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そのさいご

 あまりのことに、結子は言葉を失った。

 その分、心の中で叫び声が上がっている。

 二人の唇はしばらく重なったままで、それはもう何というか、仲の良いカップルのそれのようなものである。たっぷりと好意を込めているかのようなぶ厚い口づけぶりだった。

 やがて唇が離れた時、結子は、呆然とした顔の大和とそれよりもなお呆けたような顔の明日香、そして、振り返って真剣な目でカノジョを見る恭介の顔を確認した。

「これで証明できたろ?」

 恭介は、つかつかと結子のもとに近づいて来た。

――証明って……なんの?

「……キョウスケって男の子が好きなの?」

「男は別に好きじゃない。ヤマトが好きなだけだよ」

 それは確かに証明されたと言える。

「だから、オレがヤマトのことを嫌いになるなんてことはないよ。分かっただろ?」

 結子は、うん、とうなずかざるを得ない。

「お、お前っ! キョウスケ! なんてことすんだよっ!」

 一拍遅れて大和の叫び声が上がる。

 しかし、恭介は振り向かない。その目は結子だけを見ていた。

「それで?」と恭介。

 結子は、胸の中に敗北感が広がるのを覚えた。奇妙なことに、その感じは全然嫌なものではなくて、むしろ好ましいものだった。

「……嫌な思いさせると思うよ」

「いいよ」

「また、『ヤマト』って呼んじゃうかもしれないし」

「今度からはツッコムようにする」

「わたしなんかよりもっといい人いるのに」

「ユイコが好きなんだ。他の人なんかどうでもいい」

 結子は目をつぶった。

 そうして、恭介の言葉の響きを心で味わった。

 それはどこまでも清純で、かすかに甘かった。

 結子は目を開いた。

「さっき、川名さんと何、話してたのさ」

「怒ってる男子の気持ちをどうやってなだめたらいいか訊かれたんだ」

「何て答えたの?」

「怒らせておけばいいって。男は単純だから、一晩寝れば忘れる」

「キョウスケも?」

「そうだよ。だから、ユイコに何されても大丈夫だから。安心して、オレにひどいことしていいよ」

「そんなに頻繁にひどいことなんか……うーん、するかもなー」

「するのかよ」

 恭介は笑った。

 結子も微笑んだ。

 二人の関係は今ここから始まったのであって、笑いから始まることができる関係とは、若干ロマンチックさに欠けるところはあるけれど、なんて素敵なんだろう、と結子は思った。

「今度、ご家族に紹介してくれる?」

 結子が言うと、

「いいよ」

 との答え。

「あ、その前に家に来てよね」

「了解」

「じゃあ……」

 結子は、手を差し出した。

「すえながーくよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 恭介がその手を取る。

 結子は、恭介の手がしっかりと自分の手を握ってくれるのを感じた。

 それは当然そうであるべきだったわけだけれど、分かっていても嬉しいものがある。

 こほん。

 手を取りあう新生カップルの近くから咳払いの音が響く。

「なんだかいい感じになったようだけどな。おまえらの幸福の下には、オレの不幸があることを忘れるなよ」

 近づいて来ていた大和が目に強い光を溜めている。

「はじめてだったんだぞ!」

 恭介は振り向くと、「安心しろ、ヤマト」とやけに落ち着いた声で答えた。

「安心って……え? 男とのやつはカウントしなくていいのか?」

「さあ、それはどうだか分からないけど」

「じゃあ、なんで安心なんだよ?」

 分からない顔の大和に、

「オレも初めてだったからさ」

 あっけらかんと答える恭介。

「だから……何だよ!」

「お互い様ってことでいいだろ」

「いいわけあるかっ!」

 大和が迫る。

 恭介は、とりなしを頼むように結子を見た。

 結子は、うん任せておいて、と言わんばかりにうなずくと、

「初めてをヤマトとするってどういうことよっ! ふざけないでよっ!」

 大和と一緒になって恭介を責めた。

「わたしとはこの前断ったくせにっ!」

 結子は、恭介が手を放してその代わりに自分の両肩にそっと両手を置くのを感じた。

「ユイコ」恭介の目が真面目である。

 結子は慌てて首を横に振った。

「いやいやいやいや、ムリでしょ! なんで、ヤマトのあとにわたしにしようとするの!?」

「口をすすいでくる?」

「そういう問題じゃない!」

 近くから大和も、「こっちがすすぎたいくらいだよ!」と声を荒げる。

 その大和の後ろから、黒いオーラを帯びて迫る一人の少女の姿を、結子の目はとらえた。

「ひどい……」

「え?」

 振り返った大和に、明日香が涙目である。

「わたし以外の人とするなんてっ!」

「いやいや、見てたろ、今の。オレは無理矢理されたんだよ」

「無理矢理されたってことが言い訳になるの? ひどいよ、ヤマト」

「ちょ、おい、泣くなよ」

 明日香は目元を指先で払った。

「泣きたくなるよ! カレシが自分の目の前で他の人とキスしたんだよっ! ファーストキスを!」

「そんなこと言われてもなあ。あ、でもさ、アスカ」

「なに?」

「キョウスケの唇やわらかかったぞ」

「バカ! しね!」

「セカンドキスも、サードキスもお前にやるから、アスカ」

「やだあっ! ファーストじゃなきゃ意味ない!」

 感極まった明日香は両手で顔を覆ってしまった。

 問いかけるような恭介の視線に、結子は首を横に振った。

 これは大和の仕事である。

「オレの親に会う?」

 肩から手を離した恭介がいきなり言った。

「え、い、今から?」

「うん」

「で、でも、こんな普通の格好だし、手土産もないし」

「ユイコ」

「吉日を選ばないといけないし。今日、多分、仏滅じゃないかな」

 恭介がじいっと見てくるのを、結子は見返すことができない。

 恭介は、ふう、とため息をついた。

「だあってさあ」

「分かったよ。でも近いうちに紹介するからな」

「了解」

 結子は、恭介の手がそっと自分の手を取るのを感じた。

「家まで送るよ」

「ありがとう」

 一組の険悪なカップルを残す格好で歩き出した結子は、立ち去る前に彼らを見て、ちらりと少年の方に視線を送った。カノジョの対応に忙しい中で、大和がこちらを見る。交錯した視線は一瞬だけのものである。結子は前を向いた。

 彼の存在は今後もついて回り、決して消えることはないのだろう。

 魂の奥深くに刻み込まれてしまった刻印とでも言うべし。

 しかし、それはもうそれでいい。

 結子は幼なじみに心の中で、これからもよろしく、と声をかけた。

 そうして、恭介を見ると、

「そうだ、今後、オレのことを『ヤマト』って呼ぶたびに、ユイコがオレにキスするっていうのはどう?」

 そんなことを言い出した。言い出して自分で照れている。

「乙女のキスを何だと思ってるんですか。それに、そんな条件だったら、むしろ呼びたくなっちゃうじゃんか」

 結子には一つ訊きたいことがあった。

 父と初めて会わせた日に、発熱して保健室にかつぎ込まれたわけだが、そのとき恭介が怒っていた原因である。

「あのとき、何を怒ってたの?」

「うーん……」

「うーん?」

「ユイコの気分が悪いことに気が付けなかった自分に怒ってたんだよ。先にヤマトに気付かれたからさ。それで悔しくて」

 結子は、ふわふわと宙に浮くような気分になった。

 なんていうことを言ってくれる人だろう。

 しかし、結子はその感動を押し隠すようにして素っ気なく、

「ちゃんとわたしのことを見てないからでしょ」

 言ってやると、

「今度からはちゃんと見てるよ。ずっと見てる」

 まっすぐな答えが返って来た。

 結子は思わず下を向いた。

 少女の赤面を隠すには、夕闇はまだ優しい色だった。

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