウはマルレーヌの膝の上で、クッキーをつまんでいた。
ミオはエルザの膝の上だ。
「ええ。さっきも言ったけど、『セシル』とメリアのおかげね」
お産自体もそれほど重くなかった、とマルレーヌは言った。
「それに、あなたがイングリットを『義姉』と呼んだのには少し驚いたけど、嬉しかったわ」
だがエルザは、
「やっぱり正式に結婚してほしいと思ってる。そんな私の想いの、表れ」
それを聞いてマルレーヌは微笑む。
「そうね。侍女のまま、なんて駄目よね」
ここで問題になるのはモーリッツがどう考えているかである。
先月会ったときには結婚の意思はないなどと言っていた兄。
それが、イングリットがいた故の言葉なのか、それとも彼女を含めて妻を娶る気がないのか。
エルザは少し不安であった。
が、それは兄が帰宅してからと思い直し、もう一つの懸念事項を口にした。
「父さまは、どう?」
実家に来たからには聞くべきことである。
エルザの父ゲオルグは、脳梗塞の後遺症で、脳に障害が残ってしまったのだ。
言語障害についてはリハビリでほとんどよくなったが、半身不随の兆候が出ていた右半身については、大分よくなったものの、まだ完全ではなかった。
「ええ、大分いいわ。……会ってあげてくれる?」
「……ん」
仁と一緒になり、そして子供ができた今、父ゲオルグへの苦手意識はほとんどなくなっていた。
むしろ逆に、ゲオルグの方が娘であるエルザに対して引け目を感じているくらいだ。
ゲオルグは初孫であるユウとミオに会うのが楽しみなのだ、ということもよくわかっている。
先月などは、双子と遊ぶことが随分とリハビリになっていたのである。
双子は、過去における母エルザの葛藤を知らないので、ゲオルグのことはちょっと身体の具合の悪いお祖父ちゃん、という受け取り方をしていた。
ゲオルグの部屋をノックして中に入ると、
「おお、よく、来た。エルザ、ユウ、ミオ」
車椅子に乗り、満面に笑みを湛えたゲオルグがいた。
「父さま、お久しぶり、です」
「じいちゃ」
「じじさま」
ゲオルグのことを、ユウはじいちゃ、ミオはじじさまと呼ぶようになっていた。前回は2人とも『じいじ』と呼んでいたのにな、とエルザは思う。これも自我の表れかな、とも。
そしてマルレーヌのことは2人とも『ばあば』ではなくおばあちゃん、と呼ぶようになっている。その差を不思議に思うエルザであった。
だが当のゲオルグは特に何も思っていないようで、初孫2人を可愛がっている。それこそ、目に入れても痛くないくらいに。
母と並んでソファに座り、ゲオルグにまとわりつく双子を見ていると、エルザも自然に顔がほころんでくる。
双子は、ゲオルグの右半身があまり利かないことを察知しているのかいないのか、とにかく無茶なことはせず、自然な感じにゲオルグに甘えていた。
傍から見ていると、ご隠居さんに子猫か子犬が戯れているようだ。
2分ほどユウとミオの好きにさせていたが、あまり長時間だと父の身体に障りそうなので、
「ユウ、ミオ、一度こっちへいらっしゃい」
と声を掛けた。
「はーい」
「はい」
双子は素直に言うことを聞き、エルザとマルレーヌの間にちょこんと座った。
座面の低いソファだからできるのだ。
「父さま、具合よさそうで、よかった」
「うん。最近、大分、調子、よくなった」
だが、まだ右半身に力が入りきらないのは治っていない。
エルザの診断では、脳からの神経系にダメージが残っているようなのだ。
それをなんとかするための治療法も研究中である。
とりあえず、というわけでもないが、エルザはゲオルグに治癒魔法を掛ける。
「『全快』」
「……うむ、心なしか、身体が軽くなった。いつも、すまんな、エルザ」
「いいえ。……それから、兄さまのお子さん誕生、おめでとう、ございます」
「おお、ありが、とう」
相好を崩すゲオルグ。
エルザの子は外孫、モーリッツの子供は内孫ということになるわけだ。
ゲオルグにとっては、どちらも可愛いらしい、とエルザは思った。
とはいえ、これから四六時中一緒にいるモーリッツの子に対し、ユウとミオはたまにしか会えないので分が悪いかな、などと考えてもいる。
「エルザ、考えごと?」
治療後、ソファに座り直したエルザに、マルレーヌが声を掛けた。
ユウとミオは再びゲオルグに遊んでもらっている。
「うん、ちょっと。……ところで、モーリッツ兄さまは、いつ頃帰ってくるの?」
「赤ちゃんが生まれてすぐ、鳩で知らせを送ったの。だから今日の夜頃には、休暇をもらって帰ってくるんじゃないかしら」
「……大丈夫?」
この7月1日から、モーリッツは宮城勤めとなったばかりなのだ。
それなりに重要なポストで、1年間大過なく勤めれば男爵への陞爵が約束されていた。
なのに、勤め始めてすぐに休暇を申請するというのはどうなのだろうか……と、エルザは心配したのである。
「この時期、総務省は忙しいけど、ちゃんと手続きさえすれば帰ってこられるでしょう」
「それなら、いいんだけど」
いざとなったら仁にも口添えしてもらおうと思ったエルザであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
20190526 修正
(誤)双子は、ゲオルグの右半身があまり効かないことを察知しているのかいないのか
(正)双子は、ゲオルグの右半身があまり利かないことを察知しているのかいないのか