その1 村上君のお仕事
オンラインゲーム事業部営業第二課第三サーバー運営室所属 村上君は今日も頑張っています
「体型はそのままでエルフ耳はロングタイプ、成長度はプラス二年……っと」
俺はぐるぐるとキャラクターデータを回転させ、違和感がないかチェックした。
我ながらいい出来……というよりは元データからして美少女だったが、陰部などはマスキングされているし毎日数十件も扱っているとそれらしい感慨も湧かなくなる。
それこそ自動指定でもいいのだろうが、『人の目』で確認することに意義があった。
外観が出来ると、次は感覚器の調整だ。
体表面の触覚や痛覚は指先や手のひらを除き大凡一割に、嗅覚や味覚は三割ほどに減らされ、代わりに神経伝達信号の強度と受容器の感度も調節される。自律神経系、内臓や内分泌系、骨格や筋肉に至るまで身体の中身はばっさりと切り捨てられ、外的反応に信号を返す───例えば食べれば満腹になり、食べなければ空腹になるといった日常的な反応のみ再現される───だけの簡易タイプに置き換えられた。
基本的にはオートコンプリートされるが、こちらも微調整は欠かせない。
聴覚と視覚はデータ通りか、人によっては上方修正されるが、この感覚の間引きと置き換えは情報の圧縮に欠かせない手順で、医療用の完全再現疑似生体ほどのリソースを消費することなく、違和感のないVR生活を約束した。
……それを扱うのが既に感覚を間引いた疑似生体───つまり、VRファクトリー上に再現された『俺』なのだから、皮肉である。
最後に規定通りの反応チェックプログラムを走らせ、データがグリーンであることを確認してアップだ。
「OK、こんなところか……。
チーフ、チェックお願いしまーす」
「はいよー。
ああ村上君、後何件かな?」
「手持ちは4件です」
「じゃあそのまま続けて。
新しい2件は私と萩原君で1件づつ処理しよう」
「はい」
俺は受け持っていた女性キャラクターの外観データ───基本データを数年成長させ、髪色を変えてエルフ耳を付加した美少女───の完成バージョンをチーフのデスクに送りつけた。
頬をぱんぱんと叩いて気合いを入れ次を取り出すと、今度はデフォルトの狼男を少し長髪にして、ちょっとした色指定をするだけの要求。ささっと済ませてこれもチーフのデスクに。
次は外観年齢マイナス20歳の人間族男性で筋肉質体型への補正付き、その次は外観年齢マイナス25歳でバストアッププラス4カップの『大物』だった。
ちくしょう、デザイナー泣かせだ。……大半はオートコンプリートされるとは言え、体型の一部のみを見栄え良く弄くろうとすると全体のバランスを調整するのが大変なのである。
「本村チーフ、君は本番の準備もあるだろうから、先に休憩してくれていいよ。
そろそろ第二サーバーから申し送りも来るだろうし……」
「じゃあ室長、お言葉に甘えて。
みんな、お先に」
「お疲れさまです」
「いってらっしゃい」
もう数名分を済ませてちらっと見たタイムカウンターは、3153年8月14日午後3時44分58秒03……いま04に変わった。
そろそろこのゲーム───『新・剣と魔法のサーガ《戦乱の向こうに》』という名の数日前にサービスが開始された新作VRMMORPG───の本日分の申し込み締めきり時間、午後3時45分00秒である。開始は午後4時丁度、今が一番忙しい時間だ。
向かいの机でも主任が大きく伸びをしているし、ファクトリー内も少し空気が緩んだ。
「萩原さん、終わりそう?」
「うん、こっちは後2件だから大丈夫」
この部署───オンラインゲーム事業部営業第二課第三サーバー運営室───での現在の俺の担当は、参加者のパーソナルデータをゲーム内のキャラクターデータにコンバートすることだった。
言うなれば、古典的な童話シンデレラに於ける魔法使いのような位置づけだ。
お客さんであるプレイヤーの『変身』をお手伝いして、ファンタジー世界へと送り出すお仕事である。
このゲーム、サーバーは三つあって毎日新規にゲームを開始するのだが、受付からゲームの進行までを一つの運営室が一括で管理する。
休憩中のチーフは顔出しのゲームマスターとしてゲーム中に登場するし、室長は名有りNPCを操作してバランスを取るのが本業だ。俺やその他の社員は主に裏方で、一点物のアイテムを調整したり、スキルや技能を追加したり、時には有名無名のNPCに直接入ってイベントのトリガー役をこなす。
こちらは遊園地の着ぐるみ───機械仕掛けのウサギさんより中に人が入っているクマさんの方がお客さんにはウケがいい───の中の人、あるいはジェットコースターの係員に近いかもしれない。
「あ、1件きた」
「すげー滑り込みですね」
「俺、やります」
「さんきゅー、村上君」
現実時間で後2秒ならこちら側の時間で約30分、サービス開始前のシステム総点検を考慮しても充分に許容範囲だ。
だが……。
「……あれ?」
「どうしたの、村上君?」
「あ、いや、室長。
滑り込みだけあって、これ……」
「ははあ、なるほど。調整無しの指定かあ。
でも締め切り2秒前じゃ仕方ないね。
プレイヤーさんも納得されてるだろうし、そのままやっちゃって」
「はい」
年齢調整も種族指定もなしは、流石に珍しい。元から美人さんだしまあいいかと、感覚器調整だけを自動で行ってチェッカーに掛ける。
チーフの代わりに室長が最終チェックをして完了だ。
「流石に終わりかな?」
「ですねえ」
……締め切り時間は実時間で後0.5秒ほどだが、さすがにもう申し込みもないだろう。
「萩原君と村上君も休憩入っていいよ。
僕はこの後、そのまま会議に出るから」
「はい室長、お先です」
新着がないことを確認して、メインコンソールを閉じる。
「村上君はまた山かい?」
「静かにだらけるのが気持ちいいんですよ」
「それも一つの真理だねえ」
「じゃあ、失礼します」
「はいよー」
俺は社内メニューを開いて、休憩室Bを選んだ。
一瞬の浮遊感の後に、目の前の景色が高原のリゾートホテルを模したテラスに変わる。
アイテムメニューから古典的な紙巻きタバコを取り出し、金属製のオイルライターをかちり。
煙草をくわえると今度はテーブル備え付けのメニュー───これは注文を取るためのいわゆる『メニュー』だ───から珈琲の一覧を表示させ、ヨカゲームズ・ブレンドを注文する。
ぷはあ。
紫煙はほんの数秒で風に流され、消えていった。
ここは本当に人がいない。
海洋リゾートをイメージした休憩室Aの方が人気が高く、休憩室Bは最近では俺専用と言ってもいいほどだ。……あちらは社内の女性達に人気が高く、運が良ければ水着姿も拝めるとあれば、理由は語るまでもなかった。例え彼女たちのスリーサイズに補正が掛かっているとしても、いいものはいいものであると思う。
しかし、休日ならそれもいいのだが、休憩は静かに羽を伸ばす方が性に合っていた。
VRファクトリー───データの開発や調整を行う電脳世界に構築された部署───上での拘束時間は数年に及ぶ。週に一度は『リセット』と呼ばれる調整を行ってモチベーションを維持することで、このVR世界での数年と数ヶ月をやり過ごすのだ。
まあ、長いには長い。
代わりにVRベースの勤続時間に応じた昇級や昇進も相応で、若くとも大して芸のない俺にはいい職場だ。
ぷはあ。
スタートまでは実時間であと14分弱……社内時間なら三日と半日。
この休憩のあとは、他のサーバーから上がってきた新オブジェクトや新レシピの実装を、『現場』に出ずっぱりのチーフ以外の室員全員でこなさなくてはならない。
現実───リアルと夢───VRの狭間。
丸三日───五、六年ほど働き、丸一日───二年ほど休養する。
慣れてしまえば人生が伸びただけ。
良くも悪くも人間は変わらないのだなと知るのに、長い時間は掛からなかった。
俺の仕事は、与えられたデータに求められる修正を加えること。
同時に。
俺の仕事は、夢を叶える魔法使いの使い魔でもある。
同じ仕事なら、夢の手伝いと考える方が幾らかましだった。
ぷはあ。
俺は何か腹に入れるかとタバコを消し、もう一度テーブルのメニューを開いた。