42-33 地上の星、天上の花
巨大な湖、アスール湖を越えて飛ぶ風力式浮揚機。
(『浮沈基地』はまだあの底にあるんだろうか)
今は確認する術がない仁。
(それも後回し、か……)
そして風力式浮揚機はフランツ王国領内に入った。
この日のフランツ王国は、雨こそ降らなかったが霧に覆われていた。そのため、視程が200メートルほどしかないのでスピードを落とさざるを得ない。
自動人形の花子やゴーレムのホープでも、視程1000メートルがやっと。
当然到着時刻は遅くなる。
「今日はフランツ王国泊まりですね」
目指すはフランツ王国の東の町、ロロオン町だ、とロードトスは言った。
「ロロオン町か……」
「何か思い出でも?」
仁の独り言にロードトスが興味深そうに尋ねてきた。
「そうだな、シオンと一緒に訪れたことがあるんだよ」
と仁が言うと、
「えっ? 大おばあさまがですか!」
と、大層驚いたように大声を上げたロードトスであった。
「シオンから聞いていないのか?」
と仁が問えば、
「ええ、その話は聞いたことがありませんでした」
確かに、あの時仁たちが訪れた目的は、捕らえられたシオンの姉、イスタリスの救出が目的だった。
そしてそのイスタリスは酷い拷問と辱めを受けており、仁は乞われてその記憶を禁呪『強制忘却』を使って消去してやったのである。
ゆえにシオンもおいそれとそんな話を子孫にできなかったのだろう、と仁は今更ながら気が付いた。
それで、当たり障りのない話をでっち上げることにした。
「あの時はシオンと知り合ったばかりでな。こっちの国々を見て回ろう、という一環で訪れたんだよ」
「そうでしたか」
「ルカスも一緒だったな」
「え? ルカスさん、ですか……」
「そういえば、ルカスやネトロスってどうしているんだ?」
「ネトロス様って、イスタリス大伯母様のご主人ですよね?」
「ああ、そのはずだ」
仁は、イスタリスとネトロスが駆け落ちした時のことを懐かしく思い出したが、今度はそれを口に出さないことに成功した。
その話をすると、もう1人の当事者である『傀儡』のベリアルスがシオンに求婚した話もすることになるだろう。そうなると、後で照れたシオンに文句を言われるかもしれないからだ。
「お2人もまだお元気ですよ」
驚いたことに、2人もまだ生きているという。やはり栄養状態や環境衛生が進んだことが大きいのだろう。
「ルカスは?」
「ルカスさんは、同じ一族のマドラーさんと結婚なさって、今は大分離れた場所で暮らしているとか」
「そうなのか……」
懐かしい面々のその後が聞けたことに、仁は満足した。
そしてそんな仁の顔を見たロードトスは、それ以上シオンたちの過去を聞こうとはしなかったのである。
ロロオン町は今もクライン王国との窓口的な町のようで、当時と変わらず、石造りの『門』が霧の中に聳えていた。
とはいえ今回はそれをくぐる必要はない。
夕方になって漸く晴れてきた霧の中、風力式浮揚機は町の北にある飛行場へと向かい、着陸。
ここでも係官に出迎えられ、名前を登録し、風力式浮揚機を預けることになった。
そしてこれまた同じく花子とホープは留守番である。ちょっと可哀想だが仕方ない。
「さて、どこに泊まりましょうか」
「そうだな……当時泊まったのは確か『オテル・ルノール』といったな」
「オテル・ルノールですか。……ちょっと聞いてみましょう」
大通りの交差点に、案内所のようなブースがあったので、ロードトスはそこへ聞きに行ったのである。そして戻ってくると、嬉しそうに報告した。
「今もあるそうです」
中央通りを真っ直ぐ行き、交わった別の通りを右へ。町の北側に当たるその一角は高級住宅が建ち並んでいるのは昔と同じだ。
「ああ、そうそう、こんな感じの場所だった」
そして、大きな公園までほぼ昔のままであった。
その公園に隣接する大きなホテルが『オテル・ルノール』であった。
「そうだあの時、前公爵夫人、カトリーヌ・ド・ラファイエットさんと出会ったっけ」
カトリーヌは、『オテル・ルノール』に泊まっていると言った仁を『なかなかお目が高い』と評したのだった。
こうして縁のある場所を訪れると、つい昔を思い出してしまうもの。
思い出に浸っている仁をそのままに、ロードトスはフロントで宿泊手続きを済ませたのだった。
「3階の3号室です」
そこは4人部屋だそうだ。他に部屋が空いていなかった、とロードトスは言った。
3階へはゴーレムエレベーターで昇る。
エレベータ内で仁は
「そういえば、宿泊費を全部出してもらってすまない」
と、今更ながら礼を言った。ロードトスは手を振って、
「いえ、それはお気になさらないでください。ジンさんが手元不如意なのは当たり前ですから」
と言ったので仁はもう一度礼を言った。
「ありがとう」
部屋には1人用の風呂が付いていたので、仁は先に入らせてもらう。
セッケンも備え付けられていたし、汚水は魔導具で『消臭』『浄化』『殺菌』されているようだ。
公衆衛生やインフラが整っているのを知り、仁はなんだか嬉しかった。
ここも夕食はバイキング形式だったので、仁は米飯中心に好きなものを選んだ。
そしてロードトスはパンの他は肉中心のチョイスである。一品だけ野菜サラダが混ざっているのが妙に面白い。
「明日にはノルド連邦まで行きたいですね」
「ああ、そうだな」
仁とロードトスは翌日の予定を話し合っていた。
クライン王国とフランツ王国の国境付近は高い山がないので北上する際、山越えしやすいのだ。
「晴れていたら、早立ちしたいと思います」
「いいんじゃないか」
いよいよシオンに会えると思うと、仁はガラにもなくわくわくしてくるのであった。
「距離にして500キロくらいでしょうか。天候さえよければ十分着けますよ」
「俺も楽しみだよ」
「ええ、大おばあさまもお喜びになると思います」
「だといいな」
仁は窓から外を眺めてみる。
ロロオン町の夜景が美しい。
以前来たときは貧富の差が激しく、裏通りは薄汚れていたが、今はそんなことはなかった。
理想郷には程遠いであろうが、確実にいい方向に変わったことが感じられて、仁としてもそれは喜ばしい変化であった。
(でも、モノレールの普及はなかったんだな……)
セルロア王国にも普及はしていなかった。珍しい乗り物、で終わってしまったのだろう。
普及を妨げた原因は何か。
ゴーレム自動車や飛行船、それに『転移門』があったからだろうか、と仁は分析してみるが、本当のことはわからない。
窓から見えるのは地上の星と天上の花。
(宮沢賢治……だったっけ? 確か『天なる花を星といい、この世の星を花という』だったっけな?)
夜景を見つめながら、あやふやな記憶を掘り起こしてみる仁であった。
いつもお読みいただきありがとうございます。




