41-18 急な展開
「記憶……か。そうだっけな」
まるで他人事のように返した仁に、ヘルガは呆れた目を向けた。
「なによ? 忘れてたの?」
仁は内心慌てた。忘れていたのだから。
「い、いや、そうじゃなくて、この村に馴染んでいたからなんとなく、ね」
「ああ、そういうこと」
ヘルガも、仁がここのところ、修理依頼で村中を回っており、村人たちとも懇意になってきたことを思い出した。
「村長の娘としては、村を気に入ってもらえてのは嬉しいんだけど、やっぱり自分を見つけるというか、はっきりさせるのは大事だと思うわ」
いつになく、といったら怒られそうだが、真面目な顔で仁を諭すように語るヘルガ。
「その上で、この村にいたい、って言ってもらえるのが一番嬉しいかな」
「ヘルガちゃん、かっこ……いい」
カチェアがヘルガを讃えた。
「でしょー!? 未来の村長夫人、って感じした?」
「……うん」
最後の大はしゃぎがなきゃよかったのにな、と思う仁であったが、それは口にしない。
「まあ、今日1日、ゆっくり考えてみるよ」
……と返事した仁であったが、心は既に決まっている。
前へ進むためには、ローフォンとやらへ行き、領主に会ってみないことには始まらない。
「なあ、地方管理官……様について知っていることがあったら、教えてくれないか?」
とりあえず情報収集である。
「うーん、悪い話は聞かないわね」
「は、はい。……ええと、お歳は40過ぎで、お子様がお2人、と聞いたことがあります。ご子息とお嬢様で、19歳と16歳だとか」
「……ありがとう」
ヘルガとカチェアの情報量の差に苦笑しつつ、仁は工房内を見渡した。
「まだ何もないといっていいもんな……」
知らない者が見て工房だとは思わないだろう。留守にしたところで大した問題にもならないと仁は苦笑しながら考えていた。
「修理依頼も一段落ついているし……」
「……ジン、ということは行く気になったの?」
「まだ1日、経ってない、です……」
仁は頷いた。
「ああ、何か情報が得られれば、と思っていたし……」
「そうよね」
「でも……」
何か言いたそうなカチェア。彼女は何度か躊躇った後、口を開いた。
「地方管理官……様って、公王様の従弟だったか又従兄弟だったかで、公王様って確か……」
だが、途中で口を噤む。
「確か? 何なんだい?」
「……し、知りません!」
後ろを向くカチェア。不思議に思った仁だったが、店の外にジェド・アラモルドの護衛の一人が立っているのに気が付いた。
が、その男は、仁が振り向いたと同時に身を翻し、立ち去ったのである。
仁は、あまり目つきのよくない奴だな、という感想を抱いた。
* * *
その夜は、村長セルゲイに招かれ、一緒に夕食をすることとなった。
最近、仁は自炊ばかりだったので、久しぶりの家庭料理だった。
夕食後はこの地方特有の野草茶を飲みながらいろいろな話をする。
そして。
「ジン君、地方管理官様からの招致はどうするのかね?」
やはりその話題か、と仁は内心で苦笑した。
「ええ。とにかく今は情報がほしいので、行ってみようかと思います」
「そうだろうな。まあ、好きにするといい。何か必要なものや、聞きたいことがあったら遠慮なく言ってくれ」
セルゲイは半ば残念そうに、また半ば当然だというような表情で頷いた。
「ありがとうございます。ええと、未だに地理がよくわからないので、その辺を教えていただけたら、と」
「ふむ、旅をするなら当然のことだな。ちょっと待ってくれ」
セルゲイは一旦席を立ち、奥へ行って1枚の紙を持ってきた。
そういえば『木紙』が普及しているのだな、と今更ながら気が付く仁。
蓬莱島やショウロ皇国で書き物をするときは木紙を使い慣れていたので、つい見過ごしてしまっていたが、この世界には木紙が普及しているのだった。
「手書きで見づらいだろうがね」
そう言ってセルゲイがテーブルに広げたのは簡略化された地図。
「ここがこのタジー村だ。見てのとおり、街道のどん詰まりになる。少し北にはノリジ湖があって、ノーシナ川の水源となっている」
「ははあ……」
手書きとはいえ、川や街道、村や町の位置関係がよくわかる地図だった。
「ノーシナ川に沿って、街道ができている。南下していくと隣の村がファン村だ。だいたい1日弱だな」
30キロくらいか、と仁は推測する。
「ファン村からまた1日でノベラ村、そしてもう1日でローフォンだ」
ノベラ村からは街道が三つに分かれており、一番西寄りの街道を行くとコシス村、東寄りの街道ではリホト村になる。ローフォンは真ん中の街道だ。
「このタジー村、ファン村、ノベラ村、コシス村、リホト村、ローフォン。それに川向こうのリレアズ村、ソギョン村。ここまでが地方官様の管轄になる」
「なるほど、よくわかりました」
コシス村とローフォンから、それぞれ街道が首都マハリーグまで延びていた。その行程もおよそ3日だそうだ。
「ここから首都までは馬車で6日ということですね」
「うん、そういうことになるな」
「ありがとうございます」
仁は礼を言った。これでこの国の地理がかなり理解できたのだ。
「いろいろこの国について知りたかったら、やはりローフォンへ行くべきだな。……私としては残念だが」
「本当ね。ジン君にはずっとこの村にいてほしかったけど……地方管理官様から招致されたんじゃ仕方ないわねえ」
セルゲイだけでなく、ミーナも残念そうな顔をした。
「まあ、この狭い村では君の才能を生かせないだろうから、致し方ないな」
「いえ、ずっと行ってるわけじゃ……」
が、その言葉をセルゲイは否定した。
「何を言ってるんだね。地方管理官様からの招致ということは、そういうことだよ」
「え、そうなんですか?」
「まあ、君の場合は特殊だから、どうなるかは私にもわからない、というのが正直なところだがね」
セルゲイは村長という立場上、多少事情には通じているようだ。
おそらく招致を断ったら、護衛と称して付いてきている4人が仁を拘束することになっているのかもしれない。
昼間、睨んでいた護衛の目つきはそう言うことだったのかもな、と仁は考えた。
「……」
今の仁には、国に出て来られたら何もできない。それで、とりあえず戻ってこられない前提で考えることにした。
「済みません、お世話になりっぱなしで」
仁は頭を下げようとしたが、ヘルガがそれを押し止めた。
「やめてよ。そんなつもりで助けたわけじゃないんだし。……そう思うなら、たまには帰って来てくれたら嬉しいな」
仁は頭を下げるのをやめ、代わりに大きく頷いた。
「そう……だな。きっと、そうするよ」
これでは拠点を持てるのはいつになることやら、と仁は内心で溜め息をついた。
急な展開に、仁の予定は狂いっぱなしである。
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