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その80

 大和を見送ってから、一人自室に戻った結子は、これからのことをつらつらと考えた。

 とにかく恭介には会いたい。しかし、会ってもどうすれば良いのか分からない。分からないときは、こちらが行動するのではなく相手のリードに任せればいいと、そう思えればいいのだけれど、そういう受け身は結子の性分ではなかった。

――どうしよう……。

 分からない。

 これほど何かに悩むのは生まれて初めてのことだった。

 その分からなさを抱えて結子は、二日間生活することになった。その間、恭介からはちょこちょことメールが来たが、それはどれも二人の今後の核心に触れるものではなくて、他愛ない挨拶程度のものだった。結子は返信しなかった。にも関わらず、メールは止まらなかったわけで、そんな恭介に結子は感心するしかない。

 恭介はこちらからのアクションを待っているのだろうかと、結子はちょっと思ってみたけれど、すぐに首を横に振った。そういう受け身的態度は、恭介にもふさわしくない。おそらくは、時を置いてこちらに自省する時間を与えているのだろう、と結子は推測した。とはいえ、結子には自省することなど無いのだった。無いと思われた。

 珍客の訪問を得たのは、そんなときのことである。

「……こんにちは」

 玄関先で可憐な容姿を夏の午後の光の下にさらしていたのは、明日香である。

 ピンポンに応えてドアを開けた結子はびっくりした。

「どうしたの、アスカ?」 

 少し斜めを見るような様子で視線を外している彼女に問うと、

「頭をなでてあげにきたのよ」

 むすっとした顔で明日香は不思議なことを言った。

 訳が分からないながらも、玄関先ではなんだからということで、結子は彼女を中に導いた。そのまま部屋にあげようとすると、階段下でちょうど二階から降りてきて外に出かけようとしていた弟とぶつかった。弟の驚いたような目に憧憬の色が浮かぶ。もちろん、その目は姉に向けられたものではない。

「年下キラーだね、アスカ」

 階段を昇って行って自室に入ったところで、結子が言うと、

「子どもにモテても仕方ない」

 明日香は素っ気なく返して、部屋の中をきょろきょろと見回した。

 結子の部屋は八畳あって、ゆるやかな作りであると彼女自身は思っているのだが、

「アスカの二十畳の部屋に比べれば狭いよね」

 言うと、

「二十畳って、そんなわけないでしょう。柔道するわけじゃないんだから」

 明日香は自分の冗談に対する返答を待たずに、ラグの上に腰を下ろした。

 過日、大和が座ったところである。

「ヤマトに頼まれたの?」

「じゃなきゃどうして来ると思う?」

 大和に頼まれたとしても来ること自体が驚きだった。

 その気持ちを視線に混ぜると、なによ、と言わんばかりの目で明日香は見返してきた。結子は、お茶淹れてくるから、と部屋を出た。そうして大和のことを考えた。クサレ縁のこの行動は、一見結子のことを思いやったかのようで、実際それもあるのかもしれないが、しかし、それだけではないだろう。おそらく大和は、結子を慰めて欲しい、という口実をもって、明日香を結子に接触させようと企んだのだ。大和は未だに結子のことを我がカノジョの友人候補だと思っているのだろう。抜け目ない男である。

 結子は、客の為と、ついでにリビングで本を読んでいた母にもお茶を入れた。

 お盆に紅茶セットを載せて戻って来ると、

「それで?」

 明日香が切り口上である。

 悩みを話せということだろう。

「言いたくない、いくら親友でもね」

 結子は言った。というより、特に話すこともないのである。数日前に電話してから、事態は何も進展していないからだ。

「……いつから親友になったのよ」

「あの月の下で、お互いの呪われた運命を慰めあってから」

「どんな状況!? てか、してないし、そんなこと」

「アスカはつっこむなあ」

 結子は、ストレートティを給仕した。

 明日香はカップに薄桃色の唇をつけて一口飲んでから、ハッと何かに打たれたかのような顔をした。

「一味違うでしょ。頂き物だからね」

 結子がちょっと自慢げに言うと、明日香は、「なんか読むもの」とぶっきらぼうに言った。

「少女漫画でいい?」

「漫画? 雑誌無いの?」

「あるけど、漫画を読んで欲しいんだなあ」

「貸しなさいよ」

 お気に入りの少女漫画を渡すと、しぶしぶそれを受け取った明日香は、しかし、数ページぱらぱらと読むと、そこからはガン読みし始めた。

「あのー、アスカさん……」

「ちょっと待って今いいところなんだから」

「わたしのことを慰めに来てくれたんじゃないの?」

「親友っていうのはただそばにいればいい」

「え、そうなの?」

「この漫画に、そう書いてある」

「ええー」

 明日香がパラパラと漫画のページをめくる音と、互いに紅茶をすすり、お茶受けのスコーンを食べる音だけが響く。

 不思議なことに、結子は心が落ち着いてくるのを感じていた。自分に同情的ではない人間が、自分のために――若干強制的だとしても――いてくれるのだということに面白みを感じた。

「アスカはさあ、ヤマトにキス拒否されたらどうする?」

 結子はいきなり訊いた。

 明日香は、ページをめくる手を止めると、ふう、と息をついた。

「……帰る」

「だよね、やっぱ帰るよね。わたしの選択は正しかったんだ」

「これ、次の巻貸しなさいよ」

「え、うん」

 明日香はコミックを受け取ると、立ち上がった。

「わあ、ちょっと、アスカ。ごめごめ」

「何が?」

「気を悪くしたんでしょ?」

「別に。時間だからよ。じゃ」

「待ってよ、待ってよお、一人にしないでよ、姫!」

「誰が姫よ」

「なんか姫っぽいじゃん、アスカはさあ」

 明日香は、上からねめつけるように結子を見ていたが、もう一度ラグに腰を下ろして、

「紅茶、お代わり」

 ぶっきらぼうな声を出した。

「はい、ただ今!」

 結子は席を立って、部屋を出た。

 階段を降りながら、この前大和を部屋に入れた件について、明日香に話した方がいいか考えた。考えて、言わないことに決めた。言うとしたら、大和が言うべきことだろう。大和が言わなかったとしたら、それは闇に葬られることになる。

――そういうことか……。

 キッチンで、もう一度お湯を沸かしながら、結子は気がついた。こういう風にして、大和との間に起こったことが、大和に関係する人、結子に関係する人、それぞれに対して秘められることになるのだろう。大和に関係する人のケアは大和に任せるとして、結子に関係する人のケアは結子自身で考えなければいけない。

 そうして思った。

 そんなケアは存在しないのだと。

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