その49
ミルクティを静かにすする明日香を前にして、結子はしばらく考えていた。
恭介に対する自分の気持ち。それがどういうものなのか。考えてみたが、分かったのは、「よく分からない」という情けない結論だった。
もちろん、恭介のことは好きである。そうでなければ、そもそも付き合ってなんかいない。しかし、ただ「好き」だと言うのは、明日香の問いへの答えとしてはいかにも貧弱だった。そんなことを口にしたら、鼻で笑われることは目に見えている。
「好きなのは分かってる。どう好きなのかって訊いてるの」
そう問い返されるのがオチだろう。
どう好きなのか、と問われると答えが返せない自分がいて、結子はびっくりした。恭介に向ける気持ちを表現する言葉が見つからないということは、大した気持ちが無いということの証ではないのだろうか。
「そんなことない!」
結子は思わず口に出して、不快な推論を打ち消した。唐突に訳の分からない声を出した少女に対して、明日香は眉をひそめた。
結子は言った。
「どこが好きなのかってことはすぐに言えるよ」
「…………」
「キョウスケは優しくて、友達思いで、自分の意見をちゃんと持ってて、そういうとこが好き」
「……それだけ?」
「まだあるわ、モチロン!」
促すように黙っている明日香に向かって、結子は続けた。
「おしりがちっちゃくて可愛いとこも好き!」
明日香は、隣の席に置いてあった学校指定のカバンから携帯電話を取り出すと、時刻を確認した。
「もういい? これから塾があるから」
「ちょ、ちょっと待って、アスカちゃん。まだ何もアドバイスもらってないよ」
結子が焦って言うと、明日香は冷然とした目を作った。
「真面目じゃない人の相談なんか受けられない」
その言葉に、結子は恥じ入りながらも、同時に嬉しい気持ちもあった。そういう言い方をするということは、明日香は結子の相談を真面目に取り扱う気があるということだ。付き合っている男の子のクサレ縁の女の子の頼みなど、たとえ聞くとしても適当な応対をしてもよいところ、そうはしないというところに彼女の生真面目さが窺える。
その真面目さを利用させてもらおうと考えるのだから、結子の性根は少々ひねくれていると言えるかもしれない。いや、これは目的達成の為には必要なことなのだ、と結子は思い直した。目的は手段を正当化する!
完全に悪党の思考になった結子が、
「じゃあ、アスカちゃんはヤマトのことどう思ってるの?」
逆に訊いたところ、
「ヤマトと一緒にいられるなら他に何も要らないくらい好き」
明日香はほんの少しの躊躇もなくまっすぐに答えた。真情をぶつけるような声だった。それでもって、結子を倒そうとでもするような強い声である。
「ずっと好きだったし、これからもずっと好きだと思う。わたしはヤマトの全部が好き。幼なじみのことをわたしより大事に思ってるところも含めてね――それはムカつくことではあるけど」
口を差し挟もうとした結子を、明日香は手で止めるようにした。
「やめて、聞きたくない。あなたには分からないだけ。ヤマトはあなたのことが好き。わたしよりも。でも、それはそれでもいい……本当は良くはないけど、でも、そのことで嫌いになったりはしない」
その声は確信に満ちていた。
結子は、片桐明日香という少女を見直した。
――こういう子だったんだ。
目の覚めるような思いである。明日香に対する評価を変える必要性があることをひしひしと感じた。
結子は、明日香に向かって手を差し出した。
「ちょっとアスカちゃんのこと好きになりました」
明日香は、結子の手を無視して立ち上がると、「帰る」と一言、言った。それから、
「わたし、あなたのこと、死ねばいいと思ってる」
何の前触れもなく言い出した。
結子は絶句した。嫌われていることはもちろん分かっていたが、まさか死まで願われているとは思ってもいなかった。結子の脳裏に、明日香が夜な夜な秘密のノートに結子の名前を大書し、それに赤ペンで大きくバツをつけている姿が浮かんだ。その可憐な口元の端が少し歪んでいる。
結子の驚いた様子に、明日香は満足そうな笑みを浮かべると、「ウソよ」と軽い調子で続けた。
結子は、大きく息を吐き出した。
「あー、びっくりしたあ。そうだよね、ウソだよね。死まで願うなんてことはないよね。アスカちゃんも人が悪いなあ」
「ウソだけど、本当でもある」
「ええっ! どっち!」
「死んでもらいたいくらい嫌いだけど、死んで欲しくはない。もし死んだら、ヤマトが悲しむから」
そう言って、明日香は白色のカバンを肩から下げると、テーブルを離れて行った。
結子はその後を追えなかった。
カレシに寄せる明日香の想いは純粋で強く、そして、はっきりとしている。対して、自分の恭介に対する気持ちは、何だか曖昧である。その曖昧模糊とした気持ちをカタチにしてから出直して来い、と立ち去る明日香の背は語っているようだった。もちろん、それは結子の勝手な想像であり、明日香としてみればそんな気は全くなかったかもしれないが。結子は勘定書きを手にすると、二人分のスイーツ代を払って、「吾郎庵」を出た。入ってきたときよりも一層悩みは深くなっていた。