その51
その日の学校は瞬く間に過ぎ去った。悩み事があると時間が経つのが早いらしい。下校時刻を迎えた結子は、ついさっき登校したばかりのような気がしていた。こうして人は知らない間に年を取って行くのだろう。いとせつなきかな。今日は一日、恭介にどうすれば気持ちを返すことができるのか、考えて時を過ごしていた。総身の知恵を総動員して考えていたわけだけれど、大した案は出なかった。結子は、ほとほと己の発想力の無さに嫌気が差した。
「でもね、いくつかは考えたんだよ。ピアノを練習してキョウスケの好きな曲を弾いてあげるとか、冬用のマフラーを縫ってあげるとか、クラスメートを総動員してパーティを開いてあげるとかさ。でも、何かピンと来なくて。どう思う?」
結子は、目の前にいる少女に問いかけた。緑の葉を通して降り注ぐ木漏れ日が、少女の黒髪を煌めかせている。二人は木の下にいるのである。学校を裏門から抜けて、道路をまたいだところに広がっている雑木林の一角。
「もしもーし。聞こえてますかあ? Can you hear me?」
あまりに沈黙が長かったので、「もしかしたら聞こえてなかったのかもしれないぞ。まあ、かなり大きな声で話したけども」と思った結子が念のために訊いてみると、
「ウルサイ」
という声が返って来て、ホッとした。どうやらちゃんと聞こえていたらしい。よかったよかったとニコニコする結子に、少女はキッとした目を向けてきた。
「何であなたが来るの? 大和は?」
「来ません。女同士で話がしたいからさ。男の子って邪魔でしょ。ガールズトークにはさ。別に、聞かせてあげても構わないけど、女の子に持っている幻想を壊しちゃうかもしれないし」
「話なんか無いわ」
「そっちになくてもこっちにはあるんです。昨日の続きだよ、明日香ちゃん。よろしく」
明日香はぷいっと顔をそむけると、そのまま歩き出してしまった。結子はすぐにあとを追った。そうして、その自分より一回り小さな背に向かって、語りかける。
「この前はヤマトに頼まれたからすぐに付きまとうのやめたけど、今度は自分の為だからね。答えが得られない限り、いつまでも来るよ。もうすぐ学校は夏休みになるけど、そうしたら明日香ちゃんの家に行っちゃうかもね。あるいは、そうだなあ、もしかしたら、アスカちゃんがヤマトとデートしているときに押しかけていくなんてこともあるかもねえ。そのとき、ヤマトはどういう反応するかなあ。あいつバカだから、『おー、じゃあ、三人で遊びに行くか?』的な感じになるかも」
明日香は立ち止まった。それから、まるでそれでもって人でも殺そうとしているかのような凶悪な視線で結子を見た。結子は微笑して視線を受け流した。そうして、自分の悪女ぶりに満足した。
「昨日食べたあのマズイ和菓子、もう一回、食べてあげてもいい」
明日香はツンとした顔で言った。それは「吾郎庵」で話を聞くという意味だろう。どうやら押し切ったようである。結子は嬉しい反面で、またご馳走しなければならないのかと思うと、がっかりするものを覚えた。何度も大盤振る舞いができるほど小遣いは多くない。
――でも、これは、キョウスケのため!
結子は自らを励ました。今日も恭介には一人で帰ってもらっている。こんなことを続ければ、恭介に礼を返すどころか、さらなる非礼を重ねることになってしまう。早急な解決策が必要とされている。
「それで?」
昨日と同じ道をたどり、昨日と同じ店、同じ席に着いた結子は、自分の恭介に対する気持ち、つまり「普通に好き」を話したあと、ういろうを自分の分まで明日香に食べさせてから、急かすように尋ねた。恭介にどういうことをしてあげれば想いを返せるのか。あるいは、こう言い替えても良いだろう。
「アスカちゃんなら、ヤマトに何をしてもらったら嬉しい?」
と。明日香は、結子の恭介に対する気持ちには何もコメントせず、結子の問いにだけ率直に答えた。
「いつも一緒にいて欲しい」
それを聞いた結子は、小さく天を仰ぐ振りをした。「それは昨日も聞いたよ」
そんな平凡な答えを得るために、ここに招いたわけではない。
「ういろうは安くないよ」
結子がもっと具体的なことを言うように頼むと、
「手をつないだりとか、腕を組んだりとか」
明日香は不承不承といった調子で答えた。
結子は手を打ち合わせた。
「なるほど。アスカちゃんは、ヤマトにイチャイチャしてもらいたいんだ」
「そういう言い方、やめてくれる」
「もしヤマトがそういうことしたら、わたしという存在が気にならなくなる?」
「なるわけないでしょ! ……ただ、少し、安心できるかもしれない。あなたにしないことをわたしにだけしてくれたらね」
結子は、ほおほおとうなずいた。これは中々良い意見ではなかろうか。
「キョウスケもそうかな?」
「知るわけないでしょ、そんなこと」
「いや、きっとそうだよ」
結子は思わず立ち上がった。大和にはしないことをしてあげれば、明らかに彼に対して、大和とは別種の気持ちを持っているんだという良いアピールになる。問題は何をするかということだけど……。途端にある考えに思い至った結子は、頬が熱くなるのを覚えた。
「とりあえず、座ってくれない? 何で立つの?」
明日香の声がどこか遠くから聞こえてきた。